シナリオライターは芸術家ではありません

タイトルの言葉は、一時期、他の新人ライターたちにライティングの方法を教えていたときに言ったこと。
クリエイティブ職なので世間でも勘違いされがちだが、私たちシナリオライターは決して自分の思うままに表現する芸術家ではない。少なくとも私はそう考える。
そのため、「私のクリエイティブ力を存分に発揮したい」「私のセンスを世間に評価してほしい」という新人ライターがいたら、その願望に一度ひびを入れたほうがいいと思っていた。
「こんなはずではなかった」とライター業を楽しめなくなったら損だから。

シナリオライターの多くは、ゲームやアニメ、ドラマCDなどの制作会社から注文を受けてシナリオを制作する。
ライターが自分のセンスを思う存分に発揮できる例は非常に少ない。
発注者は発注者で、自分達の制作意図や狙いをもって企画し、ライターに発注しているからだ。
そうなると、いくらライターが「あなたたちのアイディアより、絶対に私のアイディアの方がいいと思う」と言い張っても、注文した側が「私たちはそんなもの望んでいない」と返せばそれまでだ。
こういうときの模範解答は、注文者のつけた条件を満たしつつ、その隙間で注文者の好みに合った自分なりの工夫を見せることである。
そんなに注文者が偉いのか? 偉いのだ。
なので、ライターは芸術家ではなく、デザイナーだったり職人だったり、注文者の望むものをうまく形にする職業のほうが近い、というのが私の持論だ。

なかには、「なんでもいいけど素敵なシナリオ欲しいな~」とぼんやり思いながら発注される仕事もある。これが難しい。
「なんでもいいんですよね?」と好きに書いて「なんでもいいと思ってたけど、これじゃないんですよね」と返り討ちに遭っているライターさんをたくさん見てきた。
なんでもいいと言われるお仕事を見るたびに「タダより高いものはないように、なんでもいい発注ほど問われるものが多い」と私は思っている。
一方、うまいライターさんは、クライアントの好みやパッションをうまく汲んで、「ああ、つまりこういう感じでいいんですよね?」とさらっと最適解を出してしまう。
相手の言語化されていない要望をきっちり形にしたうえに、自分の個性をうまーくさりげなーく忍ばせた人の原稿は本当に素晴らしい。
しかもこういう人は、最初の発注自体が誰が書いても厳しい結果になりえるものであっても、相手のやりたいことをきちんと理解できるので、「こういう形にしたほうが、ご要望に合っているのではないかと思うのですが……」といい感じに改変するのもうまい。
なので、私としては、「シナリオライターに必要なものは?」と問われたら、「個性とかセンスは後でどうにかなる。まずは、依頼されたことを着実にこなせる技能と相手の心を読み取れる能力」と答えるようにしている。
まあ、こっちのほうが難しいかもしれないけれども。

余談だが、出版業界で完全入稿データ、公的機関でギチギチに固められた仕様書を見てきた私は、むしろ「え、そんな自由な注文ありなんだ?」というシナリオ業界は新世界だった。
学生時代~出版業界では、必要な材料(素材、情報)が欠けていてセンスを発揮させる以前の段階でデザイナーを悩ませるような依頼はしてはならないと教わった。
実際に未熟だった自分が発注したり指示したりするとき、情報共有やすり合わせができていなくて、相手に無駄な仕事をさせてしまったこともある。非常に申し訳なかった。
そのせいか、制作会社でお仕事をさせていただくときなど、いざ自分が発注側に回ると「発注上手は七難救う」を合言葉にして、嬉々として資料を作りまくる。
その方がお仕事しやすかろうと。
いっぱい情報があったほうが、選択肢が増えるだろうと。
なにせ、自分はそういうライターだから。
必要な資料は全部つけて、どれから見るべきか優先度ガイドを添えて、ついでに資料をまとめた資料も作って。
しかし、世の中には資料がたくさんあると逆に混乱してしまうライターさんも一定数いるのだった。後はお察しください。
まだまだ発注上手への道のりは長い。

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