76.褒められずに育ったことが武器
先日話をしている中で、「あなたの自己肯定感って意外と高くないよね」という話をされました。私個人の話としては小学生~高校生まで人に褒められたことはほぼなくずっと怒られてしかない人生で、浪人の時のチューター(河合塾における担任の先生みたいな人)が私の人生で初めて”人に褒めてもらった”と私が実感した出来事でした(今でもあの時のチューターさんには感謝しています)。そもそも自己肯定感ってなんだよ、という意見や、そんなものは造語であり、本当は存在しない概念だという意見も聞いたことがありますが、今日は一旦そういう概念があったうえでの話をします(そのほうが話しやすいので)。
人間は社会性の中でしか生きられない
私のように褒められる、承認してあげる、認めてあげるといった経験に乏しい人は往々にして自信が低い人間に育ちがちになると思います。人間は他の動物と違い個の能力(単純な強さ)が低く、知能がずば抜けて発達していると言っても、昔の人間の狩猟が団体戦だったことから、人は1人では本当の意味で生きていけないようにできています。
ヤサグれるのは余裕があるから
裏を返せば、社会や仲間から外されてしまうことは狩猟時代においては死を意味し、現在においても人から認められないというのは強烈なネガティブとして自分に植えついてしまいます。加えて社会インフラや最低限の生活を保障する生活保護等の仕組があることで衣食住に困ることはない社会構造になっているので、自分に自信を無くしてヤサグれる暇や余裕もあります。本当に今日生きるか死ぬかという環境で”必ず生き抜く”という動物の本能が正常に機能していれば、自分に自信を無くしている余裕なんてないわけです。
自分で自己肯定感を高めるには
そして現に私も自己肯定感が完全に底を尽いたことで強烈にヤサグれた時期が1度だけありましたが、その時以外は特にそういう状態になったことはありません。基本的に自己肯定感で満たされることのない私がフラットなメンタルでずっと過ごしてこれているのは、”いつの間にか自分で自分を肯定し続けることができるようになっていたから”だと思います。正確には、”これができたら自分が自分を肯定できるだろうと思うモノをポンポン自分に課し、どんどんそれを勝手にこなしていこうとする”ことを無意識にやっているからだろうな、と再認識しました。例えばこのnoteだって完全にそうです。
自分の機嫌は自分で取るべきという考えがありますが、表面上の機嫌についてだけでなく深層心理にある自己肯定感のようなものですら自分でコントロールすることができるんだなと改めて気づきました。もし私が幼少期から褒め倒されて育っていたら今のような価値観にはならなかったかもしれません。もしかしたら、自分の外からしか自己肯定感を感じれない人になっていたかもしれません。
ちなみに余談になりますが、幼少期に褒められずに過ごしすぎたせいなのか、私は自分を非常に(非情に)客観的に見る癖がついてしまいました。この癖自体は今も残っており、これは自分に対して「なんでこんなんこともできんの?」と問いかけるような自分を作ってしまっています。これ自体はちょっと邪魔な感覚なので解決したいなと思っています。
目標設定で気を付けること
ちなみに目標設定をする上で気を付けなければならないのは、到底達成できないような目標を自分に設定しないことです。正確にはし続けないことです。私が社会人1年目に陥った自己肯定感の枯渇は完全にここからきていると思います。自分が枯れてしまっては本末転倒です。目標を設定するときは、達成できるものにしましょう。”誰でもできることを誰もできないくらいする”という目標が、最も確実に自己肯定感を高めるのには役に立ちます。
ちなみに画像は人生で最も病んだときである2017年のクリスマスに、盲腸で緊急入院になった時のクリスマスディナーです。私の自己肯定感が枯渇し限界となったときに合わせて盲腸になったことで逆に吹っ切れたいい経験です。今日の話も何かのお役に立てば幸いです。
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