推しを好きで、だから苦しいの対処法
ありがたいことに、推しの話をした時に色々な方に褒めて頂くことがあり、なんでそうなったの?そうしているの?と訊かれることもあったので、過程を文字で残しておきます。
好きだから苦しいという人に向けて書いたもので
それぞれの好きの形がありますので、あくまでも気持ちの落としどころの一例としてください。
これが正しいとか、咀嚼出来ないことが悪いわけではありません。
真摯に何かを好きでいるほど苦しくて
何かを好きでいることは、誰しもがもった自由なのですから。
※長いです。暇つぶしに読んでください。
自分語り
私はボーカロイドの中でMEIKOさんが好きです。
しかし元々は初音ミクを知り、好きになり、それ以上に初音ミクファン、界隈そのものを好きになった人です。
面白い大人がいっぱいいる。凄い技術を持った人達が沢山いる!これはすごい!というのが切っ掛けでした。
総数が多いと、変なこと(良い意味で)をしている人が沢山いるので。
それをかなり遠くから眺めていたのですが、兄がどうも海外公演を回っている。楽しそう。
じゃあ自分も行くかとトロントに飛びました。楽しかったです。最高。
ナイアガラの滝も満喫しました。あれは良かったです。
その辺りから、ポツポツとライブにも行くようになったのですが、あれ?元から感付いてはいたけど、どうも私の推しであるMEIKOさんの扱いが良くないような……?
ちなみに何故MEIKOさん推しなのかは、もう覚えていません。
私は元々箱推しで、感謝祭の時には既にMEIKOさんがなんとなく好きで、それは単に赤色が好きだとか、最初はそんな程度だったのかもしれません。
全員がわちゃわちゃ、きゃっきゃしてるのが好みなんです。
だって全員可愛いし(私の脳内では)、良い子ですし(私の脳内では)誰かがつまはじきにされているのをこの子達は良しとしない(私の脳内では)。
しかし何故だ。MEIKOさん扱い微妙?と思って見ているうちに(※個人の感想です)、なるほど構造が見えてきました。
なのでそのときは納得しました。
(※満足したわけではない)
怒りや悔しさの掘り下げ
推しが雑に扱われているのは(性癖が歪んでいるので)愉悦でもあるんですが、悔しさはあります。
これは誰しもある感情なんじゃないでしょうか。
これを言うと、hiyoriさんでも悔しいんですね?!と驚かれることがありますが、Yes、悲しいと言い換えても良い。
なんで?!酷い!SHIT!という反射的な怒りの根本を考えた時に、好きなものが粗雑に扱われる悲しみだと理解したのが第一段階。
第二段階として自分の感情は本当に正しいのかを考えました。
MEIKOはクリプトンさんに愛されてないだとか、要らない子だとか。
私の中ではNOでした。
相手じゃないので、推論しか出来ませんが。
私の思い込みや単純化であると、私は定義しました。
フェイドアウトさせたいならそのまま放置でも良かったMEIKOとKAITOのV3を出した時点で、クリプトンさんは彼らを認めている。
出さなければ曲も出来ず、展開をしなくて済んだ。それでもV3として出してくれた。
少なくとも、見捨てているわけではありません。
では何故?まで自分なりに考えていきました。色んな要因があるのだと思います。正しいのかはわかりません。
単に、自分を納得させる理由が欲しかっただけなので。
V1時点で扱いが難しくPが使う人が少なかったこと、V3が出る迄に時間があり殆どの人はもう慣れたボカロを持っていたこと、ネタにされることが多くキャライメージの問題、オリジナル曲の少なさ(良い曲はありますよ!)、元々最初期にライブに求められていたのは「初音ミク」だったこと、若年層の取り込みに「鏡音」を推したこと(これはとても正しい。同級生くらいを好きになるのは自然ですし、新規が入らないジャンルは死滅していく)
クリプトンズの長期展開や「ボカロをインフラにする」目的であれば、現時点で人気や知名度が高い方から推すのは理解出来る。
これらを総合して別に愛がないのではなく、単に手が回っていないだけなのだと。
この時点での公式の扱いは悲しかったけれど、でも悪意がある訳ではない。
自分の中での落としどころを理論的に探しました。
(※感情は別なので、でもやだ!を否定しません。ソロで3000曲くらいライブして欲しいですよね!)
