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私は価値のある人間だ。

この言葉を題名持ってくると、やけに自信のある人みたいに見えちゃう

おそらく逆です。
これは、私のことをよくわかっている友達が私にくれた言葉。

私は三人兄弟の末っ子として生まれました。
兄が2人に待望の娘。 母は女の子が生まれるまで頑張ると言っていたそうで、生まれて女の子だとわかった瞬間、分娩台でガッツポーズしたらしい(笑)
普通だったら、可愛がられて育ったでしょうという感じ?
私からすると逆。
兄達とは仲がいいとはいえない。
全っ然可愛がられなかった。

多分だけど、無駄に賢かったんです私。
兄達より。
口も達者でよう喋る。可愛くなくて当然。
今だったら飲み込める言葉も当時は口をついて出ていたし。
妹なんて少しアホなくらいが可愛いものよね。

幼少期の遊び相手は専ら人形相手に一人でおままごとかお買い物ごっこ。
友達がいなかったわけではないし、大好きな母も遊んでくれてた。
兄達と遊ぶことはまあなかったなぁ。
別にいじめられてたとかではなく、兄弟はみんな一人遊びが上手だったのもある。
私も楽しくてやってたから、それが寂しいと思ったこと一度もなくて。

大人になればなるほど、兄が優しくないことは当たり前に。
思春期の私に平気でブスと言っていたし
兄達と違って一重だった私の目は祖父にそっくりだったので、「あれ!おじいちゃん、元気?」とよく言われていました。
あ、全く傷ついていないし、別に可哀想と思われたいわけでもないの!(笑)

兄達は私に何を言ってもいいと思っていたただけで、別に私を傷つけようとしていたわけじゃないんです。
それで笑って楽しんでただけで、私もそれをわかっていたから傷つきもせず。

当たり前に私は自分がブスだと思っていたし、いじられたりひどいことを言われても笑って流せる耐性がついていました。
改めて考えると環境ってすごいし、私は頑張ってもどうにかなると思わず努力をしませんでした。

実家を離れ一人暮らしになった大学時代もそう。
仲良くなった先輩たちからいじられてもそれが普通だったし。そういうキャラは需要があるとも思ってて、居場所だとも思ってたかも。

でも、良くなかったなぁと思うのは
自分で自分を下げてしまったこと。
ブスだと自分で言っていたし、私なんか…
というスタンス。
いじるネタを与えていたようなもの。

好きな人ができても、私なんか選ばれないと思ってた。

そんな大学3年生の冬に、友人がくれた言葉が題名の言葉。
とにかく自分を下げてしまう私に

「ねえ!!!
あなたは本当に素晴らしいし素敵なんだよ!!そんなこと言ってくるやつがいたらそいつがおかしいんだよ!!!
はい!
”私は価値のある人間だ”
って3回いってみて!!はい!!!」

「私は価値のある人間だ。
私は価値のある人間だ。
私は価値のある人間だ。」

「うんうん、それでいい!」

すごくないですか?
こんなこと言ってくれる人がいるの。

言霊ってあるもので
それからすこーしずつすこぉーしずつ、自分を下げることを公言しなくなりました。

時間がかかったなぁ。
さいきんになってやっと自分が少し好きになれたし、自分のことを認められるようになってきた。
自分を好きなのがすごいとかじゃなくて、自分で自分を下げる必要は本当にないの。
あと、こんなのよく聞くセリフだけど確実に!

可愛いは作れる。

お化粧や服装、理想の体型とかっていう外側はもちろんだけど、喋り方や立ち居振る舞い、人への接し方、気遣いとかの内側が素敵なら、その人は紛れもなく魅力的じゃない?

自分を下げることをやめたのがちょうど就活が始まった頃で。
図らずもちゃんとお化粧をする必要があり、東京に就職して職場や同期に影響を受けて身なりや振る舞いにちゃんと気をつけるようになった。
高校ぶりとかに会う友達には大抵、開口一番「え!綺麗になっちゃって〜!」
なぁんて言われるようになった。ほんとに!

周りの人からつけられたように感じる自分への評価は、変えられるみたい。

就職していろんな人と出会って感じたのは、自分を大切にしている人は素敵だなぁってこと!
過度な大切!って感じは自意識過剰だけど(笑)
自分を下げないって、日本人にとっては難しいこと。私は頑張っていきたいなぁ。

価値のない人なんてこの世にいないから!
もし、自分に自信のない人がこれを読んでいたら是非題名の言葉を口に出してみて欲しい。

自分の価値を決めてしまっているのって、案外周りではなく自分だったりして、ね。

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