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だめだ。今日は思考停止してる。

毎日毎日Zoomでのイベントを主催したり、参加したりしています。
昨日は3つのイベントや打ち合わせ、今日は2件のイベントに参加しました。新しい学び、新しい出逢い・・・毎日毎日幸せと感謝のなか過ごせています。

EMSi Fellowの部活動で医療・介護・福祉関係者が集っている「ヘルスケア・マネジメント部」という部活があります。その中の参加者の方が、

「最近はSNSと繋がらないようにしていました」
「医療従事者じゃない方々の生活がFacebookで見えてくると辛い」

と仰っていたり、明らかに疲労感を滲ませている投稿をする方がいたり・・

世界中が悲鳴を上げている中で、自粛自粛と言われて行動を制限されているみなさんもきっと辛く、お仕事がなくなってしまった方々もきっと辛い日々を送っていることだと思います。

それぞれの立場で、それぞれの言い分は違っていて、困っている内容や辛い部分が違っているだろうなぁとはだれもが想像できると思います。

「〇〇は気楽でいいよね」とか「〇〇が何を言うんだ。私たちの方が大変なのよ」とかいう気はまったくないのだけれど、今日の2つのイベントに参加した私は思考が固まってしまったのです。

2つとも全体に流れる雰囲気はとてもあたたかいもので、出演されている方々をとても尊敬しているからこそ参加したイベントでした。全体に流れている内容はとても学びの多いもので、いつもの私だったら自分のノートに花丸をたくさんつけている内容でした。

それが・・・

そのどちらにも共通してひっかかったポイントがありました。

「どのように生きるといいかな?」
「どのように働いていこうと思っている?」

ふだんは柔軟にわくわくして想いを巡らせているポイントです。

それが今日の私は違っていました。医療従事者側の偏った視点でしか頭が働かなかったのです。

「まずは自分自身が幸せに生きること。〇〇のためにじゃなくて・・」
「これからは自由にやりたいことをやって、好きなことして働く」

うんうん。そうですよね。
自分自身が幸せではないといい看護はできません。
自分自身が幸せではないといい医療は提供できないのですよ。
キホンは自分自身。いつもの私はみんなをこちら側にひっぱりたい。

いま、医療現場で働いている人の何割がやりがいのある仕事だと思っているのでしょうか。何割の人が「できることならこの仕事を辞めて逃げ出したい」と思いながら毎日戦っているのでしょうか。

それなのに、世間からの差別や偏見・仲間うちでの信念対立があるという話を知ってしまうと、やるせない想いでいっぱいになります。

仕事がなくなっている方からは「仕事があっていいじゃん」という反論があるかもしれないし、「お給料いっぱいもらってるんでしょ」という反論があるかもしれません。それぞれに大変なこと、困っていることは違いますし、理解できないこと、わかり合えないことはどうすることもできません。

でもね、今日の私は思考停止に陥ってしまったのです。

安心安全な場所で、安心安全にもやもやを語る会、聴き合う会を企画しています。どんな場づくりをしたら多くの医療関係者が集ってくださるでしょうか?どんな場づくりをしたら繋がっていけるでしょうか?どんな働き方、どんな生き方をしたいのか語り合う場が必要ではないですか?

2月14日前後に「サイレントバレンタイン」という企画の準備中です。
「ヘルスケア・マネジメント部」では、医療従事者のもやもやを聴き合う場を準備しようとしています。結構ハードルが高くて怖い部分が多いのですが、丁寧に慎重に場を創って行けたらなぁと思っています。

この記事にピンときた方はご連絡くださると嬉しいです。




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