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貴方に感謝と敬意を込めて。

久々にドクターにお目にかかる日だった。


バスに乗り、或いは電車を乗り継いで、駅へ降り立った。人が適度に行き交う歩道を10分ほど歩く。雨の日もあれば、晴れの日もあるので、曇りの日以外は傘をさす。
病院の自動ドアをくぐって受付を済ませ、私はエレベーターを横目に階段を上った。

暫く待合室で座ったり立ったりしながら待っているうちに、名前を呼ばれた。見知ったスライドドアを開けて、白衣の男性と向かい合わせに腰掛ける。

「どうでしたか。夏も近いですが歩けてますか」

視線の先で、パソコンを操作しながら電子カルテを開いて、ドクターが尋ねた。

「はあ。ここ最近はあまり。1万歩以上、歩ける日もあるんですけど、いつもより少なくて、平均で4000歩位です」

言葉に耳を傾けて、いくつかの近況をカルテに書き込むと、ドクターは時間の流れを噛みしめるように言った。

「肌も綺麗になりましたねえ。車椅子で、肌もクシャクシャで、髪の毛もちぢれてた姿を知ってる看護士さんは、今どこにいるかなあ」

看護士さんにも部署替えがあるようで、私も数年前に挨拶を交わしたきりだ。

病院の自動ドアを初めてくぐった日から、いくつもの歳月が流れた。
初診の日、私は待合室の椅子に座っていられなくて、絵文字のorzの姿勢で床にうなだれていた。患者が酔いつぶれたおじさんのように床に転がっている様子は、看護士さんの目にどう映っただろう。心配そうに声をかけて、車椅子へ座らせてくれた。夥しい倦怠感で、打ち上げられたマグロみたいに窒息しそうだった。

少し遡った冬のある朝、私は頑なに『医者には行かない』と布団にうずくまって唸っていた。隣の部屋からは、パソコンのキーボードを叩く音が聞こえてくる。暫くすると夫がこちらの部屋に顔を出して、

「病院、初診の予約しておいたから」

と淡々と声をかけた。

石に齧り付いてでも行かない心積もりで頑なに拒んでいたにも関わらず、

『予約したのなら、行かないとだめじゃないか。だって約束の反故になるし』

という、妙に融通の利かない使命感が発動してしまって、私は苦虫を口いっぱいに頬張ったような苦々しい思いを胸の隅々まで満たしながら、タクシーに乗り込んだ。

今にして思えば、刹那で消える虹を車窓から眺めるみたいに、偶然が重なって奇跡的に舞い込んだ幸運だったのだけれど、私がそれに気付くのは、もう少しあとになる。

その日、ドクターは、

「何年にどこの医者にどういう症状でかかりましたか」

と、事細かに病歴を尋ねた。それから、私の首の付け根辺りに触れながら声を掛けた。

「ここは痛いですか。どこが痛いですか」

「どこもかしこも痛くて、どこが痛いか判りません」

身も蓋もない返しだと我ながら思った。思い返す度に、その節は大変意味の分からないことを申し上げましてと、つい心の中で頭を下げてしまう。

ドクターの処方箋は、投薬と生活習慣の見直しだった。

「まず2週間、緩いお粥を、朝に一杯だけ。ゆっくりゆっくり食べてください。起きあがれるようになります」

力なく「はい」と返す私に、念を押すように続けた。

「必ず座って食べてくださいね。横になって食べると胃酸が逆流します」

逆流すると何が起きるのかというと、食道や胃に炎症が起こる、という話かと思いきや、

「眠りの質が下がったり、体が緊張してこわばったりします。それと皮膚も荒れます」

という事だった。

胃酸の逆流と自律神経には関わりがある、とそのとき初めて教わった。
人によっては、酷く咳き込んだりする。食べ方や食べた物が体に合っていないと体が反応するのだそうだ。それから、多忙や気候のストレスも関わってくるし、時間が勿体ないからといって早食いをしたり、よく噛まないのも、症状を促す。

思えば、私は子供の頃から食べるのが遅かった。給食時間を越えて昼休みになっても食べていた。
時々、普段の半分くらいの量で、十分お腹が一杯になる時もあったけれど、出された食事を食べ切らないといけない雰囲気が家にはあったので、食卓にサラダとして出てくる生のタマネギも、お腹に刺激を感じながら、何も言わずに食べていた。好き嫌いのない子供だった。

