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これから先、もう少し、続いていく日々のために。

一人で頭の中でああだこうだと話している。

例えばソファーで誰かと隣同士に座って、互いにウイスキーでも傾けながら、ダラダラと喋る私の話を酒のつまみ程度に聞いてくれればいいのだけれど、そうおいそれとはいかないので、もっぱら独り言を脳内に並べている。

取り敢えず今は、先日の昼に食べた冷凍うどんのことを考えている。電子レンジで4分間温めてうどんつゆの中にいれただけの素うどんをすすった。冷凍麺はスーパーで買うゆでうどんと比べてコシがある。何故あんなに歯ごたえがあるのだろう。スマートフォンで検索すると、同じ疑問を抱く人が結構いるもので、知恵袋に投稿している人が何人も見受けられた。回答としては、作りたてを冷凍しているので麺の鮮度が保たれているのと、タピオカの粉が配合されて弾力としなやかさが足されているから、というニ点だった。

なんてことない話を、時々誰かに話したくなるのだけれど、大抵は誰にも言う機会がないまま胸にしまう。

新年早々父から電話があった。

一年ぶりに聞く電話越しの声はにこやかだった。

会う約束をして、待ち合わせて、喫茶店で珈琲を飲みながらしばらく談笑した。
その胸中が計り知れなくて、私は父と話すときは常に距離を置く。テーブル席で向かい合わせに座っていても、お互いは対岸に立っていて、流れる川か乾いた溝で隔たっている。手を伸ばしても届かないし、声も遠い。「やや困っているので、助けてもらえるとありがたいんですけど」と、ギリギリの場所から尋ねても、予想を裏切ることはない。

「終わったことだから」と何もかも水に流すには、今も過去は現在に作用し続けていて、結局、問題自体は現在進行形だ。それぞれの人生という物語はまだ続くし、今日と明日が巡る。いっそ憎しみの矢を眉間めがけて撃ち込めるくらいの強い感情の矢印を向けられたら良かったのだけれど、そんな気概は更々ない。父は私に「お前は優しいからな」と言った。私が顔見知りの他人くらいの距離感で話していることに、父は多分気づいていない。

共に暮らした12年間、離れて暮らしていても芽生えた情はある。不幸を願っているわけでもないし、健康で自由に気ままに暮らすと良いと思っている。ただ、「家族だから」という言葉はなんの免罪符にもならないし、残念ながら失笑を誘う。「親子だから仲違いしても仲直りできる」なんて言葉にもなんの根拠もない。私達はその言葉が効力を発揮するような絆の結び方をしてこなかった。ただ親であり子であるという事実関係があり続ける。

父の行いについて考える度に気分が塞ぐ。私は私自身に対して、あの親を見て育ち、同じ血が流れているのなら、自分は大した人間には成らないだろうと枷を嵌めこんできた。けれど過去を振り返って思うに、そういう風に自分に見切りをつけてしまうのは、良くない切り口だった。父への感情を起点にせずに、もっと冷静に将来を見据えて、自分を軸にして生きるべきだった。私は家族に拘りすぎた。大切であるがゆえに、囚われすぎた。
突き詰めれば、母に幸せになって欲しいと願い続けていた。ただ母の人生が報われて欲しかった。「皆で幸せになろうね」と母は言った。辿り着いたこの場所で、果たして願いはいくつ叶っただろう。

生まれおちた場所から人生は始まる。過去は今につながる心を形作る。起きたことは変えられない。そして今に至る。

この先、私はこの体と心で、どう生きて、どう死ぬのか。

今日に至るまでの人生を振り返って、何一つ成せなかったのだと、何者にもなれなかったのだと、やってきたことはすべて無駄だったのだと、無駄なことをし続けて生きてきたのだと、思い知って、愕然としたとしても。

私自身の生き方そのものを全力で否定してしまって、無力で、虚しくて、怖くて、恐怖心で身が竦んで、蹲っているのだとしても。

今からなにができるのか。どう生きて、どう死ぬのか。

「常識」や「普通」の枠が時々とても苦しいけれど、答えを探している。

なんのために生まれてきたのか。なにをして生きるのか。

表現したいものがあるなら、それは、憎しみでも怒りでもいい。優しさでも愛でもいい。性癖でも拘りでも、悲しさや怖さでもいい。
見返りも何もなくとも、子どものように、生み出したいから生み出してゆけるのなら、原動力はなんだっていい。

小さな種を撒くように、まずはこうして文字に結ぶ。種は芽吹くとは限らない。それでも、何年も扉を閉じたまま忘れ去られた、冷えた薄暗い部屋の中で手探りで探し物をするように、冷たい空気に包まれながら、隙間に差し込む光を探している。


そう。取り敢えず今、ひとつわかっているのは、

できれば、笑って話したいんだ。

嬉しいことも悲しいことも。


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