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バイクに乗るのはなぜ?

大型バイクに乗っています。
乗っています・・・乗っていました・・・

という状態が続いていました。
2010年に購入したHONDAのCB1100が愛車です。
嫁入り道具として持参したバイクはYAMAHAのDT200Rでした。

約20年ぶりに限定解除して、しばらくは精力的に乗っていたのですが2018年頃からあまり乗らなくなり、2019年の冬から1年以上は一度も乗っていませんでした。車検や点検代もかかるのでこの先どうしたものか考えあぐねていたのですが・・・

昨日から誰かが囁くのですよ。
「バイク乗ってきたら?」
「もう乗らないの?」
「手放すの?大丈夫?」・・・

昨日は結局乗らなかったのですが、今朝も誰かが囁くのですよね。

今日も14時からミーティングが入っていて、義母をデイサービスに送り出してから2時間くらいしか余裕がありません。でも2日連続で囁かれたら気になって仕方ありません。明日から月曜まではもうそんな余裕もないので、乗る決心をしました。

バイクは自動車と違ってひょいっと乗りには行けません。
ヘルメット・ネックウオーマー・ヒートテック上下・グローブ・冬用ジャケット・冬用パンツ・温かい靴下・ライダーシューズ・ウエストポーチ・・・

準備して、着替えてみたけれどいつの間にかジャケットのファスナーが閉まらなくなっていてウエスト部分のベルトを緩めました。

昨日、夫に「バイクに乗ろうと思ってるんだけどさー」と伝えておいたら、さりげなくタイヤの空気圧を調整したり、ミラーのねじが緩んでいたのを閉めてくれたり、バッテリーの状態をチェックしてくれたりしていました。

最近ずっとパソコンの前に座っていて夫の話をしっかり聴くこともおろそかにしているのに、私が久しぶりにバイクに乗ろうかと伝えただけでささっと準備してくれる人って他にいないよねー。感謝しなきゃ!!

いざバイクに跨ろうとして気づいたことは「足があがらない」「股関節が固くなってる」ということでした。

おっかなびっくり出発して1時間ほど走った時に気づいたことがあります。

これまで「なんでバイクに乗るの?なにがいいの?」って何人も何人も聞かれた質問があります。「かっこいいから?」「風を感じられるから?」って聞かれて説明することが難しかったんですよね。最近は

「生きてるって感じられるから!」とか、「自由だ!!って感じられるからって答えていました。でもなんかしっくりこなかったんですよね。


そして今日、わかりました!!
いや言葉にできました。


心と身体を外界にむき出しにして走るんですよね。
そして丁寧に路面や周囲に合わせてギアを調整して、バランスをとって、アクセルを開けるタイミングも止まるタイミングも自分でコントロールしているんですよ。これって自分自身としっかり向き合って、自分自身をコントロールして、自分自身でバランスを取り、状況判断や選択をしながら走っているんですよ。
(箱に守られてオートマチックになってしまった自動車とは格段に違うんです。自動車はバランスも必要ないし)

長距離ツーリング中は雨でも雪でも晴天でも夜でも、その時々に対応しながら走ります。淡々と淡々と目的地を目指します。

方法は状況と目的によって変えるんです。
それを自分自身で決めている、決めなければ乗ることができない要素が大きい乗り物です。(自転車の人には甘い!!と言われそうですが。)

バイクに乗るときは一瞬の余談も許されません。
集中して自分の「いのち」を守ります。
丁寧に路面を視る(自分自身の感情を視る)
他の環境に合わせながら自分自身で選択しているんですよね。

スキルよりあり方です。
今日もすれ違ったライダーさんとあいさつを交わしました。
これまでは親しみだと思っていたけれど、きっとお互いにリスペクトしているんだなぁ。

自分をさらけ出して心を開放して走っているから、通常の旅行では感じられないほど自然の情景や人とのご縁に感動したり、日常生活で抱えているもやもやに対する答えが閃いたりするんだなぁ。

「生きてるって感じがするから」とか「自由だって感じがするから」ってこれからもやっぱりそういう答えをすると思います。

本日のミニツーリングで、「バイクを運転しているときのように、丁寧に感情をみつめて対話をしなければならないなぁ・・」っていう言葉が収穫できました。対話も命がけですね。

やっぱりバイクがすきだ!!っていう想いが溢れています。

今度はいつ乗ろうかな~。
そしてそれを支えてくれる夫に感謝しなきゃね~。
ありがとうございます。

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