好きでいる=辛いにしないために
見ていて辛いものを好きでいるって私には難しかったんです。
だから楽しむことにしました。
楽しめないこと、悔しいこと、悲しいこと、それらも含めて、初音ミクもボカロもMEIKOも好きだから起こる感情なのだと。
ライブに1曲しかなくても、そのライブの1曲が照明が酷くて殆ど見えなくても、海外で周囲が座って休憩雑談タイムでも。
まぁいいか、前が良く見えるぜ。おっと透けてるぜ。うぇいうぇい!それはそれとして、旅行を楽しみ、他の人と話して、場を見ることに意味がある。
ライブだけを目的にしない。
期待はします。でも期待が裏切られても、それでもその場に居ることに意味を持たせようと思ったのです。
ダイエットのビフォーアフターと同じで、今を見るから万が一将来変わった時に実感出来る。
一人でも海外までMEIKOを追いかければ、法被を着ていけば、クリプトンさんは見てくれている。なら少なくとも1曲くらいはやってくれるだろう。MEIKOの出番が無くなることはないだろう(といいな)。
何かを好きになるからこそ、楽しくて悲しい。
無機質な日々でいるよりは、推しから与えられる全部の感情を愛しもうと。
もちろん「しんどい」感情から離れるのはアリです。
というかしんどい時は離れた方が良いです。
でないと本当に嫌いになってしまう。
許容出来ることは、人によって違うし、体調によっても違います。
キャラクターの良いところは、好き勝手に距離感を調整したって、相手はずっと変わらないでいてくれることです。
何度休んだって、離れたって、また戻れば良いのです。
酷い時を見ることで許せることが増える
これ良いのか悪いのか微妙なんですけども。
期待や喜びのハードルが下がるのは、解決策でもあります。
私もミクさんにはもっとこの曲だとか、新モジュールのどこがもうちょっとだとか思うんですが、MEIKOさんはもう新曲が来ただけで世界はハレルヤですし、新モジュール来たら全人類に幸あれって感じです。
この受け止め方が正しいとは思いません。
ちゃんと毎回、いや各自3曲はくれよ!って感じるという某さんみたいなメンタルも必要だと思います。
海外公演や初期の頃にMEIKO=休憩タイムになっているのを見ているので、今のマジミラで目立って座る人もおらず、赤のペンライト振ってくれるだけで感動出来ます。
幸福のハードルが低いんです。
私は見ていて辛いと好きでいられなくなるので、意図的に下げました。
もう1点、ミクスパートを観察して学んだことがあります。
数を見ることで、平均化された1例になっていく。今回は良かった、今回は良くなかった。そういう1パターンとして受け止められる。
試行回数が少ないとどうしても比重が高くなってしまうので、一時期は、なるべく見に行ってみることにしました。
そういう時もあるよね。と思えるように。
楽しめることを増やす
思い入れがあればあるほど、人は裏切られた時が辛い。
だから自分が楽しめる範囲を拡げていくのもオススメです。
マジカルミライであれば、ライブだけでなく企画展を。
企画展もダメならレイヤーさんを見て楽しんだり、グッズを求めたり、他人と交流しても良いですし、人の群れを眺めてムスカごっこしても良い。
何か一つだけを楽しみにすると、それがダメだった時のダメージが大きい。
なんなら旅行がてら近くのパフェ食べにいこうでも良いです。
自分が楽しめそうなものを複数用意しておく。
マジミラの時だけはお高いホテルに泊まるとか、マジミラの為なら新作のバッグや化粧品を買っても良いとか、推しと無関係でも構わない。
あとは物事には必ず表裏一体で、良い悪いがあるので、良い面を探します。
例えばMEIKOさんは非常にグッズが入手しやすいです。交換して貰えたり、あるから要る?と訊いて貰えることも多い。
ありがたい限りです。ありがとうございますヽ(´▽`)/
無理をしない
これ大事です。辛い時に我慢していると、結局ストレスが積み重なって、本当に嫌いになってしまうので。
もしくは疲れ果ててしまうので。
人は心身の調子次第で、許容量が違います。
お腹空いてると狭量になります。生物ですから。
やだな、許せない、今は嫌!となったら、するっと離れる。
心的パーソナルスペースを確保しておく。
表だって批判して、楽しんでる人を邪魔しろではありません。
常に推しの全てを礼賛しろでもありません。
ノットフォーミーだったな。次に行こう。
別のことを楽しもう。それで充分だと思います。
そして次に興味がありそうな、楽しめそうなものがあれば行く。
全てを許容しようとしないことです。
そして許容出来ない自分を責めたりしないことです。
全てを楽しめないのは、何も悪いことではありません。
感情をゼロサムで受け止めない
人間の感情は一つではありません。
矛盾した感情が同時に発生することもあります。
