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思い出を上書きさせないために。



またしても私は、「変わること」と「変わらないこと」の永遠のジレンマに触れている。

私の永遠のテーマらしい。

自分が自分でなくなるくらないなら私は「変わりたくない」と言った。

でもそれが気になる人もいるらしい。
自分は成長したい、どんどん変わっていきたい
と。

私は成長したくないという意味で使ったわけではなかったけど
「古き良きものを大事にしたい」思いとか
「色褪せない思い出を持ち歩いていたい」思いとか
「幸せも苦しみも胸に刻んで生きていきたい」そういう思いから
自分が口にしやすい言葉だったのかなぁとも思う

「当たり前だと思った時点で終わる」
これも好きな言葉

壁にぶち当たった時
なにかが壊れそうになった時
私はそのまま「進む」というより「戻る」
という感覚を持って行動してきたように思う。


毎日見えている風景は決して当たり前ではない。
空やアルプスの山々、夕陽、
毎日が私には美しく見える。

空だって、毎日当たり前のように私達の上にあるけれど、一瞬足りとも同じ瞬間はない。
雲の動きは一瞬で変わるから、今綺麗だなと思ったら残す。でないと数秒後には変わってしまう。


空の色も、刻一刻と変わる。
私はピンクや紫に染まった空が好きで
この一瞬を逃してたまるかとこれでもかとカメラに納めることがある。
でもやっぱり撮っているうちに色味が変わってきて、好みじゃなくなった時、撮るのをやめる。


生まれ育った街の風景が変わると、悲しくなることがある。

2011年、松本で大きな地震があった日
帰り道がブルーシートでいっぱいになっていた。
至るところで屋根にブルーシートが貼ってある。
我が家も例外ではなかった。

通っていた小学校が閉鎖する
とか
校舎が建て替えられる
とか

好きだったカフェが閉店した
とか
松本からPARCOが無くなる
とか

思い出のつまった場所が変化を遂げることに
私たちはチクリと胸を痛めたりする。

《故郷が変わってしまうことは
心の拠り処がなくなること》____

逸れた話をしたい。

私の友人が、久しく集まる場に出向く際、他の人に苦手意識があるから、私を心の拠り所にさせて〜と言ってきたことがあった。

「心の拠り所かぁ。それがないから人はソワソワしたり立っていられなったりするのか。なるほどしっくりくる言葉だなぁ」とちょっと感心した。
感覚としては分かるんだけれど、言葉にするとそうなるのか。という発見。

話を戻す。

故郷とは慣れ親しんだもの。
人は一度会っただけでは相手をまだ疑っている。
でも何度か会えば、信頼も積み重なり、慣れてきて、仲良くなったら思い出なんかも出来ちゃったり。
それが、濃ければ濃いほど、心の拠り所としての効力を強める。


「心の拠り所でなくなってしまった。だから離れていくんだ___

今ある人でやっていくしかない、ではなく、戻ってきてほしい、と思うのは、そこが自分にとっても、多くの誰かにとっても、心の拠り所であって、「心の拠り所が変化した」、そう感じるから思うことなんだ。

戻「り」たいと思うのなら戻る必要がある。
戻「し」たいと思うのなら、皆がみんなそうではない、自分にしか積み重ねることができなかった、故郷が、思い出があるから感じることが出来る気持ちなんだ。それが、自分が積み重ねてきた長い年月なんだ」。





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