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「被爆75年対話会」—開催前のインナーワーク②—

アーノルド・ミンデル著『ディープ・デモクラシー』のなかに、オープンフォーラムの準備に向けて、ファシリテーターである自分自身の心の整理をしてみよう。というワークが掲載されています。今回は8月9日(日)に主催する「原爆75年対話会=意識を向けてみよう=」についてワークしてみます。
前回の2つのワークの続きです。

〈ワーク3〉次に自分に問いかける。
「二つの立場は、私自身の思考、行動、深い感情の異なる側面をどのように代弁しているだろうか?私は将来どちらの立場や視点をより意識化するべきだろうか?自分自身のこの側面にどのように開かれて、理解していくことができるだろうか?想像されたオープンフォーラムは自分自身の深層で何が起きているかを発見する強力な方法となるだろう。

A 原爆や戦争について 
     (相手)知らなくてもいい 
or (あなた)知るべき

この2つの立場・・
8月6日に広島、本日9日に「平和祈念式典」が執り行なわれました。日本が75年前のその日から復興を遂げてきたのには、この当時の方々が必死で社会生活の再建に向けて取り組んでこられたからだと思います。長崎で生まれ育った私自身、そのことについて思いを巡らせることはあまりありません。小中学校のときには「登校日」で「平和」について考えた時間もありますが、大人になってからはわざわざそこに意識を向けることはあまりありません。だからと言って、「知るべき」だとも思っていません。いやちょっと前までは「知るべき」だと思っていました。例えば、民法のTV局はなぜその時間に通常の放送をするのか!!」と憤っていたこともあります。その時に黙祷さえもできないのか!!と残念に思うこともあります。でも、誰かの感情をコントロールすることは不可能です。自分自身の感情だってコントロールできないんだと最近知ってからは、「知るべき」ではなくて「そういう方向に向かって行ったらいいのになぁと感じています。


〈ワーク4〉また、想像されたオープンフォーラムは、あなたが最近考えていた関係性の問題を反映しているだろうか?あなたは自分自身の内面でどちらの立場にたっているだろうか?あなたの一面性はどのように問題を作り出しているだろうか?このインナーワークの結果から、数分後にそして今週中に、あなたは自分自身の人生の変化させたいものがあれば、それは何だろうか?

関係性の問題・・・

日頃普通に生活していて、自分が考えている行動とは違う反応をする方々に怒りを感じることがよくあります。「なんでそんなふうに考えるのか!」
「この考え(私の考え)が正解だろ!意味わからん!!」って思うことはよくあります。

仕事をしていてもよく怒っています。
「この患者さんが自宅に戻って生活するためには、看護師はこうあるべき、家族はこうあるべき、本人はこうあるべき・・・」だと私の考える「あるべき論」が真っ先に思い浮かびます。

私の一面性からみると、世の中の人は「わからずやばっかり!!」です。

だから、冷静に暮らしているときにはいいのですが、車の運転をしていたり、夜勤明けで心身が披露しているときなどに「感情的に怒鳴る」ことがあります。私の周囲の方々は、私がこんな対話会を開くと知ったら「はぁ??自分自身の感情もコントロールできないのに偉そうに対話会開くなんて、そんな器じゃないだろう!!と驚くかもしれません。

数分後にそして今週中に、あなたは自分自身の人生の変化させたいものがあれば、それは何だろうか?

長崎市では毎月9日の11時2分に防災行政無線を使って、音楽がながれます。
他にはなにも言わず、ただ静かに流れています。


私は、こんなふうに静かな対話の機会をたくさん創っていきたいなぁと思っています。大きな声で「これが正解だろう!!」「平和に向かってさぁいくぞ~!」っていうつもりはありません。

でも静かに、ひたすらに・・・

学びを対話の場に活かせるように、1つずつ実践して、フィードバックしていこうと決めています。

今日はその第1歩。

参加してくださるみなさまと一緒に、大切な時間を大切に感じながら過ごせたらいいなぁと思います。

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