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【クトゥルフ神話】ルルイエ浮上基金を奪え!

 この短編小説は2024年10月26日に遊んだ【新クトゥルフ神話TRPG】のAI生成シナリオでのオフラインセッションのリプレイを元に作成したものです。

第1章 星の智慧派

 それは不気味なまでに暗く、絶え間なく降り続く長雨の夜であった。

「――遅れて申し訳ありません。電車が人身事故で止まってしまって……」

 そう言って足早に部屋に入ってきたのは、濡れそぼった遠土蓮(えんどれん)だった。

 中背ながら筋肉質な体格はあまり料理人らしくは見えない男だ。最近、勤めていたレストランを解雇されるなど不運続きだというが、今回も電車遅延に巻き込まれたのだった。

「大丈夫。遠土くん、仕事探しで忙しいからね」

 少したどたどしい日本語で微笑みながら迎え入れるのは教団のシスターであるウーピー・幸子・シルバーバークだ。

 浅黒い肌と縮れた髪はアフリカ系の血を受け継いでいるのは明らかだが、それよりも教団のローブをゆったりと纏う180センチを超える大柄な体格のほうが人目を惹く。

 ここは星の智慧派と呼ばれるナイアルラトホテップ神を信仰する者たちが秘密の集う集会所である。彼らは『日本教会』と呼んでいた。

 教会とは言っても埼玉県狭山市の住宅街にあって何ら目立つことのない古びた小さな一戸建ての建物のひとつではあるが、ひとたび中に入れば、その壁一面にはナイアルラトホテップを中心とした神話世界を描いた壁画がサイケデリックに描かれている。知らない人が見たらさぞ驚くに違いないほど冒瀆的な図案だろう。

 部屋の中はどこか埃っぽく、照明の少ない薄暗さが、絵に描いたようなカルト教団っぽさを醸し出している。とはいえ、近頃の活動はさっぱりであるのは、あまり掃除はいきとどいていないことからもわかる通りだ。すでにカルト教団という怪しげな組織もすでに形骸化しつつあり、ただの寄合所帯のようになりつつあった。

 遠土が来たことで3人になった。もうひとりは物静かに会衆席に座っている男、熊田剛三(くまだごうぞう)だ。

 長身痩躯を黒いスーツで覆い、病的に痩せこけた蒼い顔でふたりを見やった。怒っているわけではないが生来の目付きの悪さと暴力団員という職業柄、睨んでいるようにも見えてしまう。

ウーピー・幸子・シルバーバーグ
遠土蓮
熊田剛三

「我らが渾沌の主に信仰熱き信徒諸君、揃ったようだな」

 骸骨にしなびた皮を貼りつけただけのような老齢の男が部屋に入って来た。この老人こそ教主ウィリアムだ。

 すでに百歳を超えているという教主はすでに立って歩くこともままならないため、車椅子に乗り、それを後ろから押すのは孫娘の弓削せりかの役目だ。

 せりかは高校生であるが、幼い頃から星の智慧派の次期後継者として育てられたので、かわいらしい女子高生の見た目によらずオカルトの知識と魔術的素養は教団内で一目を置かれている。

教主ウィリアム
弓削せりか

 といっても教団メンバーはもうここにいる5人しかいない……。そう星の智慧派日本協会はかつてないほど衰退しきり、もはや存続も風前の灯なのだ。

 教主ウィリアムは3人の前で車椅子を止めた。彼の姿はやつれ果て、白く濁った眼は控えめに言っても虚ろである。

「……我ら星の智慧派は、このままでは終わりだ。しかし先日も話したとおり、あの忌まわしいカエル頭どもの『ルルイエ浮上基金』さえ手に入れられれば、我らの教団は蘇る! きょう集まってもらったのは言うまでもない。やつらダゴン秘密教団を出し抜くため諸君らの知恵と力が必要なのだ!」

 半死人のようなウィリアムであったが『ルルイエ浮上基金』のことを話すときだけは目に力が宿っている。それだけ教主はこの計画を教団復活の乾坤一擲と考えているのだ。

 そもそもダゴン秘密教団は大いなるクトゥルーを信仰するカルト教団であり、我々ナイアルラトホテップを信仰する星の智慧派とは常にライバル関係というか敵対関係に近いものだった。そもそも信仰する神が異なるということもあるが、本拠地がアメリカのマサチューセッツ州の主要都市アーカムとその郊外にあるひなびた漁村インスマスという地理的に近く、そして都会と田舎という住民のライフスタイル的な対立意識が強かったせいもあるだろう。そんな関係は日本においても同様に続いているのだ。

 ウィリアムは改めて自分を見つめる3人の信者たちに熱に浮かされたような視線を向けた。

 いかめしい顔のウィリアムとは対象的に、背後のせりかは微笑みながら口を開いた。

「さて、シスター・ウーピー、遠土さん、熊田さん。この作戦は必ず成功させなくてはなりません。もちろん我々は手段は選びません。詐取でも乗っ取りでも……どんな方法でも構いません。なにか妙案はありませんか?」

「はい、質問! そもそもルルイエ浮上基金ってのは実在するんですかね? そんなお宝がどこにあると?」

 緊張感を漂わせるなか、いぶかしげな遠土が口火を切った。

「いい質問ですね、遠土さん。『ルルイエ浮上基金』はたしかに存在しているのです。その保管場所についても確かな情報ではないものの、ダゴン秘密教団の本拠地である千葉県の小さな漁師町『印妻洲』のどこかにあるとの情報を得ています」

 せりかは遠土の質問に軽くうなずきながら答えた。

「しかし町全体が教団の勢力圏であり、信徒たちは異形の姿を隠して暮らしているという情報も。そして、その町の本部施設に基金が保管されているとの噂です。ただ護衛も多く、簡単には近づけないでしょう。でも、だからこそ私たちは作戦を練って、必ずや手に入れるんです!」

 せりかは少し身を乗り出し、声をひそめながらも語気を強めた。

「そうだ! 大金の隠された印妻洲に乗り込むことこそ我らが教団再興の第一歩だ!」

 せりかの言葉に反応した教主ウィリアムも頷き、興奮気味に叫んだ。

「ところで、そのルルイエなんとか基金を管理しているのは誰なんですかい?」

 熊田が訊いた。

 せりかは熊田の質問に少し考え込む様子を見せたが、すぐに答えた。

「基金を直接管理しているのはダゴン秘密教団の教主である『わだつみ』という人物とされています。彼女はかなりの実力者であり、信者たちにも絶大な影響力を持っています」

 せりかはさらに小声で続ける。

「わだつみは単なる教主ではなく深きものどもとの混血で、その力も尋常ではないとか。基金の管理も彼の指示のもと幹部たちが支えているそうです。ですが彼女が絶対的に信頼しているわけでもなさそうなので、何かしらの隙をつける可能性はあるかもしれません」

 ウィリアムは満足そうに頷き、言葉を重ねる。

「憎きわだつみさえ倒せば基金は我々のものだ! だが慎重にいかなければならないぞ。奴はただの人間ではないからな」

 ウィリアムは何かひとこと言わないと気がすまない性格らしい。

「そうねぇ、スキつくなら、わだつみに弱み、スキャンダルはあるかしら?」

 ウーピーが小首を傾げてつぶやいた。

「さすが、鋭い質問ですね、シスター・ウーピー。わだつみ教主について噂は色々とありますが、特に『深きものども』の血統にまつわるものが怪しいとされているようです。教団内でも異形の姿に完全に変わる信徒と、わだつみのように人間の姿を保っている者がいるようで、その違いについて疑念を抱く信者もいるとか。それから、わだつみ教主の最も信頼している幹部が密かに権力を握ろうとしているとの話も聞いています。教団内で権力闘争の兆しもあるとか。こうした内部対立を利用できれば、わだつみの弱みを突くことができるかもしれません」

 そう言うと、せりかはにやりと不敵な笑みを一瞬だけ見せた。やはり一筋縄ではいかない少女らしい。

 そしてまたもウィリアムが少し得意げに頷く。

「奴の力は確かに強大だが、内部崩壊は神聖な信仰にヒビを入れることだろう。スキャンダルや内紛をうまく利用できれば奴の影響力を削ぐこともできるぞ」

「で、そのお宝はどのくらいあるんです。それと我々はいくらくらい必要なんですか?」

 せりかは遠土の質問に答えようと一瞬考え込んだが、意を決したように渋々と話しはじめた。

「『ルルイエ浮上基金』には数億円規模の金塊があると言われています。ダゴン秘密教団はその豊富な資金を利用して、来年2025年の『ルルイエ浮上100周年記念』に向けた大規模な儀式の準備を進めています。そして星の智慧派が当面必要としているのは約3000万円です」

「おいおい、そんなにかよ! いつのまにそんな金が入り用になったんだ?」

 熊田が半ば呆れるように驚いて言った。

「実はですね……おじいさま……いえ、教主が騙し取られてしまった教団運営資金の調達が必要なのです。でも、できればもっと多くを手に入れることができれば教団再興のための活動資金にしたいと考えています」

「騙されたっていうのはどういうことですか?」

 遠土が尋ねると、せりかは少し肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。

「みなさんもご存知のように……教主は最近少し物忘れが激しくなってしまわれて……教団運営も大変な状況で焦りもあったのでしょう。ある日、知らない番号から電話がかかってきて、その電話の男の指示されるまま3000万円を振り込んでしまったんです」