体調によって同じものへの感じ方も違います。
楽しめる時も許せない時もあります。
そして感情は移り変わります。その瞬間感じたことが真実でも、次の瞬間には別の感情を持つかもしれません。
ミクさん可愛い→あっちのミクダヨさん可愛い→ミクさん可愛い→あっドール可愛い→暑い死ぬ→ミクさん可愛い→レイヤーさん可愛い
これは全部真実で、暑い死ぬとミクさん可愛いは両立します。
同様にライブ楽しい凄かったと、もうちょっと推しの出番欲しかった悔しいも両立します。
どちらの感情も否定する必要はなく、1種類の感情だけを真としなくて良いのです。
もちろん、嫌なコトがあって全てが台無しだと感じてしまったならそれでも良い。
ただ後で落ち着いたら、本当に100%ネガティブだったのかは考え直してみると、発見があるかもしれません。
マウント的な価値観に乗らない
色んな人がいて、色んな考え方の人がいます。
幸いボカロ界隈は人が多いので、合わない人と無理に同調することはありません。(喧嘩する必要もありません)
のんびり楽しむ為には「○○くらいして当然」「○○しないとファンじゃない」的な価値観に乗らないことです。
好きの形は、人間の数だけあります。
その人にとってはそうだというだけで、人の邪魔をしなければどんな楽しみ方をしたって構いません。
何か事情がある人もいます。人は色々あるのです。
自分の好きと違うからといって、相手に愛がないと決めつける必要もありません。
愛してるから殴る人も、愛してるからエグい創作をする人も、愛してるからライブに行かない人も様々です。
別になんだって良い、貴方は貴方の愛し方で、推しを推したら良いのです。
長く楽しんでいる人ほど、その辺りを気にしてない印象があります。
グッズは買わないけど、初音ミクを追いかけて車でアメリカ横断する人だっていますしね。
この人はそう考えているのだな。自分とは違うなと受け止めて
けして「私はちゃんと推しを愛してないのかもしれない」だとか「自分の愛が足りないから」などと思わないことです。
公式の推しは別に公式じゃない
これすごく難しいというか、多分クリプトンや初音ミク周りだけの概念かもと思うんですが。
私の考え方としては、そうなんです。
マジミラのミクさんは「クリプトンの初音ミク」であって、別に「初音ミク」そのものではない。
貴方の家にも初音ミクはいるし、Pのところにそれぞれの初音ミクがいて、SEGAにもSEGAの初音ミクがいて、GSRにもGSRのミクさんがいて、プロセカにはカラパレさん家の初音ミクがいて、クリプトンが発信することが全てではない。
もちろん大きな流れを作るのはクリプトンです。
でも公式コラボだって、色んなパターンの初音ミクがいますしね。
公式がもし粗雑に扱うと周囲が追随するというのはあるので、それはやめて欲しいなとは思うんですが(※クリプトンさんがそうだというわけではなく)、でもミク界隈の場合、公式側とファン側と双方で概念としての「初音ミク」をつくっています。
だから仮にマジミラの解釈を楽しめなかったとしても、別にそれで良いんです。
貴方の推しはそうじゃなかった、今回はノットフォーミーだった。
それだけの話ではあるのです。
もちろんどうしてもマジミラで自己解釈の推しがみたいんだ!というのなら、アンケートで訴え続けて、そういうタイミングを虎視眈々と待ち続けるしかありません。
これ機会と割合の話なんですよね。
ミクさんであれば、何曲もあるから数曲解釈違いがあっても楽しめる。
でもKAITOくんとMEIKOさんは、殆どが1曲なのでそれで解釈違いを起こすとしんどい。
でも本当は同じように、偶々今回のその1曲は解釈違いだった。というだけなのです。
曲が少ないので、感情の落としどころが難しいんですけど。
深く考えない
最終的にはこれ。
楽しめるか楽しめないかって、その場に行ってみないとわからないです。
たまたま楽しいかもしれない。楽しくないかもしれない。
傷ついて帰ってくるかもしれない。泣くかもしれない。感動するかも。
それは現場に行かないとわからないことで、どちらにせよ自分で決めたならそれが正解です。
マジミラで例えてしまいますが、なんなら現場にいってみてやっぱり楽しめなさそうなら、入場直前でもその場で誰かにチケットを譲ってしまえば良い。
本当にどっちでも良いんです。
深く考えずにとりあえず行ってみてから決めるのアリです。
さいごに
長々と書きました。苦しい人が沢山いるなあと思いつつ
そういう方々はみんな真面目だし、推しを愛していて、愛しているからこそ辛い思いをしています。
本当に色んな受け止め方がありますし、私はたまたま様々な視点で楽しめるというだけに過ぎません。
貴方の推しライフが、この後もずっと続くように、自分の中の落としどころを見つけられますように。