雑な人の日記。220227

時間を少し気にしながら、バスを降りた。とある昼下がり。

在来線の改札口に隣接したターミナルには、思い思いに人が行き交う。駅に降り立ったばかりの人待ち顔の人、笑顔を交わす二人連れ、大きな鞄を抱えて足早にゆく人、スーツ姿の男性、普段着の女性。ふと、車椅子に乗ったお年寄りが視界に入った。両手でゆっくりと車輪を回している。私は人の流れに沿うように、横断歩道へ向かった。

赤く灯る信号機と、車道の向こう側に立つ人とを眺めつつ、信号待ちの列に紛れる。
青信号に切り替わり、流れるように動き出す人波のすき間から、横断歩道の入口で立ち止まっている車椅子が見えた。

あぁ、さっきのひとだ。

縁石と歩道との間に出来た僅かなヒビ割れに、車輪が引っかかっていた。二度三度、車輪に手を掛けて動かそうと試みるけれど、一向に前に進まない。

立ち往生している。

はっとしたけれど、咄嗟に体が動かなかった。その時、私の目の前にいたスーツ姿の男性の足が、ためらうように一歩前に動いた。男性の背中越しには、同じくたまたま通りがかった女性がいた。女性は車椅子のハンドルを両手で握って、車体を前に押し出した。その手を離して数歩下がる。

ふと、間が生まれた。車椅子が横断歩道の上で止まっている。

「大丈夫かな」

迷いのある言葉が女性の口からこぼれた。ここまで押せば自力で渡り切れるだろうか、信号が途中で赤になるかも知れないから、押していった方がいいだろうか。そういう迷いを含む声だった。
私は声に押されるように、二三歩前に出て車椅子のハンドルを掴んだ。

「行きましょう」

お年寄りに声をかけて、押して歩いた。車椅子は軽かった。車体のフレームの素材はスチールではなくアルミだろうか。車輪も、両手で漕いで動かすために重くない素材が使われているのだろう。けれど何より、おそらく乗っているご本人が軽かった。

割と葛藤があった。お年寄りが車輪に手を添えようとしているのが視界の端に見えた。

「少し早めに押しますね」

私は間を持たすように、独り言のように声をかけた。

細い手足をしていた。筋肉は随分と落ちているだろう。それでも、自力で車輪を動かして屋外を移動しているのだ。きっと普段からそのようにしているのだろう。なのに、本人が自分の力で出来るはずのことを、私は今、やってしまっている。

横断歩道を渡り切ると、お年寄りは被っていた帽子をひょいと脱いで、お礼の言葉を口にした。

「いえいえ、いえいえ。この先、お気をつけて」

私は言葉を返して、足早にその場を離れた。一度振り返り、彼が左手で車輪にブレーキをかけるのを見届けて、そのまままっすぐ歩いた。こういう時、いつも胸に霧がかかったような気持ちになる。

例えば、目の前で落としたマフラーを拾うとか、上着を拾うとか、明らかに、私の行動が邪魔になっていないのがわかる時は、拾って声をかけて手渡したあとに、少しほっとする。あの人がこのままマフラーをなくして困らなくて良かったと思う。
また、少し前に、白杖をついた方が車止めに引っかかっていたところに出くわして、「お手伝いします」といって手を添えた事があった。その時も、明らかに前に進めずに困っていたのがわかったので、私のしたことは少なくとも妨げではなかった。

けれどと思う。

車椅子に乗ったあの人は、信号が赤になる前に渡り切れたかも知れなかった。そうして、そうじゃなかったかも知れなかった。

余計なことをしたのではないか、という疑問がいつまでも尾を引く。こういう時、おそらく私は、自分のことを妨げのように思っている。基本的にロクな事をしないので、出来るだけ世界の端っこにいた方がいい。そういう古びた気持ちの欠片が、ふわふわと霞のように胸の内を漂っている。

二十歳やそこらの時分を振り返れば、よく笑っていた反面、一人きりの時には、ごめんなさいと小さくつぶやいてうつむく時間が長かった気がする。この気持ちはどことなく、罪悪感に似ている。人と関わり、経験を積み、時間をかけて、うつむきがちな自分と折り合いをつけて、今に至る。

物事はなるようになるし、なるようにしかならない。目の前を横切る黒猫は可愛いし、烏は烏にとって必要だから鳴くし、靴ひもは切れたらそのあと少し気を引き締めていけばいい。
そもそも私は、正月のおみくじで大吉を引いた時よりも、大凶を引いたときの方が、特別な出来事に出会ったみたいに面白がる楽天家なのだ。

ただ、中身は同じ人間なので、迷いどころはさほど変わらない。いまだに、なんだか何をしても余計な結果を生むことばかりしている気がする、という思いが微かな残り火のように、消えずにある。だから妨げにならなかったときには、少しほっとするのだろう。

何よりも、私を動かしたのは、スーツ姿の男性の一歩だった。一瞬、戸惑いながら踏み出し、迷いとともに手を伸ばそうという気持ちを、動作に起こした人がいる。その初めの一歩に背中を押された。私は一歩目を躊躇する。そういうところが相変わらず、弱さだなと思う。

例えば通り雨の日、傘を忘れて信号待ちをしていた私に、通りすがりの人が傘を差しだしてくれたことがあった。めまいを起こして倒れたときにも、大丈夫?と助け起こして貰った。たまたま偶然そこにいた人に、何かをして貰ったことが、私にとって不愉快だっただろうか。

それでも、やはり私がしたことは、あなたにとって余計なことだったかも知れない。そういう迷いを、歩道を歩き出しながらパタリと閉じる。始めからなかったことにするように、努めて考え事の外に押し出そうとする。

いつだって迷う。何が良かったのか、何が悪かったのかは、いつだって曖昧だ。だけど、曖昧だからこそ、何事も迷いながらやってゆくしかないのだ。
些細な物思いばかりしている。その自分の小ささをかき消してしまわないように、欠片ずつ拾い上げては、眠たい目をこすりながら、こうして文章に書き留めている。

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