 彼女はため息をつき、ウィリアムを気遣うように見やった。

「私は詐欺だとすぐ気づいたのですが、すでにお金は消えていました。うちは、こういうカルトなお仕事ですし警察にも通報できず泣き寝入りするしかなかったんです」

「あの時は、そのなんだ、我が教団の未来のために必要だと思ったんだ。2000万円が1年で倍の4000万円になるからと。だから借金までして用意したのに……まさかこのわしともあろう者が騙されるとは……! いや、だからこそ今度はこっちが騙してもいい番なのだ! きっとあの詐欺の元締めはダゴン秘密教団の手の者に違いないのだから!」

 さすがにウィリアムも少し落ち込んだ表情を見せたが、最後は無理に笑顔を作ってごまかそうとしたのだった。

「とられたものはしかたないですね。それで、その3000万円の借金の返済期限はいつなんです?」

 遠土は諦めたようにつぶやいた。

「借金の返済期限は、あと2週間……それまでに利子を含めて3000万円をどうにかしないといけません。闇金からの借金なので返済できなければどんな報復が待っていることか……」

 せりかは少し顔を曇らせて続ける。

「タイムリミットが迫っている分、私たちにはもう時間の余裕はありません」

 ウィリアムもその言葉に深く頷き、3人に向かって真剣な表情で語りかけた。

 「そうだ、2週間だ。それまでに必ず金塊を手に入れ、この教団を立て直す! みなの力を貸してくれ! イア! イア! ナイアルラトホテップ!」

「……イア! イア! ナイアルラトホテップ!」

 ウィリアムがいきなりナイアルラトホテップ神を讃えだしたので、4人は少々戸惑いぎみながら、しかたなく続けて唱和したのだった。

「この日のために武器も用意してある。好きなものをとるがいいぞ」

 ウィリアムは眼で後ろに控えるせりかに目配せすると、せりかは一度、部屋を出た後、しばらくしてまた戻ってきた。その両手には重そうな袋が抱えられていた。

 せりかは無造作に袋の中身を取り出していった。

「ヒュー、このご時世にこりゃすげぇや!」

 ヤクザの熊田も驚くくらいのしろものだった。

 ブラスナックル、ブラックジャック、斧、大型ハンマー、バールのようなものは言うに及ばず、宗教的な意匠が彫られた短剣に長剣、さらにはリボルバー拳銃やダイナマイトまでそこにはあったのだ。

「チャカは俺にくれ。他の連中よりは手慣れてる。汚れ仕事もな」

 そう言って熊田は拳銃を手に取った。

「そうですね。それは熊田さんが持つのは最善でしょう。だけど注意してください。弾は弾倉内の6発だけです」

「了解した! まかせてくれ。ついでにこれも」

 熊田は拳銃を素早く腰の後ろでベルトに挟むと共にダイナマイトも懐にしまい込んだのだった。

「この剣はなに?」

 ウーピーが訊ねた。

「これは魔法の剣ですね。魔力をこめれば通常とは桁違いの破壊力があるといわれています」

「いいんだけど、かさばるね。こっちの短剣にしときましょ」

 ウーピーが選んだのは儀式用の短剣だった。これにも何かしら魔力が秘められているのかも知れない。

「あと、この星の暦もお持ちください」

 せりかが武器とは別に懐から鄭重に取り出してウーピーに手渡したのは、悍ましい何か生き物のようなものが浮彫となった石版の一部であった。

「これは?」

「きっと役に立ちます。わたしたちの最終兵器です!」

 そう言ってせりかはぎこちなくウィンクしてみせた。しかし軽々しく扱えないものであることは手に触れた瞬間に理解できた。

 ウーピーは星の暦を恭しく両手でいただいて懐に収めたのだった。

「なら、おれはこいつだな。料理人にはうってつけだぜ」

 そう言って数ある凶器のなかから取り上げたのは肉厚の刃の肉切り包丁だった。相当な年季が入っていて柄はドス黒く染まり、刃こぼれもいくつか見られた。カルト教団の中にあって何を切ってきたのか想像したくないような禍々しさを帯びていた。

 その他、携帯できそうなものを各自いくつか選び取っていったが、大きなものはとりあえず教会に置いておくことにした。

「これで準備は整ったな。で、これからどうするカチコミか?」

 熊田は銃の感触を確認しながら言った。

「おいおい、いくらなんでも3人じゃ多勢に無勢だろ」

 遠土が熊田をたしなめる。

「そうね。まずは町のこと、知りたい」

「なるほど、まず内部事情の調査ですね。ダゴン秘密教団は信者がかなりの数に上り、彼らは町ぐるみで団結しているので、外部の者がうかつに近づくとすぐに不審がられてしまいます。でも、少しでも情報を集められるような手がかりがあれば……」

 ウーピーの提案にせりかはしばし考え込むと、ふとアイデアを思いついたように続けた。

「実は今回のルルイエ浮上基金のことを教えてくれた印妻洲の近隣に住む情報提供者がいます。彼ならもっと内部の情報を知っているかも」

 せりかの発言にウィリアムも力強く頷くと吠えるように言い放った。

「協力者を探せ! そして内部事情を探るのだ! 情報こそ勝利への鍵なのだ! さあ、行け。我が忠実なる信徒たちよ。汝らの行く手にナイアルラトホテップの渾沌の恵みあらんことを!」

 そう言い終えるなり、白眼を剥き、口からは泡を吐き始めてしまったため、一同は大慌てになってしまい、その日の集会はぐだぐだに終わってしまった。

第2章 印妻洲の影

 翌日、遠土、ウーピー、熊田の3人は、ダゴン秘密教団の本拠地、印妻洲(いんつます)に向かった。そこでせりかの語っていた情報提供者への接触を試みることにしたのだ。

 たどり着いた先は印妻洲の近くで細々と商売をしている佐久間という老人で、教団とは直接関係はないものの時折、教団の信者たちに商品を卸しているということだった。

 「……あんたら、見かけない顔だが、何か用かね?」

 3人が店先に現れると、佐久間は警戒心を浮かべた。何かに怯えている。そんな素振りが見え隠れしていた。

 さすがにウーピーはいつもの教団のローブではなくTシャツにデニムのショートパンツでアメリカ人観光客を装った普段着を着ているので怪しさは軽減されているとはいえ、3人の風体はやはり怪しさが仄かに漂っているのだろう。

 ウーピーが微笑みながら屈託のない挨拶をして、さりげない世間話をしていると、佐久間は迷い迷いまがらもいろいろと話してくれはじめた。

「あんまり詳しく話すわけにはいかんがな――」

 そう言って前置きをしながらも、訥々と老人は話す。どうやら普段はあまり話し相手もいないので、人と話すのがうれしいのかもしれない。

「あそこの連中は変わってるんよ。女が教主をしてるが、どうにも異様な雰囲気を感じるね。それに最近は、あの町で人が消えるって噂もちらほら聞くしの」

「人が消える? 爺さん、それって神隠しとかそういうのかい?」

 熊田が少し顔をしかめつつも、さらに詳しく話を引き出そうとする。

「神隠し? いやいや、あいつらが邪悪な儀式でもやってるんじゃないかって話だ」

「生贄ってわけか。爺さんは実際に見たことあるのかい?」

「いんや、滅相もない。でもな。あいつらも結束が固いわけじゃない。そういう話を愚痴混じりにポロポロ漏らす連中はいるんじゃよ。信者たちは皆、わだつみを盲信しておるが裏では幹部連中が何やら揉めてるって話も聞いたなぁ。ま、あまり深入りするもんじゃないがな」

 そう言うと、言い過ぎてしまったことに気づいてしまったらしく、急に口を固く閉じてしまい、もう「ああ」とか「うん」とかしか言わなくなってしまった。

 これでは拉致があかないと思ったのか、いきなりウーピーがゴスペルを歌いはじめたのだった。

 あまりに唐突なことに熊田も遠土も面を喰らってしまったが、これが効果覿面だった。

 シスター・ウーピーがその場で一曲、優しくも情感のこもったアカペラで披露すると、その美声に佐久間の顔に驚きと感嘆の色が浮かび、次第に緊張が解けていくのがありありとわかった。さすがは星の智慧派のシスターである。その歌声には人を魅了する魔力のようなものを秘めていたのかも知れない。遠土と熊田は顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。

 「…いやぁ、こんな素敵な歌声を聴けるなんて思わなんだ。ありがとうよ、お嬢さん」

 佐久間は少し口元を緩めて、ウーピーに礼を言った。そしてしばらく黙っていましたが、やがて打ち明けるように話し始めたのだった。

「いやね、行方不明になってるのは、最近じゃ主に若い男や女だよ。年は20代が多いらしい。外見は様々だが共通して“見た目が良い”って評判の子ばかりときてる」

 老人は声を潜めて、さらに続けます。

「それにな、消えた人たちは皆どこか外から来た者で、町の者じゃない。ある日突然、あの教団の町に出入りするようになったと思ったら、姿を見せなくなるんだと。町の者にその話をすると、みんな口を閉ざすし、何か恐ろしいことがあるんだろうよ……」

「行方不明者っては、もしかして教団に入信したとかじゃないのか?」

 遠土が単刀直入に訊いてみた。

 佐久間は遠土の質問に少し首をかしげ、記憶をたどるように考え込んだ。。

「そこなんだが、妙な話でな……あの連中が教団に入信したっていうのは聞いたことがないんじゃよ 。行方不明になるような連中はきまって最初は普通の観光客や仕事で来てる風なんだが数日もすると妙に無表情で物静かになっていくんだ。まるで意志が抜け落ちたみたいにな。何人もそういう若いのを町で見かけたよ。それで、ある日を境に姿を消すらしいの」

