羽生結弦という人

 羽生結弦という人は、私にとって「幸せでいてほしい人」である。
当然「生きがい」でも「次の演技が待ちきれないスケーター」でも「生きていくうえでのコンパス」でもある。
ただ「あなたにとって羽生結弦とはどんな存在ですか?」という問われ方をすれば、答えは「幸せでいてほしい人です」ということになると思う。


 私が彼の一番素敵だなと思うところは、「すでに圧倒的な才能を持っているのに常に野心と覚悟を持ち続け、努力と挑戦を惜しまない」ところである。対外的には世界で一番「フィギュアスケートを極めた」と呼ばれるに最も近い立場にいるにも関わらず、十代当時と変わらぬギラつきを保ったまま、目標を立て続けてこのスポーツに向き合っているなんて、常人のそれではない。彼は私より2年年上のはずだが、多分人生3週くらい差があるんだと常日頃から本気で思っている。
そしてさらに、この世界的なアスリートとしての姿を、自らの強い意志と覚悟で律し、観客に・国民に常に見せ続けようとしている。


私のあずかり知らぬところで全くもって構わない。彼が「幸せだ」と感じる瞬間が1秒でも多くあればいいなといつも願っている。

 

そんな彼は、昨日競技者としてのアマチュアアスリートからプロアスリートへの転向を表明した。
正直寂しい。(本人はそう言われると悔しいらしいので、いやあの本当にすみません!!という気持ちです、本当にすみません!!)
 応援したいと思ったきっかけも競技会の場だった。表彰台に乗る姿を見るのも好きだった。試合前の抽選の場、コーチでのやり取り、キスアンドくらいで点数を待つ時間、点数が出て笑顔になる瞬間、今まで当然のように見ていた光景がなくなる、という事実については、どうしても寂しい。

 

ただ一夜明けた時点で、ここまで私含めファンの多くが悲嘆一色でなく、比較的前を向こうとしているのは会見で「これからも挑戦し続ける」「アスリートとして努力する」「それを観客に見せる」姿勢が何度も明確に発信され続けたから、そして羽生結弦自身が、それをとても楽しみにしていそうだったからではないだろうか。

 

オタクとは、推しが外部に向けた活動の一挙一動側を見守りたい生き物である。そして活動中、本人が楽しそうであれば楽しそうであるほど良い。そんな我々の習性と需要を完全に理解した推しが、その供給について目をキラキラさせながら全国ネットで語る姿が一晩中、一夜明けても永遠に発信され続けている。どんなに寂しくても体が勝手に前を向く。

途方のない寂しさに襲われながらも、寂しさを凌駕するだけの楽しみが身を包んでいるのだ。

 

平昌五輪を終えたとき、彼は「この五輪で幸せを掴んだ」と言った。(テレビを画面撮りして、今でもたまに見返す)
北京五輪を終えたとき「北京五輪に出場して、幸せになれた」、そういった。

そして昨日「応援の力の中で、羽生結弦としてフィギュアスケートを全うできるのが本当に幸せ」と、穏やかな笑顔で彼は、そう言った。

 


十分だ、と思った。「幸せでいてほしい人」が競技者生活での重大な契機で、「幸せだ」と感じていたことを幸運にも何度も知ることが出来た。

本当に、幸せなことだ。

 思えば羽生結弦がきっかけで再度熱量をもってフィギュアスケート観戦を趣味と出来るようになった。試合やアイスショーを基軸に自分の予定を組むようになった。情報が欲しくて大学受験真っ盛りの中で始めたTwitterのアカウントは、友達ができたり、すごく面白い皆さんと出会ったりして、私のしっかりとした一つの居場所になっている。日常でどうしても感情的になりそうだったり、もう面倒くさいなと思うとき、一線を越えてすさんでしまいそうな瞬間、「でも羽生くんはこの数百倍過酷な世界で毎日努力して、まっすぐ生きてるんだよな」と我に返り、自らを律しようと思える機会が増えた。待ち受けにした平昌五輪金メダルの写真を見て、何度落ち込んだ気分を前に向けることができたかわからない。

 

「幸せでいてほしい人」なのは、「私自身を幸せにしてくれた人」だからに他ならないのである。


羽生結弦さん、羽生結弦選手。
背負われる「羽生結弦」、それを背負っていく「羽生結弦」、両方のあなたに言わせてください。
いつも本当にありがとうございます。
そして、新たなフィールドへの挑戦、おめでとうございます。
これからのご活躍も、楽しみで仕方ありません。

明日からもあなたが、幸せを感じて毎日が送れますように。


2022.7.20   幸せな1ファンより



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