『食べ過ぎると肩とか肩甲骨の辺りが痛くなるよねえ?』

昔、そう人に尋ねた事がある。ならないよと不思議そうに返されて、私もとても不思議だった。てっきりあるあるだと思っていた。気付いた時には既にあって、当たり前だと思い込んで受け止めていると、それが不調なのだと気付くのは案外難しい事なのだなと、妙に腑に落ちた。

いつだったか、ドクターは、

「この病気は治るのに罹った年数分くらいかかる」

という雰囲気のことを言った。言い切ってはいなかった気がするので、根気が要りますから気長にね、という意図だった。

治癒する頃には結構良い歳であるが、むしろ夢が広がる気がした。私は元気な年寄りになって、60の手習いや80の手習いをするのだ。白髪は染めずに自然に任せて、上半分をふわふわのパーマにして、下半分を刈り上げる。

ちょっと愉しそうじゃないか、と内心、ふふふと笑う。


ドクターはまた、こうも言った。

「何も考えてないときの方が、人間は良いアイデアが浮かびます。例えば。動かないとこの病気はよくなりません。座りっぱなしを解消するには、どうすればいいと思いますか?」

「携帯のアラームを掛けるとか。いっそ学校のチャイムみたいに部屋の時計を45分毎に鳴らすとか、音で知らせるというのはどうかなと」

ドクターは私の言葉に頷いて、少し笑った。

ドクターが説くのは、いわば気持ちの在り方の話だった。夜中に食べたり、沢山食べたり、脂っこい食事をしたり、たまにはそれをしてもいいけれど、悪くなることをしたのだと理解して、翌日からはお粥で暮らすなど、胃腸をじっくり休める日を作ってあげる。

体が発するメッセージに耳を澄ませて、拾い上げて、やり方を見直す。2日前の私や、昨夜の私や、三時間前の私の食事の摂り方や食材や味付けは、体に負担がなかったのか。昨日は何歩歩けたか、歩けなかった理由は天候か用事か。ざっくりとでいいから振り返る癖を付ける。

よく歩く。丁寧に食べる。空腹で眠る。

そうして、また歩く。

それが処方箋である。

食べなくてもいいと言われて、漸く肩の荷が降りたようだったし、自分で作った食事が美味しくできていても、食べたい物を安易に口に出来ないという、変わった葛藤を背負うことにもなった。

歯痒くては堪らない一方で、もうそれすら、鍛錬のようでいっそ面白い。


診察の合間、不意にドクターが微かに笑った。

「そういえば、私に励まされてるんでしたっけ」

「ああ、はあ、そうですね」

「がんばれーって?そんな爽やかなキャラじゃないと思いますけど」

ドクターの言葉を思い浮かべるとき、私は、止まると死ぬマグロみたいな心持ちになる。

『体が動くから動くのではなくて、動くから体が動くようになる』

処方箋として手渡された言葉が咀嚼され、気持ちに浸透するまで、何年もかかった。頭で判っていることを心にまで染み渡らせるのは、中々容易ではなかった。分かっているのに実行できない焦りと、できるならとっくにやっているという苛立ちが同時に沸く。

全身をギプスで固められたような感覚で、ギシギシと体を軋ませながら歩いた。苦痛でしかないことを繰り返す日々に、心は何度も折れた。

時間の概念も吹き飛ぶような日々だった。眠るのがまず難しい。暑さや寒さの感覚もでたらめで、温かい食べ物を食べながら、寒いと呟いて震え上がるときもあった。危険を察知するアンテナも壊れていて、車道を走るトラックのタイヤや橋の上は魅惑的だった。折れて、挫けて、へこたれた私が、おぼつかない足取りでそういう一日を積み重ねてきたから、今がある。

ドクターは時々、初診の日を振り返って感慨深げに言う。

「あの時は、なんか凄いのが来たと思いました」

「ははは。ホントですねえ」

「やっと体が整ってきましたね」

「出来の悪い患者なもので」

私は照れた風に笑って頭をかいた。

「あと3000歩の壁ですね」

「ですねえ」

「超えてくださいね。体のためにも、心のためにも」

体が動くから動くのではなくて、動くから体が動くようになる。

歩くのも、食べるのも、書くのも、見るのも、知るのも、歌うのも、全て、今と今日の私を動かすものだ。

なので、なんとかなるだろう。雨の日も晴れの日も、眠たい目をこすりながら、私はまだ、動く気だから。

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