「やっぱり入信したみたいだよな。姿を消すっていうのも出家とかそういうのあるし。ところでその教団への入信方法って知ってます?」

 遠土はズケズケと佐久間に質問すると、さすがに佐久間も少し困った表情を浮かべだした。

「そこははっきりとはわからんが、どうやら正式な入信方法ってのはないらしい。何かしらの理由で町に滞在している者を選び秘密裏に接触しているのかもな」

「それでなんだが、教団本部の詳しい所在地はわかりますか? 町の中にあるとだけは聞いてるんですが」

「教団の本部があるのは、町の中心部にある古い漁師宿の跡地だよ。今では教団の施設に改装されていて外見はただの古びた建物に見えるが、実際には中に広大な地下施設が広がってるなんて噂も聞いたことあったな。町の住民たちは『教主様のお屋敷』なんて呼んでいて、ほとんどの者が立ち入ることを許されていないよ。命が惜しいなら近づかないことだな」

 その後も佐久間老人とは話してみたが、特に有益な情報は得られなかった。彼はなるべく必要以上に印妻洲の町や住民たちには近づかないようにしているため、情報のほとんどは怪しげな噂や伝聞ばかりで確たる証拠のある話でもなかった。
 あとは実際に現地に赴いてみるしかなさそうだと判断した3人は佐久間に礼を述べて彼の家を後にした。

「わたしたちもカルトだからわかる。彼らも儀式をしているね。間違いないよ」

 ウーピーは真顔で話した。

「だろうな。このままのこのこ町に行って潜入のために儀式に参加でもしようものなら、あっという間に支配下に置かれてしまうだろうよ」

 熊田が苦々しげに吐き捨てる。

「そうだ、せりかに相談しよう。せりかならわかるかも」

 そう言うとウーピーはスマホを取り出し、せりかに『ダゴン秘密教団の儀式で魅入られらら支配下に置かれてしまう。対抗の手段ない?』とメッセージを送った。

 せりかからの返信は早かった。

『そうですね…ダゴン秘密教団の儀式は、その異様な力で人々を魅了し、意志を奪っていくという話は聞いたことがあります。対抗する手段として考えられるのは、まず「強い意志」を保つこと。何か自分をしっかりと保てる“信念”や“目的”があれば、魅入られにくくなると言われています』

 さらに続けて、せりかから追加のメッセージが届いた。

『それとナイアルラトホテップ神の加護を一時的に得るための小さな護符を持って行くのも手です。もし希望するなら護符をお渡しします。あくまで一時的なもので強力な効果は期待できませんが精神的な防御には役立つかもしれません」

「そうだ、シスター。せりかちゃんに人数分の護符を届けてもらえないか訊いてみてくれないか」

 熊田の提案に同意したウーピーはせりかに護符を持ってきてもらうよう依頼してみた。

 せりかからすぐに返事が届いた。

『人数分の護符ですね、了解です! なるべく急いで準備しますね』

『交通費は大丈夫?』

『交通費は…シスター、お気遣いありがとうございます。でも教団の危機ですから、そこは気にしないでください! これも皆さんのためと思えば大丈夫です!」

 せりかは護符を持ってきてくれる手はずを整え、到着するまでの時間を知らせてくれた。夜までには到着するとのことだった。

「せりかちゃんが到着するまでに、今夜の宿を探さないとな」

 そう言って遠土は印妻洲町内にある宿泊先をスマホで調べてみた。

 小さな漁師町ということであったが、最近は観光にも力を入れているということだったので、祝は先候補3箇所もあった。

  1. 「海風荘」 町の外れにある小さな民宿。宿の管理人は地元民だが、どうやら教団との関わりは薄いようだ。

  2. 「印妻ホテル」 町の中心にある宿泊施設。街の規模にしては大きめのホテルだ。教団の関連施設かも知れない。

  3. 「釣り宿さざ波」 港の近くの釣り客向けの簡易宿で比較的地元の風習や情報が集まりそうだ。

 3人には情報の入手のしやすさと、教団に気どられるリスクを天秤にかけながら、どの宿にするか検討したが、

「虎穴に入らずんば虎子を得ずです!」

 ウーピーの鶴の一声で一番リスクの高そうな印妻ホテルに宿泊することになった。

 熊田と遠土もせりかも泊まることを考慮すれば、別の安全性の面からもホテルしかないかなとは思ってはいたのだった。

 そうと決まれば話は早かった。駅まで護符を携えたせりかを迎えに行って、合流すると、その足で印妻ホテルへと向かった。

 規模としては中くらいの温泉ホテルくらいであったが、それなりに整った宿泊施設のようではあった。

 ホテルのフロントには無表情な中年男性が立っており、訪れた4人にゆっくりと視線を向けてきた。

「いらっしゃいませ…ご宿泊ですか?」

 彼の声には抑揚がなく、どことなく冷たい印象を与えるが、宿泊客としては特に不審がられていないようだ。

 ロビーには数組の客が談笑している姿も見えるものの、彼らが町の者なのか外部の人間かの区別はつかなかった。

「今夜、部屋は空いてます? ツインで2部屋なんだけど」

 遠土がフロントに話しかけた。

 フロント係は無表情でパソコンの画面を確認し、ゆっくりと頷いた。

「はい、ツインルームで2部屋、今晩ご用意できます。料金は一泊一部屋につき8,000円になりますが、よろしいでしょうか?」

 彼は丁寧な口調だが、どこか機械的な態度に見えた。部屋の鍵を準備しながら目を伏せているため、こちらを警戒しているのかもわからない。

「ちょっと小耳に挟んだんだけど、最近この近くで頻繁に人がいなくなると噂は本当なの?」

 遠土はぶっきらぼうに訊いた。他の3人はいきなりのド直球な質問にひやひやした。

 フロント係はふっと一瞬手を止め、顔を上げて遠土を見つめた。そして、わずかに眉をひそめた後、淡々とした口調で答えた。

「そのような噂が流れているのは耳にしていますが、たちの悪いデマでしすよ。印妻洲は最近、観光で景気が良くなっているので、よその町の方がやっかみ半分に勝手に噂を立てているだけでしょう。困ったものです」

 再び視線を落として手続きを進めるものの、ウーピーはフロント係の無表情な態度の裏に微かな緊張と警戒心を感じ取った。

 ただ淡々と接客をしているように見えるが、質問に対して冷静に答えつつも、どこか「深く関わらないようにしている」という意図が垣間見えたのだ。

 さらに彼の表情の硬さからフロント係自身もこの町や教団の活動に対して何かしらの不安を抱いているようにも見えるが、その真偽はわからない。

 一方で熊田はふらりとフロントから離れてロビーに居る客に近づいて聞き耳を立てていた。

 客たちの会話に耳をそばだてると、2人の中年男性が小声で会話を交わしているのが聞こえてくる。内容はどうやら、この町で最近起きている出来事についてのようだ。

「……やっぱり、また誰かいなくなったらしいな。先月も似たようなことがあったって話だし、気味が悪い」

「あぁ、特に若い連中が多いって。外から来て、いつの間にか消えちまうって」

「やっぱり教団の……町の連中は皆知らんぷりだけどな」

「下手に首を突っ込んだら自分も巻き込まれるぞ。お前も気をつけるんだな」

「おれはもう若くないし、この顔だ。まったく問題ないね」

 そう言って自ら重苦しい雰囲気と緊張をほぐすようにガハハと笑い合うのだった。

 そこに遠土が「こんばんは」と声をかけると、二人の中年男性は一瞬驚いたように顔を上げますが、すぐに愛想笑いを浮かべた。少し警戒している様子はあるものの、遠土のフレンドリーな態度にほっとしたのか、片方の男性が口を開いた。

「ああ、こんばんは。珍しい顔だね。この町に来る人はあまりいないもんだから」

 もう一人の男性も少し興味を示し、遠土に話しかけてきた。しかし会話に応じてはいるものの警戒の色はまだ失せていない。

「観光かね? それとも何か用事でも?」

「おれたちは教だ……」

「カンコーきましたね! Sightseeing! ニッポン、サイコーね!」とウーピーが遠土の言葉を遮って叫んだ。

 どうみても外国人観光客にしか見えないウーピーの姿に二人の中年男性は納得して、内心少しほっとした表情を見せるのだった。

「観光か、そりゃいいね。ここは静かで海も綺麗だし、魚もうまい。まあ…ちょっと変わった場所ではあるけど気に入ってくれるといいな」

「でもな、この町のことをあまり深く知ろうとはしない方がいいぞ。外の人には関係のないことだ。観光ならただ景色を楽しんで帰るのが一番だぜ」

 二人はやんわりと忠告をしているような口調だ。

「それにしても、おねえちゃん、アメリカ人かい? さすが本場はデカいね!」

「Yes! アメリカ人、みんなみんなこれくらいよ。あなたこそsmallねぇ」

 ウーピーは失礼な物言いのおじさんたちに朗らかな笑顔で言い返してやった。こうなると、おじさんたちも愛想笑いを浮かべるしかない。

「ところで我々には若い女の子もいるし大丈夫ですかね? 日中でも行かないほうがいい場所とかありますか?」

 機転を利かせて熊田が男たちに質問した。

 2人の男性は一瞬顔を見合わせ、少し神妙な顔つきになる。片方の男性が低い声で答えた。

「……若いお嬢さんも一緒だったのか。それならなおさら気をつけたほうがいい。この町で最近行方不明になるのは若い者ばかりだからな」

 「特に夜は、町の奥まった場所や教団の建物には近づくな。表向きは観光客に優しい町だが、あの教団の周りでは何が起こっても不思議じゃない」

「教団って何です?」

 またもや遠土は空気を読まず、いきなり核心部分の質問を投げかけた。

 二人の男性は再び顔を見合わせ、少しためらいがちな表情を見せるしかなかった。しばらくの沈黙の後、一人の男性が慎重に言葉を選びながらこそこそと話しはじめた。

「言いたかないが、この町には、いわゆる“新興宗教”の教団がある。たしか『ダゴン秘密教団』とかって名前で外からの観光客には普通は関わることのない連中だが、住民のほとんどが教団の信者だから関わらないようにするのも難しいんだよ」

