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106.負荷から逃げなければ、次は負荷でなくなる

昨日は非常に脳みそも体も精神も使った一日となり、今日もその余韻が体に残っています。

先週私の祖父であり弊社の相談役が他界したことをきっかけに目まぐるしく状況が変化し、また目下に対応せねばならない事象が多数出現した中で通常業務もこなしていかなければならない状態となり、知らぬ間に人生で感じたことがないくらいのストレスが自分にかかっていたのだと思います。

以前の記事にも書きましたが私にとっては初めての身近な人間の死となり、お恥ずかしい話ですが”死”というものを実感した初めての機会となりました。

そんなこともあり昨日は先週膠着したものの処理から始まり、継続して行っている案件の処理、新規案件や相談などに加え、精神的なダメージや残された祖母の容態が良くないことに対する不安などが全て重なり、大変忙しくしてしまい夜には疲れ切ってしまったというわけでした。

今日の話はあまり人の生き死にに関わらせたくないのであくまで仕事においての話としたいと思います。

負荷がかかるタイミング

タイトルの通りなのですが、初めてのことや新しい状態は常に負荷がかかるものです。

例えば新しい職場に入った直後や、新しいやり方を指示されたとき、新しい立場になった時、取り組んだことのないような量の仕事を同時に抱えた時、挑んだことのないような基準で仕事をしなければならなくなった時。

例えば何か企画を考える時の考え方の手法として、いつかの記事で話した「階層化」というものがありますが、これも初めてやった時は非常に負担がかかりました。

しかし今となってはどうということはありませんし、逆にこれかこれに準ずるようなことをしなければ気持ち悪く感じてしまうほどです。

また、仕事の負担についても、新入社員の頃は会議の議事録を書くことが非常に負担となっていましたが、今は比較的得意なことになっています。

文章を書くのも昔は苦手でしたしタイピングも遅かったのですが、やっていれば負担に感じることはなくなりました。

負荷とは経験である

その人間の深みとは、もしかしたらどの程度の”負荷”を乗り越えてきたかなのかもしれません。

現代人では100%当て嵌まるとは言い難いですが、一昔前であればお坊さんなど常に”修業”をしている人の言葉は奥行きがあると言われていました。

稲盛和夫や松下幸之助、本田宗一郎などの経営者もそうです。

修行や経営とは、その人に負荷がかかりっぱなしになっている状態であると思いますので、その負荷にさらされ続け、耐え続け、いつしか負荷が日常になっている人の言葉として、深みがあると思うようになったのだと思います。

経験値とは”その人が受けた負荷を数値化したもの”なのかもしれませんね。

今の私は経験したことない負荷にさらされていますが、乗り越えた先で同じ負荷がかかっても、もう今ほどの負担になることはないのだと信じて進んでいきます。

今日の話も何かのお役に立てば幸いです。

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