劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編 〜煉獄vs猗窩座戦が好きなわけ〜

映画『鬼滅の刃 無限列車編』の
ネタバレです。※閲覧は自己責任でw


ただひたすらに
ただひたすらに
煉獄さんと猗窩座の戦いだけ見たい
それが映画の感想w

映画で見るから迫力あるんだろうなぁ。。。

でも、その迫力だけで
好きなわけではないんですよ
これが、、、

なぜ煉獄vsアカザ戦が好きなのか

いつものようにネタバレ全開でいきますw

アカザが下手な血鬼術使わずに
拳で攻めて来る
ことが多いこと

アカザが人間の形を保っていること

この二つに尽きます

はっきりいって
魘夢は無限列車と同化してしまったら
もはや何と戦っているかもわかりませんw

それに比べて猗窩座は形は人です。

そして

本人の言うように
猗窩座は武の道を極めています

もともと猗窩座少年は
盗みを繰り返すなど罪人でした。

猗窩座のあの模様は
罪人の入れ墨からきているんですね。

その罪人がある武闘家に出会い
心を入れ替え弟子となり
武術の鍛錬をするんですね。

猗窩座の過去も結構泣けますが、、、
それは別の機会に

正に、武の道を極める同士の戦いであること
変な術でなく格闘技となっていること

そして、そのスピード感(魘夢戦にはないw)

猗窩座は強いですが求めているのは
肉体の強さのみ。



一方、煉獄さんは

『強さとは肉体に関してのみ
 使う言葉ではない』
『この少年(炭治郎)は弱くない侮辱するな』

と台詞にあるように
武の精神も大事にしているのです。
カッコいいですね煉獄さん!

煉獄さんは代々炎柱の家系の長子です。
いわば、鬼殺隊のサラブレッド
やはり、小さい頃から武の道を歩むと
精神的に違うなぁと感じました。

そして、鬼が再生しなければ
煉獄さんの圧勝だったのに、、、

大正でも夜の闇は相当暗かったはず
本当に不利なフィールド
不条理ななか戦ってると痛感


煉獄vs猗窩座戦は鬼滅の刃の根底にある
御都合主義でない不条理を凝縮した
もののように感じます

故に美しく魅力的なんですね

煉獄さん生きてれば
無惨戦はもっともっと楽だったのに😢

見てない方は是非!

この煉獄vs猗窩座戦ために
劇場に2度足を運んだ
さらに来週も行く予定の私が推しますw

ここまで熱く煉獄さんを語ると
煉獄推しと思われるかも知れないけど
推しは圧倒的に実弥ですw

あぁ動く実弥みたい黒死牟戦
ついでにむいむいの玉壺戦も
もうね無惨戦どうでもいいの

黒死牟も戦国の武士ですしね
やっぱ武の道は良いなぁと思う
典型的日本人ですね。