 ようやく聞き取れるくらいの小さな声で男は釘を刺すように忠告してくれるのだった。

「え、ふたりは信者じゃないんですか?」

 遠土の大真面目な問いかけに、二人の男性は一瞬驚いた表情を見せますが、すぐに首を横に振ってぷっと失笑した。

「いやいや、それはないって。おれたちはただの外の人間だ。この町には仕事で来ているだけだから教団とは一切関わってない」

「関わりたくもないね。この町の住民たちは逆らえないが我々のような外の者は必要がない限り深入りしないのが鉄則だよ」

「おい……」

 男のひとりがもうひとりの男に目配せした。視線の先にはフロント係の視線がこちらに注がれている。それに気付くともうひとりもまた急に落ち着きがなくなり、さっさと話を切り上げると部屋に戻ると言って立ち去ってしまった。

「監視されてるな」

 熊田は用心深く周囲を窺う。どこに教団の目があるかわかったものではない。

 しかしマイペースな遠土はフロントに置かれている新聞を調べてみようと手に取ったものの、扱い慣れていないためか新聞を開こうとして破ってしまったのだった。

 思いの外に大きな音でロビーにいた他の客やフロント係が一斉にこちらに視線を向けられた。やばい。3人とも気まずい空気を感じないわけにはいかなかった。

「……お客様、新聞は大切に扱ってください」

 フロント係は冷ややかな視線を向け静かに注意を促した。

 他の客も遠土たちを少し不審そうに見ている様子で、これ以上目立つと彼らに対する警戒心がさらに高まりそうだったので、4人は仕方なく案内された部屋に行くしかなかった。

 ウーピーとせりか、遠土と熊田とで2部屋に分かれて泊まることにした。

 真夜中、ウーピーがふと目を覚ますと、部屋の隅に影のようなものが揺らめいているのに気がついた。

 月明かりがかすかに差し込む中、その影はゆっくりと形を変え、次第に不気味な姿が浮かび上がる。まるで人の形をしているようですが、表情もなく、ただじっとこちらを見つめているだけ。ウーピーが目を凝らすと、その影はふっと消えた。

 せりかも不安げに目を覚まし、ウーピーに小声でおそるおそる囁いた。

「今…何か見えましたよね…?」

 二人は緊張感を感じながらも何もない部屋をただ見つめていた。

 すこし時間が経過してから、ようやくウーピーは影があった場所を慎重に調べ、何か痕跡が残っていないか確認してみたが、特に目立った変化や手がかりを見つけることはできなかった。

 影の存在が一時的な幻影のように感じられ、ただ不気味な気配だけがそこに残っているかのようだった。

一方、遠土と熊田の部屋では、かすかな水の音を聞いた。最初は気のせいかと思っていた二人だったが音はだんだんと大きくなり、まるで部屋中に水が満ちていくかのように錯覚させるほどになっていった。遠土が部屋の床を見下ろすと、確かに水滴が広がっているのが見える。次の瞬間、視界の端に小さな魚が跳ねるような影が見えたかと思うと、その影はふっと消え、静寂が戻ってきた。

「…気のせいじゃなかったよな、今の…?」

 熊田は完全に怯えていた。

 そして二人は男ふたりながら朝まで身を寄せ合い、不気味な静寂に包まれたまま再び眠ることができなかった。

 翌朝、4人は逃げ出すように部屋を飛び出ると、それぞれ昨夜の不気味な出来事について話し合った。

 熊田はフロントに向かい、昨夜の出来事について話を切り出してもみた。

「当ホテルではそのような現象が報告されたことはありません。お客様、もしかすると疲れやストレスで何か幻覚を見られたのかもしれませんね。この町は静かで安心して過ごせる場所ですので、どうぞごゆっくりお過ごしください」

 案の定、フロント係は話を聞くと、一瞬だけ顔色が変わったように見えたが、すぐに慇懃無礼に返答しただけだった。

第3章 ダゴン秘密教団 

 潜入二日目。4人は印妻洲の町を二手に分かれて調べることにした。

 ウーピーと熊田は教団施設について情報を探ろうと町を歩き回ってみた。しかしなかなか有益な手がかりは得られなかった。

 田舎の人らしく温厚そうな町の住民たちを選んで話しかけてみるも教団に関する話題になると口を閉ざしてしまうのうのだった。町全体が確実に教団の影響下にあり、何かを守っている重い雰囲気を感じないわけにはいかなかった。

 教団施設の全容についてはネットで検索すれば出てくる程度のことしかわからず、あわよくばと思っていたのだが、夜に忍び込むための抜け道や隙を見つけれたらという淡い期待も完全に崩れ去った。建物自体は町の中心に位置していることはわかってはいるが、観光地というわりには、どこの町でも見かける住居表示街区案内板の地図すらまったく見かけることがない。それどころかわざと道に迷いやすいようにしたかというくらい路地は細かく分かれ、入り組み、そして曲がりくねっていた。

 地元の人々に尋ねても「ここには必要ない」とそっけなく答えられるばかり。彼らは明らかに外部の者が町を詳細に知ることを警戒している様子だった。

「これじゃ、八方塞がりね」

 ウーピーは途方に暮れて肩をすくめてみせる。

「まったくだぜ」

 熊田がイライラしてぼやいた。

 わりと脳天気なウーピーは気づいていないようだったが熊田の気が昂っているのは、今朝からずっと自分たちを監視するような視線を感じているからでもあった。商売柄、否応なしに感じてしまうヒリヒリとした見えない悪意がどうにも腹立たしかった。

 一方、遠土とせりかは別の作戦を考えていた。

 4人で相談した結果、噂が真実なら見た目のよい若者は教団に勧誘されるのではないかと期待したのだ。

 とはいえ、ウーピーは最年長の40歳、熊田も遠土も30代。しかも見てくれがいいかどうか人によるとしかいえないのだから、不本意ながら適任者は女子高生の弓削せりかしかいなかった。 教主の孫娘を囮に使うのは、みな抵抗を感じていたが、せりかが率先して、この危険な役目を引き受けると言ってきかなかったので、2時間ほど前からできるだけ町の中央部に近い人通りのある場所をぶらついていた。

