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65.事実は何の為にあるのか

本題とは関係ありませんが、弊社ではジーパンなどについているボタンやリベットを製造しています!またお好みのボタンやリベットへの打ち換えなども行います(要相談・予約)!画像にあるのは私のジーパンなのですが、全て弊社のパーツに打ち換えました。なかなかカッコいいので、ご興味のある方は是非ご連絡ください!

事実とは

さて本題ですが、この話は今日メディアから入ってくる情報を見ていて感じたことです。現在コロナ禍の元でオリンピックが行われていますが、感染者数や重症患者数の報道はしたりしなかったりと局もしくはウェブサイトによって様々です。そんな話を目の当たりにしていると、「事実とは何の為にあるのか」という疑問がわいてきました。

事実は何の為にあるのか、それに対する私の答えは「判断をするため」だと思っています。仕事上のこと、プライベートのこと、重要でないことなども含め、人間はほとんどのことを事実から判断していると思います。しかしここで問題になるのが、人によって見えている事実が違うということなのです。

事実の種類

見えている事実が違うとは、以下の2種類があると思います。
1つ目は、情報量の違いどれだけの事実をインプットしているかでその人の見える視野は異なります。当然持っている事実の数(情報量)が少なければ少ないほど、単一的・一次元的な判断をしがちになります。しかし情報というのはこちらから取りにいかなければ偏ったものしか享受することはできません。例えばテレビや新聞は垂れ流し、流し読みができますが、放送局や新聞社によって情報発信の形も種類も変わります。受け手の能動的な情報収集が重要になることは言うまでもありません。

もう1つは情報の正確性の違いです。例えば何かの件で街頭インタビューを行い、賛成と反対が8:2の割合だったとします。しかし、報道を反対の2割の人だけのものを流せば反対派が多いような錯覚を覚えることになるのです。賛成派が多いのも事実ですし、反対派がいて、その人の意見を吸い上げたことも事実です。これを視聴者は正確に読み取るべきなのですが、はっきり言って無理だと思います。
もう1つのわかりやすい例は昨今のコロナワクチンについてです。5年後に死ぬ論や血が固まる論などありますが、もちろんこれらを唱える人はその道の専門家でかつ実証を行った(もしくは見た)人である必要があります。なぜならそうでない人の言っていることはもちろん事実のレベルでもありませんし、考察でもありません。恋占いレベルのものです。しかし、信じてしまう人も多くいます。

これらのことを鑑み、今日改めて”事実とは何か”、”誰にとっての事実か”ということを考えました。皆さんも、難しい問いだと思うのですが考えてみてください。

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