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スイミングと初恋【暗黒編】


好きな相手のために努力をしている人間は美しい。

その努力は報われない方が、より美しい。残酷だが、私は思う。

何の話かというと、長男ヨシタロウ4歳のことである。

彼は年末、スイミングスクールの「検定」のあとで、ヨシタロウの想い人「ミオちゃん」と17アイスを並んで一緒に食べる、いわばデートするところまで漕ぎ着けていた。

しかし父は、このアイスの意味するところを知っていた。

ミオちゃん父と挨拶以外に言葉を交わしたことはないのだが、それでも毎週聞こえてくる会話である程度情報は得ている。

ミオちゃんちは「検定に合格したらアイスを食べさせてもらえる」という厳格な運用でアイスを与えている。言われるがままアイスを与え続け、メシは食わないわ無事虫歯を発症させるわの芳川家(というか私)の甘やかし、クソ運用とは大違いである。今田美桜ばりに可愛い娘にそこまで厳しくできる、ミオ父および見たことないけどミオ母には尊敬しかない。

で、アイスデートである。父の危惧通り、これは束の間のいちゃつきだった。

だって、アイスを食っている=検定に合格したミオちゃんと異なり、ヨシタロウが「水中で目を開ける」という課題にばりばりの不合格を喰らってることを、父として知っている。

つまり、検定の結果、このアイスを最後に二人のクラスはバラバラになる。

翌週以降、ヨシタロウは荒れた。

「なんでいっしょじゃないんだよ!!」

なぜか更衣室でミオちゃんに八つ当たりなどしていたが、このスイミングスクールの本義を為しているのはミオちゃん側であり、彼女は何も悪くない。
しかも、上がったクラス先に「前から仲のいい女の子」がいるようで、むしろ「新しいクラスの方が楽しい」と更衣室で言っているのを芳川親子は聞いてしまい、ヨシタロウは無の表情でツーと落涙し、私は何も成し遂げていない息子を抱きしめてから、そっとアイスを買うことしかできない。

泣いてるから食わないかなと思ったけど、普通に食った。

それから1月は苦難の月だった。

父と風呂に入るたびに、「ほら潜って!」「めぇ開ける!」地獄の特訓を父は息子に課した。最初はブー垂れていたが、「ミオちゃんと同じクラスになりたいんでしょ?」と言うと、黙って彼は、湯船の中に潜っていくのだ。

美しい努力だと思った。

そして1月4週、運命の検定日。

特訓の成果もあり、無事ヨシタロウは合格した。そして、検定ということはまたアイスデートができる可能性が高い。我々は17アイスのところで、白いアイスを買いながら待っていた。まだミオちゃんが来ないので、開封はしない。

だが、待てども待てどもミオちゃんはこない。

「ちょっとみてくる」

そうやってスササと更衣室方面へ走ってきた、忍者ヨシタロウからの情報はこうだ。

ミオちゃんは泣いていた。

ミオちゃんは、アイスをたべられない。

つまり、ミオちゃんは合格できなかったのだ。

ということは、ヨシタロウは今回の検定で1クラスアップ、ミオちゃんがステイということは、2人はまた同じクラスになれるということだ。

というのを、ヨシタロウにできるだけ簡単なワードで伝えたつもりだが、あんまり分かってない気がする。

彼はただ、隣に並んでアイスが食べられなかったことを、とても残念そうにしていた。彼の時間軸は「きのう」「きょう」「あした」しかない。そんなに先のことはよく分からない、ただ今、この瞬間に隣り合ってアイスを食べたかったのだ。


この別れは一時的なものなのだ、来週にはきっと。そうやって励ました。抱きしめた。アイスも開けて食わせた。


それにしても。

運命の女神とは、こうも残酷なのか。

2月に入って、いよいよ同じクラスかと思っていたのに、「人数バランスの関係で変化なし」という運用だった。

もちろん、ヨシタロウは荒れた。

果たして、この先ヨシタロウのこころはこのまま耐えられるのか、レッスン60分中最後の10分、遠くからミオちゃんをめがけて水中をゆっくり歩いて行くヨシタロウの眼差しは美しい。

彼の地獄から目が離せない。

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