 当然ながら遠土はせりかとは他人のふりをして、一定の距離を常に保ちつつ慎重に見守り、同時に周囲も警戒しなければならかった。

 せりかの美少女ぶりは目立つので、住民たちの目は頻繁に注がれる。それが物珍しさによる注目なのか、あるいは品定めをするためのものなのか判然とはしない。

「せりかちゃんは気楽なもんだな……」

 遠土は任務そっちのけで観光を楽しんでいるかのようなせりかを見張りながらも一時も気が休まるときがないことに辟易とするばかりだった。

 予定通り、せりかは人通りのある繁華街を後にして、今度はできるだけ人気のない場所へと向かった。

 すると、ほどなくせりかに近づく住民の姿が煙草を吸おうとしていた熊田の目に映った。

 もう老齢といってもいいくらいの地元の主婦然とした素朴な感じの女だった。

「お嬢さん、この町には初めてかしら? もし興味があるなら少しお話しませんか? この町には古い伝統と、特別な場所があるんですよ」

 厭味のない穏やかな笑顔を浮かべながら声をかけてきた。

「本当ですか? よかったらぜひお話を聞きたいです」と満面の笑みを浮かべた。

 声をかけられたら誘いに応じる。これも事前の打ち合わせどおりだ。

 女は町の奥まった小道へとせりかを案内し、せりかはそれに素直についていく。

 遠土は距離を取りながら慎重に尾行しようとしたが、不注意にも路上の小石を蹴ってしまった。その音が予想以上に完成な住宅街に響いたのだった。

 その瞬間、女性がピタリと足を止め、後ろを振り返った。

 遠土はとっさに隠れようとしたが、女性はせりかのほうに向き直ると、

「あら、お連れの方がいるのかしらね?」

 完全に気づかれた。遠土はバレたのならしかたないと開き直り、女性に丁寧に話しかけてみることにした。

「やあ、妹よ。こんなところにいたのか。探したよ。おや、あなたはどちら様で?」

「わたしはその……町の歴史をボランティアで案内をしている者で……」

 こうも真正面から来られるとは思っていなかったようで、遠土の大根演技に女のほうがしどろもどろになってしまった。

「そうでしたか、そうでしたか。なるほど。ボランティアの方でしたか。こんなお美しい御婦人がボランティアとは気が付きませんでしたよ」

 女はみえみえのお世辞も言われ慣れていないと見え、表情がこころなしか和らぐのが見てとれた。

「あら、失礼しました。ご兄妹(きょうだい)でしたのね。それなら、どうぞご一緒にいかがですか?」

「いいんですか。お言葉に甘えちゃいますよ」

「ええ、もちろんですとも」

 彼女は多少のためらいを見せたものの再び先に立って二人をさらに奥へと案内していった。

 やがて古びた建物の前に到着すると、女は「この町の歴史や信仰について少しでも知ってもらえたら」と優しく町の暦を話しはじめるのだった。

 遠土は一生懸命に話している女に気づかれないようスマホを操作すると、ウーピーに現在地を知らせておいた。これで万が一の事態が発生しても2人が駆けつけられる。

 話が一区切りつくと、今度は更に詳しい説明をと古びた建物の中に案内してきた。もちろん2人はついていく。

 建物の中は薄暗く、壁には古い漁具や伝統工芸の民芸品とおぼしき奇妙な海洋生物の彫刻が飾られていた。ちょっとした郷土資料館なのかもしれない。

 しかし奥へと進むにつれ、空気がひんやりと重く感じられ、ただならぬ不気味な静寂が漂ってくるのを感じた。

 不意に女は振り返ると、遠土とせりかににんまりと満面の笑顔を向けたが、その目には妙な光が宿っているかのように爛々としていた。薄暗い照明のせいなのか。

「ここでは、この町が大切にしている『信仰』についてお話ししましょうね。もしおふたりが興味を持たれるなら、もう少し深く、この町の秘密を知ってもらいたいとも思っているのです」

 彼女の言葉には誘いと警告が入り混じっており、教団の信仰と儀式に関する何かに引き込もうとしている雰囲気を感じた。

 遠土もカルト教団のメンバーだからこそわかることもある。かつて前のレストランをクビになった日に偶然にもシスター・ウーピーに勧誘されたことを思い出していた。

「はい、興味あります」と、遠土は少し食いつき気味に返事をすると、女性は満足げに微笑んだ。

 彼女の表情はどこか楽しげで、まるで獲物が罠にかかった瞬間を楽しんでいるかのようだ。これはビンゴだ。遠土は確信した。

「素晴らしいわ。この町の伝統に興味を持ってくださる方は貴重です。この場所はただの観光地ではありません。私たちは、ずっと昔から海と深く繋がり、その力を敬い続けてきました」

 女は歩きながら話し続け、どんどんと奥へと進んでいく。その突き当り、そこには展示物とは思えない、なにか祭壇のようなものが置かれていた。あきらかに怪しい。怪しすぎる。

 海を模した波のような模様が染め抜かれた青い布や、古びた海洋生物らしき異形の彫刻が飾られている。女は祭壇の傍らに積まれていた小さな冊子をせりかに手渡しながら言った。

「こちらの冊子にはね、私たちの教えと儀式についての簡単な説明が記されています。ぜひご一読ください。そして興味があれば…もっと深く教えを学びにいらしてくださいね」

「……あ、ありがとうございます」

 ぐいぐいと攻めてくる女に対して、せりかは少したじろぎながらも冊子を受け取った。

 遠土もまた、ここはひとまず切り上げたほうがよさそうだと感じた。

「いやあ、貴重な本をありがとうございます。これはホテルにてじっくり読んでみようかと思います。ちょっとここは暗いので」

 そう言って遠土とせりかは女性に礼を述べてこの場を後にしようとすると、女性は柔らかな微笑みを浮かべながらも一瞬だけ視線を鋭くなった。

「そうだ、また会いたいときはどうすれば? 連絡先を教えてもらえませんか?」

 と遠土尋ねると、女性は少し驚いたように目を見開きますが、すぐに柔らかな表情に戻った。

「あら、嬉しいわ。でもね、私たちは携帯電話などでの連絡はしない主義なんです。この町は狭いから直接会うことで繋がってますから。でも次にお会いしたいなら、夜にまたこの場所に来てください。この町が静寂に包まれる夜は、私たちの教えをもっと深く感じられる時間ですから……」

「夜ですね。わかりました」

 遠土はにこりと愛想笑いを浮かべたが、その背筋には嫌な油汗が流れていた。

「お気に召したなら、またぜひお越しください。この町の奥深い魅力を知っていただけると思いますから……」

 念を押す女の言葉の裏には、どこか「次は逃さない」という含みがあるように感じられ、遠土とせりかは背筋に冷たいものを感じながら慎重にその場を去ったのだった。

 這々の体で郷土資料館を出た遠土とせりかはウーピーと熊田と合流して、もらってきた冊子を4人でじっくりと読み込みますことにした。

「いい紙、使ってるね。高そう」

 ウーピーは内容より冊子の印刷や紙の質が気になってしかたなかった。貧乏カルトではこのような上質な紙にオールカラーでリーフレットなどとてもじゃないけど予算がない。

 さして文章量としては多くはなく内容も一見、海や自然を崇拝する原始アミニズム的な教えや、古くから続く町の伝統や伝承についての話が主だったものにすぎない。

 しかし遠土が言葉の端々に注意を払いながら読み進めてみると、どうにも奇妙な記述がいくつか裏に秘められているように感じた。

 「この『選ばれしもの、母なる海とのつながりに身も体も魂も大いなる力に包まれる』ってのが、どうも例の儀式のことみたいだな」

 遠土は指で指し示した。

「この『父なる海の呼び声に応じし者のみ真の安息を得る』ってのも胡散臭いぜ。あいつらはウチとは違ってかなり強引な勧誘をやってみるみたいだ」

 熊田も同意した。

「こんなのカルトの風上に置けません! 信教の自由です!」

 ウーピーも憤慨して言った。

「で、このまま儀式に参加してみるってかい?」

 熊田が苦悶を浮かべながら言った。明らかに乗り気ではなさそうだ。

「そうですね。私が“選ばれしもの”として潜入するのが手っ取り早いでしょうね」

「そいつはリスクが高すぎだ」

 熊田は即座に否定した。

 「教団幹部の中には、わだつみ教主に反感を抱く者もいるとのことです。彼らをうまく味方につけられればいんですが――」

「とは言っても幹部にも遭えてない今の状態ではね」

「こうなったら一か八かで正面突破しかないだろ!」

 あまり深く考えるのが苦手な遠土は投げやりに言った。

「正面から挑むのは危険です! 施設の見取り図や警備の状況もわかならないままではむざむざ捕まるだけですよ」

「それなら教主に従わない幹部を探すにはどうすればいいんだよ?」

「それは……信者たちの会話や儀式の準備の様子を密かに観察して、どうにかして不審な動きを見つけだせれば……」

「やはり儀式には参加しないと始まらないってか」

 やれやれだと諦めたように熊田が嘆いた。

「……ですね。でも私たちが見つかった場合のリスクが大きいですが」

「やろう! それしかないよ」

 特に名案も浮かばないのであれば、ウーピーの言う通り当たって砕けろなのかもしれない。4人は覚悟を決めて夜を待つことにした。

 それもこれも教団の借金を返済するためなのだ。

「こんなことなるなら、ヤミ金さん倒したほうが楽チンだったかもね」

 ウーピーの発言に一同ははっとしたが、みんな苦笑するだけで黙っていた。その手があったのかと……内心みんな思っていたのだが。


 夜が訪れると、4人は昼間に冊子をもらった郷土資料館へと向かった。町全体が静寂に包まれ、昼間とは違う不気味な雰囲気が漂っていた。人影は皆無だ。町の住民すら人っ子ひとりうろついているものはいない。

 だが建物の前に到着すると、中からかすかな光が漏れていた。

 4人は慎重に建物の中に足を踏み入れ、奥へ奥へと歩いていった。建物の内部は薄暗く、昼間よりも冷たい空気が漂い、祭壇のあった部屋からかすかな囁き声のような音が聞こえてきている。

 祭壇の部屋の前で、昼に遭った女が再び現れて4人に仮面のように微笑みかけてきた。いかにもなローブを纏っているため昼間見たときよりも一段と不気味さを感じるものだった。

「ようこそ。4人も来てくださったのですね。今宵は特別な夜なんですよ。この町の信仰をより深く知るための儀式が行われます。みなさん、ご一緒にどうですか?」

 女は明らかに儀式への参加を促してきた。なんだか断れない雰囲気になってきている。

 ウーピーが祭壇から聞こえる声に耳を澄まそうとしたが、古い建物ゆえ床板がギシッ音を立ててしまった。

 女はウーピーを鋭く睨みつけた。先ほどまでの優しげな表情は消え、目つきが鋭くなっていた。

「あらあら、勝手な行動はお控えくださいね」

 女の声には警告の色が強まった。これでは迂闊な行動は慎まなければ、何をされるかわかったものじゃない。

 祭壇の前まで行くと、祭壇の上には例の青い布、そしておぞましい彫刻が並べられていることに変わりはなかったが、布の下から微かに湿った匂いが漂い、まるで海水が染み込んでいるかのよう。気のせいか青い布の波模様がさざめいているかのように見えたので、はっとして遠土は目をこすってみた。

 改めて見れば、やはりただの波の模様だ。錯覚か……。

 そして祭壇の奥には見慣れないシンボルが刻まれているものを見た。それは波のような模様と生物的に奇妙にねじれた形が組み合わさって、魚人のごときおぞましい「深きものども」を象徴するものに似ていることに4人は気づいてしまった。

