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小5の私がほしかったもの

いつからかはっきり覚えていないのだけれど、小学校5年生の時には確実に親や先生の言うことに疑問を抱くようになっていたことだけは覚えています。

特に、我が家の両親(とりわけ父親)や祖母(父方の母)の抑圧にはあまりあるものを感じながら生活していました。

「なにかがおかしい」

「なにかが違う」

何が違うのか説明できることと説明できないことがありましたが、このままでは何かが壊れていく(きっと私自身)と恐怖なのか不安なのか感じていて、毎晩誰かに追っかけられる怖い夢を見続けていました。

町の図書館で棚の隅から隅まで本の背表紙を眺めては、私の怖さにつける薬を探していました。なにかヒントがみつかるはずだと信じて、気になった本を個室風になっている学習スペースに持ち込んで読んでいた風景をよく思い出します。

それは小学校5年生から中学校3年の途中まで続いていました。

当時の私は、看護師になれば自分で資格を持つことができて、それは自立するためのパスポートであるのだと理解したので、担任の先生に「看護師になるにはどのような進路があるのか」を聞いたのです。

とにかく最短で看護師資格を取得して、一刻も早く家を出たかった。


そうなんですよね


小5の私がほしかったものは
「頼りになる大人」
「私が道に迷っているときに話を聴いてくれる大人」
の存在だったのだと思います。

でもそんな人がだれで、どこに行ったらそんな大人に出逢えるのか知りませんでした。いたのでしょうか?いなかったのでしょうか?そして、いたとしたら今の私はいまのままであったのでしょうか?

それは誰にもわからないのだけれど、小5の時にほしかった大人の存在になりたいなぁ・・と思って学んでいるのです。

私自身、我が子達にとってそんな大人になれなかった反省をこめて・・・

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