オニのお面がないもので。
「今年も豆をまくの?」
と、節分の数日前に娘に聞かれた。
去年は確か、夜に私が出先から戻ってすぐ、玄関先で、豆を遠慮がちにぶつけられた。
「まくんじゃないかな」
曖昧に答えたその翌日に、近所のスーパーで節分用の商品が並べられている棚を眺めた。様々なメーカーの豆の横に麦チョコやあられが並んでいて、節分の多様化というか、少し面白く感じる。
部屋でまくことを考えると、例えば隅っこに入り込んで行方不明になった豆が数日後にひょっこりと現れたりするので、そこそこ大きさのある落花生や個包装の豆のほうが拾うのが楽そうだなと思ったりしたのだけれど、落花生は棚を行ったり来たりして探しても見当たらなかった。個包装の豆は小袋の数が少ないのですぐに投げ終わってしまい、物足りない気がしたので、一合枡に入る程度の手軽な量の豆袋を手に取って、買い物かごに入れた。
節分の日の夜になって、豆を一合枡に開けた。
カラカラと乾いた音を立てながら、豆が枡の底を打った。丁度一杯分に収まったこの豆を、私はこれからぶつけられるわけだけれど、さて、オニのお面がない。どうしたものかと考えた。なにか被るものがあったほうが雰囲気が出るだろう。適当な大きさの紙にマジックでオニの顔でも書いて、簡単なお面を作ろうか。思い立って、台所の隅で紙袋を探す。
「顔よりも大きな袋で、茶色よりも白がいいなぁ」
紙袋の束をしばらく漁って、白い袋を引き出した。両面に筆文字でなにがしかが書いてあった。和風で節分には合うんじゃないかと思い、開いて試しに被ってみると、頭のてっぺんから顎の下まですっぽりと収まった。大きさも丁度よかった。
「お面にするより、このままの方が面白いかな」
被ったまま、目のあたりに外側からサインペンで手探りで丸を左右にひとつずつ書いた。それをはさみで切り取って被り直すと、空けた穴から台所が見渡せた。そのまま立ち上がって部屋へ行き、押し入れの扉を締めて、
「準備できたよー」
と、居間にいる娘と夫に聞こえるように声をかけた。ふたりは部屋に入って私を見るなり、ゲラゲラと笑いながら言った。
「怖い!」
ささやかな笑いを提供できるかと思いきや、若干引かれた。
「そんなに?」
「子供なら泣き出すレベル」
夫はそう言いながら、スマートフォンを構えて私を撮っていた。
「筆でなにか書いてあるうえに、紙袋に目も鼻もなくて、穴だけ開いてるのが虚無感がある」
ということだった。二人とも紙袋を被った私の姿に注目してしまい、豆をまくのを忘れているようだった。
「オニなんで、鬼は外って言ってください」
私が促すと、ようやく娘が豆をぶつけてきた。
「目は、目は狙わないでください」
笑いながら豆を投げる。それでも人に向かって豆をぶつけるという動作に若干の遠慮があるのか、それとも単にどのくらいの勢いと量で投げたらいいのかがわからないからなのか、控えめに数粒ずつ手にとっていた。
結局、枡の半分ほども減らなかった。床に散らばった豆は三人で拾った。最後の一粒、タンスのそばにぽつりと置き去られそうになっていた豆を、夫が見つけて拾いあげた。
「年の数食べなきゃね」
夫は枡の中の豆をせわしなくつまんで、ハムスターがひまわりの種を頬張るような勢いで、口の中にどんどん運んだ。おいしいおいしいと呟くその隣で、豆が苦手な娘は苦い顔をしながら、7粒までボソボソと食べたけれど、
「もう無理」
と、早々にギブアップした。
それから、居間で太巻きと肉じゃがを食べた。恵方の南南東を向くと、丁度部屋の壁に当たる。
「みんなで急に無言になって壁を向いて食べるのって、不思議な見た目だよね」
と娘が笑う。
夫が最初の一口目と、ふたくち目とを無言で食べていたのだけれど、
「ゆっくり食べたいからこのくらいで」
と、テーブルに向き直って、話をしながら少しずつ食べていた。娘は半分まで食べて、残りは明日の朝食にすると言って皿に戻していた。
我が家の節分の夜は、こんな風にマイペースに、過ぎてゆく。
形も大切だけれど、楽しいなら、まぁいいか。
私は壁を見つめて黙々と太巻きを食べながら、来年の今頃のことをふと考えた。またこうして、思い思いに過ごせたなら、それがいいと思う。
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