 さらに祭壇の端に置かれた小さな器に粘り気のある液体も見つけた。その液体は不気味な緑色で、どこか生命感を感じさせるような異様な輝きを放っていた。これを儀式にどう使うのかと考えるだけでも気が遠くなりそうだ。

 それと昼間はそれほど感じなかったが、遠土とせりかは魚が腐敗するときのあの生臭い臭いが部屋中に充満していることに気づいた。悪臭の不快感は4人をより鬱々とさせる。

 この場には女性の他に3人ほどの信者らしき人物がいた。さっきから虫の羽音のような低い声で呪文を唱えていたのは彼らだった。彼らは黒いローブを纏っているため、フードで顔がはっきりと見えないが、時折こちらに視線を向けているのがわかる。

ダゴン秘密教団一般信徒

 信者たちは無言で祭壇の周囲に立ち、例の女が中心となり儀式の準備を進めている様子を静かに見守りつつ4人を囲むように並んだ。これで逃げ道は塞がれたわけだ。

 そして部屋の奥にもう一人の人物がいることに気が付いた。その人物は他の信者よりもやや大柄で、黒ではなく緋色のローブを纏っており、その振る舞いにも威厳があった。

ダゴン秘密教団幹部

 「あれが幹部か――」

4人は直感的に見抜いた。彼は女性と時折視線を交わし、儀式の進行を見守っているようでもあった。また4人にも鋭い目を向けてもいる。

「ものすごいオーラを放っておられる。もしかして、あなた様がこの教団の教祖様であられますか?」

 熊田は軽い身のこなしで幹部と思われる男に近づくと大仰に話しかけてみた。

 すると幹部は驚いた表情を見せつつも、満足げな笑みを浮かべます。彼は少し誇らしげに胸を張った。

 「フフ……教主様はわだつみ様だが、私もその教えを支える重要な役割を担っている者の1人なのは間違いがない。私の存在を感じ取るとは君もなかなか感性が鋭いようだな」

 熊田のみえみえのお世辞に幹部は気をよくしてこたえた。見た目は厳ついが、わりと軽薄なのかもしれない。

「ワンダフォー! さすがナンバー2の方のお言葉は重いですねー!」

 ウーピーも幹部に向かって感嘆の声をあげた。

「わだつみ様の信仰を守り、この町の秩序を保つことこそ、我々幹部の務め。特に儀式の準備や信者たちの導きは私の大切な役目でもあるからな。君らも教の儀式によって生まれ変われることをわだつみ様に感謝するがよい」

 幹部はつらつらと教団や教主について褒めそやし、また自分の貢献度にして自慢話はしばらく続いた。

 そんな幹部の自慢話を聞いていたウーピーはこの幹部の内心が手に取るように見えるようで、思わず笑いそうになる口元を押さえねばならなかった。

 彼はわだつみ教主に対して表面上は忠誠を誓っているものの、内心では彼女のやり方や教団の方針に強い不満を抱いていることが明らかなのだ。彼の発する言葉の端々に教祖に対する僅かな苛立ちと、ある種の野心さえ垣間見えていた。さらに幹部は自分こそが教団の「真の指導者」にふさわしいと考えている節まであり、わだつみ教主がその座にいることに不満を持っているようでもある。

 ウーピーはこの幹部がわだつみに対する忠誠心が薄く、内心では彼女を排除して自らが権力を握りたいという野望を抱いていることを見抜いてしまった。

 彼こそが『ルルイエ浮上基金』を手に入れるための重要なピースであると確証したのだった。

「あなたのような素晴らしい方が幹部でしかないなんて信じられないでーす! きっと次期教主になるお方ではないですか。お会いできてうれしいです。何かあればお力になりたいです。どんなことでも。あなたが教主になったら本当に素敵ですね!」

 ウーピーの称賛の言葉に、幹部は驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべ、少し感動さえしたように満足気に頷きまでした。

 彼の顔には長年抱えてきた鬱憤がウーピーの言葉でほぐれたような安堵の色が見えた。

「おお、君のように私の真価を理解してくれる者が現れるとはな。本当に嬉しい。わだつみ様は確かに偉大だ。偉大ではあるが、そのやり方には限界があるのも確かだ。我は教団は、もっと強く、もっと繁栄すべきだと私は考えているのだよ」

 幹部は周囲を気にしながらも、昂奮を抑えつつ低い声で話を続ける。

「実を言うと、わだつみ教主は海と深きものどもに頼りすぎている。私はもっと教団の力を多方面に広げ、外部からの影響も取り入れるべきだと常々提案しているのだが聞き届けられない……もし、もしもだが私が教主の座につけば教団を新しい時代に導けるだろうね」

 4人は部外者にここまで自分の野心と不忠を漏らしてしまっていいものかと思わずにいられなかったが、やはり教団は巨大であるがゆえに歪みが生じ、不平不満も限界に来ているのかもしれないと思った。

 しかし、ここは教団の規模は異なれど、教団の運営の苦労を知っているシスター・ウーピーの共感力のなせる業なのだろう。

ウーピーが「もう少しゆっくり話を伺いたいので、別室でお話ししませんか?」と幹部に誘いをかけると、

「よろしい。ここでは話しにくいこともある。では、少し静かな部屋に移ろうか」

 と、ふたつ返事で了承したくらいであった。

 幹部は儀式を例の女に任せると言って4人を連れ出すと建物の奥にある静かな部屋へと案内した。

 幹部はドカッと椅子に腰を下ろすと、改めてウーピーたちに向き直った。

「ここなら誰にも邪魔されずに話ができる。君たちは本当に私の考えを理解してくれる貴重な存在だ。今後、協力関係を築いていきたいと考えておる」

「その口ぶりだと、もしや既にあなた様には次期教主になるための計画はあるのですか?」

 と熊田が尋ねると、幹部は一瞬だけ驚いた表情を浮かべますが、しだいに覚悟を決めたように真剣な眼差しになった。

 「君たちには、なかなか鋭い感性があるようだな。よろしい。私には策があるのだよ」

「それは教団の乗っ取り計画ですか?」

「まあな。しかし、わだつみ教主を直接排除するのは危険が伴う。あの方には海と深きものどもに繋がる力があるからな。だが私は“儀式の失敗”を利用して教主の地位を揺るがすことができると考えている。教主が次に計画しているのは百年ぶりにルルイエを浮上させるための最重要の儀式なのだ。もし、その儀式が失敗しでもすれば教団は大損害がでて、教主の権威も大きく揺らぐだろう。そのタイミングで信者たちを私の側に取り込み、教主の座を奪取するというのが私の計画だ。これなら深きものどもも関与できまい」

「素晴らしい! グレート! 完璧な計画です!」

「それでは、部外者である私達がそのルルイエ浮上基金とやらを密かに持ち出して儀式をできないようにしましょうか? そして、その資金を利用してあなたが教主になるための裏工作をしてはどうでしょう?」

「なるほどな。君たちが資金を持ち出し、儀式を妨害するわけか。しかもその資金を私が有効に活用して教団内での立場を固める……確かに、これは名案かもしれないな」

 遠土の提案に幹部は目を見開き、しばらく考え込む様子を見せた。

 しかし彼の口元はほころび、ついに計画が現実味を帯びたことに興奮しているのがひしひしと伝わってくるのだった。そしてまた話し始める。

「わかった。では、君たちがルルイエ浮上基金を持ち出す手助けをしようではないか。資金は教団の金庫に厳重に警備されて保管されている。だが私の立場を利用すれば警備を一時的に弱めることもできる。理由はなんどでもなる」

 4人は幹部の思いもかけない提案に内心笑いが止まらなかったが、かろうじてこみあげてくる快哉の笑いを噛み殺した。

「それで、肝心の金庫っていうのはどこにあるのでしょうか? さすがにしっかりした鍵がかかっているでしょうし、うまく金庫室に入れたところで持ち出せなかったら意味ありませんよ」

「金庫はこの建物の地下室にある。普段は教主直属の信者たちが厳重に見張っているが、私の指示で一時的に警備を外させることはできる。逃走経路も問題ない。金庫質近くの地下通路には万が一警察の手が入ったときのために秘密の通路があるのだ。これは教団幹部しか知らないものだから追手は来られない」

 遠土の質問に、幹部は信頼関係を感じているのか、なにも心配はいらないと詳細な情報を提供した。

「金庫の鍵は暗証コードと儀式用の鍵を併用して開ける仕組みだ。暗証コードは『1925』で、これはルルイエ浮上の象徴的な年にちなんでいる。鍵は私のを使用すればいい」

 この幹部の協力とここまで計画案ができていれば問題ない。4人は幹部の提案した計画に従い、ルルイエ浮上基金を金庫から持ち出す準備を整えるのに、そう時間はかからなかった。多少杜撰に見える計画だからこそ、どこかから計画が漏洩する前に一刻も早く実行するほうが確実だ。

 4人はその後も念入りに幹部と計画をすり合わせた後、すぐさま幹部は時間を見計らって警備の配置を変えるよう指示を出したのだった。

 ルルイエ浮上基金強奪計画はこうしてスタートした。

 幹部の指示ですぐさま信者たちがいなくなると、金庫へと繋がる地下への道が一時的に開かれ、絶好のタイミングが訪れた。

 幹部を先頭に4人は建物の地下へと進んでいく。地下の通路は薄暗く、湿気がこもり、地上よりもさらに魚の生臭い悪臭が鼻を突く。遠くで水滴の音が響く中、重々しい雰囲気が漂っている。

