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波打ち際を、ただ歩くだけ。

波の音を聞くと、夕暮れの海を思い出す。

先輩たちと三人で遠出して立ち寄った砂浜は、波音だけを響かせて静かに暮れなずんでいた。駅で待ち合わせた頃には青かった空も、もうすっかりオレンジ色に染まっていた。私はズボンの裾を捲って、深い藍色の海水に素足を浸した。波がなめらかに足首を撫でて、砂粒が足の裏をくすぐる。脱いだシューズを手に歩き出し、ベンチに腰掛けている二人に手を振った。先輩はカメラを構えて、肩までの髪を海風になびかせている私のシルエットをフレームに収めてくれた。

切り取られた時間は、今も記憶とアルバムの中にある。思い出の海は記憶としても地理的にも遠くて、あれから一度も行っていない。

それから何度か、海へ出掛ける機会があった。日に焼けながら泳いではしゃいだり、からっ風が吹く小石だらけの海岸で、石切りをして笑い合ったりした。

寒い日だった。砂浜に、佇んだ。私は夜の色に染まり始めた空を見ていた。飛行機が赤い航空灯を灯しながら音もなく横切っていく。肩をすくませる冷たい風が黒いコートをなびかせる。言葉のない時間が流れていった。波音と空の色とが記憶の中の夕暮れの海を思い出させた。過ぎ去った熱い日々を振り返る時の、憧れに似た淡い気持ちだけが、残照のように胸の中に灯った。

ある時には、海に着いた途端、激しい雨が降り出した。びょうびょうと容赦なく吹き付ける風に、ビニール傘は骨をしならせた。けれどとうとう耐えきれず、無惨に折れた。人なら複雑骨折だ。惨敗だった。海を眺めるどころではなく、頭に傘の残骸を被って唐傘お化けの出来損ないみたいになりながら、駅まで歩いた。
雨の海は誰の姿もなく寂しかった。けれどと思う。行き場所を失って、命一つ以外何も持たずにたった一人で傘もささずに、朝も夜もなく彷徨っていたのなら、きっとこんなものではなかったのだろう。最後は自分と語り合うようだったと言った声が、頭を掠めた。
駅につく頃には上着はすっかりびしょ濡れで、裾を絞ると水がボタボタと雑巾を絞るように滴り落ちた。

海へはたまに散歩に出掛ける。先日も、二週間ほど前からカレンダーに「さんぽ」と書き込み、数日前からネットでお目当ての電車の発車時刻を調べて、そこを目掛けて当日の予定を立てて動いた。
予定と言っても基本的に海辺をただ歩くだけなので、滞在時間の目安と往復の電車の時間を大雑把に設定するくらいだ。

海は広々としていて青かった。空にも軽やかな青が流し込まれていた。よく晴れていて、揺れる水面には光の粒が踊るように輝いていた。ザン、と波音が心地良く耳に届く。サーフィンや釣りを楽しむ人たちの姿もあった。
海を眺めに来て一番面白いと感じるのは、砂浜にいる人達が一様に海を見ていることだ。皆、思い思いに別の場所から、同じものを見ている。もしくはくつろいでいるし、物思いにふけっている。海でなくてもいいのに、世の中には娯楽が溢れているのに、わざわざ海に来てそれをするのだ。そして波打ち際を歩く私も見知らぬ誰かから見れば、景色の一部として映る。

寄せては返す波間で、日差しが砕けてキラキラ光っていた。綺麗だったから、40秒位の短い動画を撮って友達に送った。ポツポツと文字を交わす。少し離れた所から、ギターをかき鳴らす音と歌声とが風に乗って届いた。弦の音と波音と、夕暮れの気配を仄かに漂わせた海風が、辺りを包み込んでいた。

山際に日が差し掛かるのを見届けて、駅へ向かった。車窓から暮れなずむ空を眺めた。藍色とオレンジ色が溶け合って夜を連れてくる。夜には、日向と日陰の間に立っているような気持ちになる話を聞いた。温度差のある話。ちいさな声を上げたら容赦なく別の話題で上書きされた悔しさと、五年かけて紡いできた大切な絆の事。

昼間から散歩に出掛けて、ただ波打ち際を歩くだけの、これはそんな一日の出来事の欠片を綴じた文章。


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