雑な人の日記。20210816
久しぶりにお墓を参ってきた。
曇り空の下、墓石の前で軽く手を合わせて、
「今から少しだけ掃除しますね」
と、独り言のように声を掛けた。枯れ葉を拾い、柄杓で水を流し掛けて、墓石を拭く。
艶々とした墓石の側面に刻まれた叔父の名と祖母の名を撫でているうちに、ふと顔が思い浮かんだ。元々あった墓石は朽ちて割れてしまうくらい旧くて、7つ程横並びに立っていたものを、祖母と叔父とで出資して立て直し、ひとつにまとめて魂を込めて貰った。
建てかえられたときは二人とも存命だったし、親戚一同も皆元気だった。あれから30年ともなれば、当時は私も子供であったし、叔父や叔母にしても、親兄弟にしても、生活も健康も仕事も様々なことが変化していて当然だった。
祖父は私が生まれるよりずっと前に他界している。モノクロ写真の中の祖父はいつも背筋が伸びていて、力みがなくて柔和だった。何ともいえない、人の良さそうないい顔で笑っている。
寡黙で、働き者で、朝になると、まだ地平線から顔を出したばかりの太陽に向かって手を合わせ、今日の始まりの感謝と共に拝んだ。手先が器用で、グラスに細かい細工を刻んだり、彫り物をしたり、鋳物を扱ったりもした。そうして、お酒を美味しそうに飲んだ。
母から祖父の話を聞く度に、生きていればさしつさされつお酒を酌み交わしたかったと思っていたので、成人してから数年は、新年になる度にワンカップのお酒と線香とを鞄に入れて、人気のない早朝の墓地にひとりで参った。
うたた寝くらいの短い間、思い出に耽りながら、墓前に菊や彩りのある花を活けた。祖父は菊の花が好きだ。祖母の好きな花は知らないけれど、扇を片手に踊っていたらしい。祖母の納骨の日、叔父はハーモニカを吹いていた。線香に火をつけて手を合わせる。
墓石の下にはお骨を納める小さな空間があって、白い布にくるんで納める。祖母も叔父たちの心も今は体からほどけて眠っている。そう振り返れば時間もいのちも儚い。
戦前戦後を生き抜いた人達だからなのか、苦労をものともしない逞しさと、飲み込んで忍ぶ目に見えない切実さがあった。母は祖母に背負われて、空を横切る爆撃機を見上げた記憶があるという。「爆弾が降ってくる」、祖母はそう言ったそうだ。祖母たちは終戦間近、戦火を逃れ、住み慣れた土地を離れた。元の家は空襲で焼けたらしい。私たちが触れたことのない壮絶な世界を知っている先人だった。
もう少し、色んな昔話を聞いておけば良かったと、笑顔や声を思い返す度に思う。
生きた軌跡と、歩んできた足跡。それから、なにを願い、なにに憂い、なにを大事にしていたのかを、あなたの言葉にかえて聞ければ良かった。
きっとそういう小さな後悔を、私はこの先も持ってゆくのだろう。
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