 金庫質の前に到着すると、

「私が行けるのはここまでだ。私もアリバイが必要だからな。あとで例のところで落ち合おう」

 幹部はそう言ってウーピーに金庫の鍵を渡すと、人目を忍ぶようにもと来た地下道を引き返していったのだった。

 ウーピーは無人の金庫室前で暗証コード「1925」を入力すると、電子音とともに電子ロックが解除された。

 予想外に大きな金庫室に入ると、左右には重要書類などが収められているのだろう。施錠された棚が並び、目当ての金庫は正面奥には壁に埋め込まれていた。

 ウーピーは身を屈めて大きな扉の鍵穴に鍵をさして回した。ダイヤル番号を幹部から聞いたメモに従って回していく。

 ガチャ――錠の開く手応えを感じたので、レバーを回した。重厚な金庫の扉をゆっくりと開ければ、そこには大量の金塊が整然と積み上がっていた。

「わーおっ!」

 ウーピーは思わず声をあげる。

 後ろから覗きこんでいる熊田は口笛を吹き、遠土は生唾を飲みこんだ。

 金塊は掌に余るほどの大きさのインゴット。映画で見るような大きなものではない。

「意外と小さいんだな」

 遠土がぼやく。

「これは1キロのインゴットですね。これでも1本で1500万にはなりますよ」

 せりかは冷静に言った。

「50本はあるな……ってことは、7億以上かよ!」

 熊田はにやりと微笑んだ。

「手分けして運び出そうぜ!」

 遠土は用意した袋に金塊を詰めはじめた。

 かなり重いが持ち歩けない重さではない。せりかはそんなに持てないだろうが、男二人とそれ以上に大きいウーピーなら楽勝だった。

 あとは教えてもらっていた秘密の通路を抜けて外に出るだけ。

 追っ手どころか人影さえ見当たらず、余裕で外に出られた。

「今夜は儀式だから人が少ないみたいだな」

 熊田が言った。

「ですね。よかったでーす!」

 ウーピーはひとり20本以上の金塊の入った袋を軽々と揺すった。

「気づかれないうちに。急ごう!」

 4人は連れ立って街灯を避け暗がりを選んで走った。

第4章 金塊のゆくえ

「ここだな」

 闇よりさらに黒くそそり立つ建物を前につぶやく。幹部と示し合わせた場所は町外れの廃倉庫だった。

 おそるおそる中に入るも、まったく人気なはない。どうやら敵の罠ではないのは確かなようだ。4人とも緊張の糸が緩む。

「で、これからどうする? まさかこの金塊をあいつにまんまと渡すことはないだろ?」

 遠土が言った。

「でも、私達に必要なのは3000万円ですし」

「多いに越したことはないですよ」

 ウーピーの言葉にせりかが言った。

「やっちまうか?」

 熊田は懐の拳銃に手を当ててニヤリとした。

「まるごといただくか!」

「待って。そんなことしたら、後で仕返しされるよ」

「そうですね。ここは成功報酬を要求するのが得策かと」

 せりかの一言で本心は決まった。

 そんなこんなで話をしながらしばらく待っていると、幹部が姿を現した。

「無事に持ち出せたようだな。計画は順調……教団の新しい時代が始まるぞ!」

 幹部は昂る感情を抑えきれないようで、声も自然と大きくなり、ガランドウの廃倉庫の壁に反響する。

「それでなんですが――」

 遠土がタイミングを見計らって交渉を持ちかけた。

「こちらもリスクを冒したわけですから、分け前として5000万円分だけ報酬をもらえないでしょうか?」

「なんだと?」

 幹部の表情が急に険しくなった。それも何か人間とは思えない残忍な怪物じみた表情がちらりと覗く。やはりこの幹部も怪物の血をひく者なのだ。

「いやいや、ただもらうだけじゃありませんよ。こちらもお金があれば、あなた様への協力体制をさらに強固にもできます。もちろん末永く今後もサポートも約束します!」

「……そうだな。おまえたちの協力には感謝している。少しの金をケチって裏切られては――」

 思案げに幹部が交渉に応じる気配を見せた、そのときだった。

 廃倉庫の入り口付近からいくつもの靴音がけたたましく響き渡り、人影がどっとなだれ込んでくるのが見えた。

「わ……わだ……つみ、さま……」

 愕然とした幹部の視線の先には大勢の男たちの真ん中に1人の妙齢の女性が立っていた。蒼白いほどに白い肌に白い服はまるで白い亡霊の影のようだった。

わだつみ教主

 わだつみ教主の表情には冷酷な微笑みが浮かび、目には怒りの光が宿っています。

「……あらあら、ずいぶんと楽しい集まりをしているようね? 私の信頼を裏切り、こそこそと計画を立てるなんて、さすがは優秀な幹部さんだこと」

 わだつみ教主は感情のない顔のまま抑揚のない声で語りかけてきた。

「これは、その……違うのです……その…………」

 幹部の顔はみるみる恐怖と焦燥感に染まってしまっていた。

「安心なさい。何も違いませんよ」

 わだつみ教主は冷ややかな目で幹部を見据えた。

「くそっ、あのマヌケ幹部め! 教主に全部バレてたのかよ……」

 熊田は独り言のように幹部をなじった。

「ど、どうしましょ……」

 ウーピーはいきなりの展開におろおろしている。

 しかし、わだつみ教主は4人など眼中にないかのように、ゆっくりと呪文の詠唱をはじめたのだった。

 彼女の周囲には異様な気がバチバチと漂い、空気が重く張り詰めていく。

 幹部は蛇に睨まれた蛙のように、その場に釘付けになったように動けず、恐怖に染まった顔でわだつみ教主を見つめるしかなかった。

「贖罪を受け入れるがいい……我が忠実なる同胞を裏切る愚か者にふさわしい末路を!

わだつみ教主が呪文の最後の言葉を唱え終えると、幹部の体が黒い炎に包まれ、瞬く間に焼け焦げていった。
 
幹部の絶叫が廃倉庫に響き渡り、異様な黒煙と共に幹部は息絶えたのだった。その姿は炭のように黒く変わり果て無残な姿を残すばかりだった。

「さて、あなたたちも無事で済むと思わないことね。ここまで協力してくれた礼として、少しは遊んであげるわ。」

 わだつみ教主は幹部の屍から視線を移す。静かな怒りをたたえたまま4人に視線を向け、冷酷な笑みを浮かべるのだった。

 わだつみ教主の周りに信者たちがぞろぞろと駆け寄って4人を取り囲む。

「わたしたちのものを返していただきましょう。それは大いなるクトゥルー様を復活させるための聖なる資金。1円たりともあなたたちのような下賎な者が手にしていいものではないのです」

 完全に殺すつもりだ。そう悟った熊田は相手が準備を整える前に実力行使すべきだと判断したのだった。

 わだつみ教主が配下に指示を出すその前に、背中にテープで貼りつけていたダイナマイトの1本をむしり取ると、すかさずライターを着火して火をつける素振りを見せたのだ。

 これには一同をどよめいた。切っ先を制すことができた。

 熊田は酷薄な薄笑いを浮かべると、でわだつみ教主と信者たちをじっとりとした目で睨みつけた。

 わだつみ教主の表情に一瞬の動揺が走るのがわかる。信者たちも半ば焦点が定まらぬ丸い目玉を見開き、一歩二歩と後ずさりする。

「こいつが爆発したら、お前らも無事じゃすまないぜ。命が惜しければ道を開けろ!」

 熊田はヤクザじこみの鬼気迫る気迫で威圧した。味方であるはずの3人までビビってしまうほどに。

 わだつみ教主もさすがに熊田の覚悟に気圧されたのか、冷ややかな笑みを引っ込めた。

「……いいわ、ここから出て行きなさい。でも次に会うときは覚悟なさい。我らの同胞、深きものどもはあなたがたを決して見逃しはしないでしょうから」

 しばらくの沈黙の後、わだつみは手を振って信者たちに道を開けさせた。

 4人はこの機を逃すまいと、最初はじりじりと後ずさりながら、そしてある程度の距離ができたら一目散に逃げた。幹部のように黒焦げにされたらたまったものではない。

「これからどうする?」

 走りながら熊田が訊いた。その手にはまだダイナマイトが握られている。

「駅はどう?」

 ウーピーが提案した。

「そうですね。まだ電車は走っている時間です」

 せりかはスマホの時計を確認した。まだギリギリ終電の時間には間に合う時間だ。

 4人は一路、最寄りの駅へと向かうことにした。印妻洲駅はこの廃工場とは比較的近い位置にあるのは僥倖であった。

 4人は重い金塊を抱えて急いで逃走を図ろうとしていると、背後に異様な気配が迫ってくるのを感じた。

 振り返ると、そこにはわだつみ教主の姿があった。執念深く追跡してきていたのだ。

 不思議と走ってはいない。まるでゆっくり歩いているようなのに距離が詰まっているのだ。

 しかもわだつみ教主はさっきまでの冷静さを失い、怒りを露わにして両手を天に掲げて召喚呪文を詠唱しはじめていた。

 暗闇の中、まるで空気がねじれるように不気味な光が収束し、巨大で異形の存在が次第に形を成していく。

 それは、おぞましい触手の生えた蛸のような頭部に鈎爪を備えた禍々しい上半身と脚のない蛇のような下半身をした異形の姿を浮かび上がらせ、異次元の恐怖をまとって地上に降り立ち、4人の前に立ち塞がったのだった。

