天草四郎がジークに向ける感情の考察

今日はマシュマロにきてた質問の回答です。引用とかがうまくやれる場所がないからnoteですみません………

Q.アポクリファおよびFGOの天草四郎がジークのことをどう感じているのか未だ判じかねているので、みずさわさんの見解をお聞かせ願いたいです!

まあそれは冗談として。いや本当に脳の回路がバグってるので冗談ではないんですけど。


彼がジークを憎む理由のひとつは、「ホムンクルス」という存在への過度な理想化が転じたものであると考えられる。

「生まれた瞬間、彼は確かに完全だったはず。我欲は極めて薄く、己を含めたすべての存在に公平で、死ぬまで生きることができる理想の生物だったはずだ」-5・385
「ホムンクルス。貴方はどうなのです? かつての自分の方が良かったと思いませんか?そこに苦悩はなく、痛みもなく、絶望もない。死を実感しながら、生を求めて足掻くこともない」―5・387

天草四郎が目指す人類救済の形は、人間の我欲を消滅させることで争いをなくすというもの。つまり初めから極めて自我が薄く欲も持たないホムンクルスはまさに理想の人間そのものである。
理屈としては大人が生まれたての赤ん坊を見て「穢れのない純粋な瞳だ」と思うのと同じようなものではないだろうか。世の中には、子供が成長してどんどん知識をつけて小狡いことをも考えるようになっていくことを「またたく間に濁って純粋さが失われてしまう。なんて不幸なことなんだ」といって悲観する人間も一定数居るが、ジークが辿った変化とはつまりそのようなものだった。

「……愚かなことです。刹那の寿命であろうとも、完璧な存在であろうとする方が遥かに良いだろうに」-2・397

長く生きて醜く落ちぶれてしまうよりは、純真なうちに一生を終えた方が幸福である、というのが彼の思想である。この一見極端にも思える考え方は恐らく第三次聖杯戦争の経験から来ているのではないか? と私は勝手に思っているのでそれを話してもいいですか? 話します。

先の聖杯戦争においての彼のマスターはアインツベルンのホムンクルスだった(通称前主と呼ばれている)。Apo世界のアインツベルンはアイリやイリヤのような人格を備えたホムンクルスを鋳造していなかったらしく、アニメにおいて描写された前主の表情は死のふちにあっても極めて感情に乏しいものである。
そもそも天草四郎が「ホムンクルス」というものに初めて触れたのはこの頃であっただろう。彼が憎悪を押し殺しながら人類を慈しもうと決意する激しい葛藤の中にあったとき、その傍にはひたすらに静謐さを保ち、降り注ぐ雪のように穏やかな彼女がいた。
苦悩はなく、痛みもなく、絶望も持たない、まるで平穏と安寧の象徴のようなホムンクルスという生命体が。

またその透明度の高さは、他者との融和の可能性の高さをも示している。

「ホムンクルスだからこそですよ。彼らの魂は幼いが故に純粋で、何物にも染まっておらず、どんな肉体の変質にも耐えられる」
その魂は赤ん坊のように純粋で頑丈だ。(中略)だが他者の肉体を憑依させるという状況では、その蓄積は白血球のように妨害を行う。他者が積み重ねた年月と、己が積み重ねた年月は全く適合しないからだ。-2・396

上記はジークが英霊の憑依を可能にした際の天草四郎の言葉であるが、ここでもホムンクルスを極めて純粋なものとして捉えている。
そして地の文で言われている内容は「自己と他者の相互不理解」という文脈で読むことができる。積み重ねた年月、つまりその人固有の自我があることは、須らく他者の自我との対立を生む危険をはらんでいる。ジークは何も持たなかったからこそ他者との融合を可能にしたのだ。


しかし、天草四郎の考える「ホムンクルス」像は現実とは乖離があるのではないか、ということはジーク本人によって指摘されている。

「……貴方が考えているほどに、ホムンクルスは完璧な存在とは程遠い。我欲を抑えている訳ではなく、最初から見つからないだけだ。生に実感があるからこその苦悩なのだろう。……俺は、貴方たち人間が羨ましい」―5・387

天草四郎は人間であることを疎み、我欲のないホムンクルスに憧れていた。
ジークは我欲のないホムンクルスであることを疎み、人間に憧れていた。

天草四郎にとってみればこの世で最も美しい存在がなんかわけのわからん理由で凡俗に墜ちてきて、しかもこんなにどうしようもない“自分たち”をあろうことか羨ましいと言う! という最悪のド地雷発言でしかない。彼は根本的に自分のことが嫌いなのである。憎悪や醜い欲によって突き動かされてしまうことのある人間の一員としての自分を断固として許せないでいる。だから、そんな風な自分たちを認めてほしくない。

シロウ・コトミネの理想とする存在は魔術師でも英霊でも凡庸な人間でもなく、あのホムンクルスたちだった。だからこそ、ジークを憎む。そこから逸脱して人間となりつつある、この少年を激しく憎む。―5・387

理想には理想のままであってくれないといけなかった。これから人類を救済しようというのに、「生きたい」という争いに直結する願望によってそれを拒もうとするジークのことは許せるはずがない。その些細な欲求がときにどうしようもない地獄を産むことを、彼はもう経験として知っている。

その攻撃は殺意に満ちている。まさしく始原の怒り。好いた者を殺されたがための、哀しみの咆哮だった。そしてそれは、天草四郎時貞が人類を救うために死ぬ思いで拒絶した感情だった。(中略)怒りではなく、使命感を以てシロウはジークを拒絶する。-5・428

ジークはとことんまで、天草四郎が嫌ったもの、人類救済が叶った暁には捨て去ろうと考えていたものを武器に立ちはだかったのである。人が怒りや殺意を持つ限りこの世に平和は訪れない。だからこそ彼は苦しんで苦しんで苦しみ抜きながら、やっとの思いで憎悪を捨て去ったのだ。それゆえ、ジークに負けることは過去に廃棄したはずの己自身に負けることに他ならない。怒りが勝つということを証明してしまえば、この世には地獄そのもののような争いが起こり続けてしまう。だからこそ天草四郎は「使命感」をもってジークに刃を向けるのである。

というところでしょうか。主にホムンクルス関連の箇所をザッとさらってきただけなので抜けているところも多いかもしれません。あと毎度のことですが自分の中でまだまだApoの解釈が完全ではないので時間が経ったときに同じ解釈でいられる自信がないなあ~。話半分で聞いてください。詳しい人は違くないか?ってところがあったら優しく指摘していただけると幸いです。

天草四郎がジークに抱く苦手意識のようなものはFGO世界であっても基本的には変わらないだろうと思います。ただ彼とは致命的に異なる思想を持っている藤丸立香やジャンヌとも「世界を救う」という使命の元で一時的に手を取り合っているのと同じように、カルデアにおいてはそれなりの関係を築くことはできると思います。

そしてそれはそれとしてジークは無自覚に天草四郎の地雷をドカドカ踏み荒らしていくので関わりあわない方が両者のため。私はそういうのも見たいけどね!

自分自身改めて文章にすると理解が深まって助かりました。マシュマロありがとうございました!

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みずさわ
とても頑張って生きているので、誰か愛してくれませんか?