 4人に恐怖と戦慄が走る。圧倒的に冒瀆的な存在を前にカルト教団に所属していたからこそ正気を保つことができたといえよう。常人なら確実に発狂していたに違いない。

「――クトゥルーの落し子!?」

 ウーピーが叫んだ。

「マジかよ。そんなの人間が敵う相手じゃねーぞ」

 熊田も恐怖を抑え込むように唸った。

「でも、ちょっと様子が違う……」

 せりかが怪物を見て首を傾げた。

「どう違う?」

「確証はないけど……あれは不完全な存在の気がします」

「不完全なら弱い、なんとかなるってことか?」

「それは……」

 せりかは言い澱んでしまった。

 しかし怪物は待ってくれない。4人を見つけるや否や巨大な頭部の触手をゴルゴンのように振りかざすと、完全に逃げ道を塞いだ。

「まさか逃げられるとでも? 落し子はおまえたちを逃しやしない」

 召喚を終えたわだつみ教主は魔力の消費に少し窶れて見えたが、その顔にはしっかりと勝利を確認しているように見えた。

「駅までもうすぐだっていうのに……」

 せりかが時間を気にした。ここで落とし子に殺されなくても、終電を逃してしまっても終わりだ。状況は果てしなく絶望的だった。

「シスター! こっちも召喚を! 星の暦を使ってください」

「わかったよ、せりか! バケモノに対抗できるのは神様だけね!」

 ウーピーは持ってきていた『星の暦』を握りしめると、すぐさま召喚呪文を唱える準備をはじめる。

「熊田さん、遠土さん、シスターが召喚するまで時間稼ぎを!」

「任せておけ」

 熊田はこちらの召喚までの時間稼ぎにと手にしたダイナマイトの導火線に点火すべくライターを取り出した。

 遠土も肉切包丁を取りだすと臨戦態勢ととる。

「往生際の悪いことを――」

 わだつみ教主は落とし子と挟み撃ちする格好で4人に迫っていく。

「教主のほうはわたしがなんとかします――」

 そう言うと、せりかは意を決したかのように後ろを振り向きざまに呪文を唱えだした。

 わだつみ教主は呪文を唱えさせまいと、鋭い爪をせりかに伸ばす――

 間一髪、せりかの手から魔力が解き放たれ、それは黒い焔へと形を変えた。

 刹那、わだつみ教主の身体に黒い炎がまとわりつき、締め上げるように燃え上がった。

「人間風情が……この私が……こんな……!」

 わだつみは驚愕の表情を浮かべ、必死に抵抗しようとしたが、呪文の力に逆らうことはできなかった。

 苦悶に悶える悲鳴が闇の中を切り裂き、彼女の身体はしだいに人形のようにぐったりと崩れ落ち、黒い焔に焼き尽くされていく。

 そして最期は灰のように崩れ落ちるかと思うと、アスファルトに人影の煤を残すだけで風に散ってしまったのだった。

 わだつみ教主は絶叫と絶命を前に、落とし子との繋がりも断たれたのか一瞬混乱した様子を見せた。

 熊田は落とし子の動きが緩慢になったことを瞬時に見て悟った。

「――いまだっ!」

 熊田は点火したダイナマイトを投擲したが、ダイナマイトは落とし子に命中する直前、その顔に生えた触手により払いのけられた。

 爆発は落し子より10メートルも離れた場所で虚しく爆発し、おぞましい落とし子の姿を瞬間的に照らし出し、パラパラと吹き上げられた土砂が雨のように降り注ぐ。

 そして、その浮かび上がる巨体は人間が太刀打ちできるような存在でないことを今更ながら思い知らされたのだった。

 落とし子は触手を波打たせ獰猛に襲いかかってくる、遠土は肉切包丁でどうにか対抗しようとしたが、そんなものが通用するはずもなく落とし子の手の鉤爪が遠土の体を容赦なく切り裂いたのだった。遠土の体が宙に浮いて吹っ飛ばされる。地面に打ちつけられる遠土を見て誰もが死を覚悟した。

「――遠土!」

 熊田が叫んでかけ寄ろうとしたが、落とし子は先回りして熊田を制する。

 今度は自分の番。ウーピーの召喚はまだだ。熊田は覚悟した。

 動きが俊敏な落とし子にはダイナマイトは通じないだろう。ならばと銃を抜いた。

 38口径のリボルバー拳銃。これがどこまで人ならざるものに通じるか自信はなかったが、もう手段を選んでいる余裕はなかった。

 落とし子はもう目の前に迫っていた。

 すぐさま腰から抜きざまに2発撃った。しかし焦ってしまったか狙いはわずかに逸れてしまった。

 やられる……落とし子の凶悪な鈎爪が自分を立てに引き裂く――そう思った瞬間、振り下ろされた落とし子の腕が熊田の眼の前で静止していた。

「――なっ!?」

 驚いていると、そこに何かの気配を感じとった。それも恐ろしい存在の気配を。

 落し子が何か悲鳴のような声をあげると、静止した腕が何か見えない拗られ、握り潰れるかのように歪んでいた。

「熊田さん、間に合ったよ!」

 ウーピーは精神的な疲労困憊に地面にへたばりながらもピースサインをして見せた。

「召喚が成功したのか!」

 熊田は改めて目を凝らした。

 するとどくどくと脈打つ音と共に今までは透明だったものが、みるみる赤く染まっていくではないか。

 それは無数の触手の塊としか認識できないものだったが、それが何か星の智慧派の一員であれば誰もが知っている存在。

『星の吸血鬼!』

 熊田、ウーピー、せりかはこの星の智慧派の秘術により召喚呪文させた怪物の名前を心のなかに思い浮かべた。

 もしクトゥルフの落とし子が完全体であり、しかも召喚者も健在であれば、いくら星の吸血鬼であろうと簡単に蹴散らされていたに違いないが、今なら充分に戦える。

 3人は期待を込めて戦いの趨勢を見定めようと目を凝らした。

 星の吸血鬼は落とし子の血を吸うことで透明だった体が今や半分ほど赤くなっているのが確認できる。

 赤い半透明の触手は空中を浮遊しながら、落とし子に絡みついて動きを封じようとしているようだ。

 周囲には胃酸に似た不快な臭気が立ち籠めていて、この2体のおぞましい戦いをより生理的に不快にさせる。

 2体の力は拮抗しているようだが、落とし子の方にまだ分があった。落とし子は赤い触手を引きちぎると頭の触手を震わせて猛り狂うのだった。

 このままでは星の吸血鬼は長く保ちそうもない。熊田はそう判断すると、再び拳銃を構えた。

 狙いをつける余裕さえあれば、この近距離かつ巨大な標的を外す道理はない。

 熊田はゆっくりと銃の照星と照門とを合わせてゆく。そして銃口の先にはクトゥルーの星の落し子のおぞましき頭が――

第5章 やがて来たるもの

 他に乗車客のいない最終電車に揺られながら4人は互いの顔を見合わせ、静かに微笑んだ。

 遠土ばかりは苦痛に顔を歪めて笑うどころではなかったろうが。

 生死を分けたのは防弾チョッキだった。即死間違いないあの鉤爪の攻撃にも防弾チョッキは耐えきり、遠土は命拾いしたのだ。とはいえ何本かの肋骨は確実に折れている。内臓に損傷がないとも言い切れない。このまま病院へ直行だ。

 ルルイエ浮上基金は手に入れた。しめて金塊52キロ。時価総額は8億円はあるだろうか。

 4人は満身創痍の中、疲れ切った身体をシートに沈め、心からの安堵のため息が漏れる。

 わだつみ教主は倒れ、ダゴン秘密教団に大きな打撃を与えたものの壊滅にはほど遠い。なにしろ彼らの本当の本拠地は自分たちの手の届かない深海にあるのだから。陸上の拠点は彼らの橋頭堡にすぎないのだ。

 この強奪計画の成功により得た金塊は星の智慧派の借金はおろか再興のための充分な資金となってくれよう。これで5人にまで減っていた教団はかつての勢いを取り戻してくれるかも知れない。

 だが4人は誰もが一抹の不安を感じているのであった。この大金を奪回すべくダゴン秘密教団は血眼になって自分たちを探すだろうし、遠からず見つかってしまうに違いない。またダゴン秘密教団だけではなく、他の神を崇めるカルト教団もこの大金のことを知れば、当然のごとく狙ってくるはずだ。今回の自分たちのように……

 せりかは窓の外に流れる夜景をぼんやりと見つめながら、ふと背後に誰かの視線を感じた。

 振り返ってみると、そこにはただ揺れる車内の暗い影だったが、その瞬間、何か見えざる力が背後に潜んでいるような錯覚を覚えた。

 「これで…終わったんだよね?」

 ウーピーもナイアルラトホテップの護符を握り締めながら本心とは裏腹ながら呟いた。

 遠土は曖昧に頷きつつも、どこか心が晴れない表情を浮かべた。

 熊田は静かに遠くを見つめ、手にした金塊の重みを感じながら、今後も訪れるかもしれない未知の危険に思いを巡らせていた。

 電車が静かに夜の闇を走り抜ける中、4人の心には勝利の余韻とともに不可解な影が小さく刻みこまれていた。

〈終〉

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