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双子②

双子はときとして同一であることを求められる気がする。
幼い頃はその期待に応えようと、一緒であることが誇らしいことだと思い込みながら、同一になろうとする。
でもまぁ、自我が生まれたらそうもいかないよね。

小学校に入学してから、私も姉もそれぞれに生きづらさを抱えていた。

我家で先に自我が生まれたのは姉だったと記憶している。我が家は他人との関わりが希薄になりやすい家庭だった。父も母も外向的ではないし、私は両親の長年の友人をほとんど知らない。本人たち曰く「人間関係を保つのって疲れるじゃん」とのことだったけれど、自分から関係を切っているのか、相手から切られているのかは怪しいなと思う。

私も姉も同様で、敵を作りやすい性格なのだろう。
特に姉のほうが顕著に現れている。はず。そうであれ。

私はすぐ泣くし、見栄っ張りな嘘を付くし、感情に振り回されて暴走することもあった。今も性格自体はあんまり変わらないけど、まぁそれはそれは酷いものだったわけで。振り返るとその性格の不安定さは、明らかに愛着形成の段階でなにか問題がある子どものそれだった気がする。

そしてそういう子どもはいじめられやすいのだ。
悪口や陰口はもちろん、机を離されるとか、廊下を渡るときに驚かされたり、近くの壁を蹴られたりとかしてた。
今考えたらよくあんな性格で直接殴られたり物を隠されたりしなかったな、と思うが実際されたらそんな些細なことでも悲しいものだよね。怖いものだよね。

幸い私はそれでもお友達がいて、私が嫌がらない範囲で先行していじってくれるお友達や、甲斐甲斐しく面倒を見てくれるお友達のおかげでちょっとの生きづらさがありながらも楽しく生きていた。お気楽な人間である。

姉は勉強できない、賢くないと判断するとその人のことを見下す傾向にある。特に小学4年生あたりからその気質が顕著にあらわれ、他人を馬鹿にするようになった。
相手にもその嫌な気持ちは伝わるもので、姉とクラスメイトの関係は酷いものだったらしい(母と担任の面談で「お姉さんとクラスメイトさんは別の人種だと思っています」と苦笑いされたと帰ってきた母に相談されたことがある)。

段々姉は周囲と溝が生まれるようになって、中学では環境を変えたいと思ったのだろう、受験勉強を頑張るようになった。それがさらに勉強できない人を見下すきっかけになったような気もするが、受験勉強を頑張っていながら成績が伸びないことに母と姉も焦っていて、ふたりともとても苦しそうにしていたことだけ覚えている。 

母がよく姉に「世界の中心はお前じゃない、自分がお姫さまだと思うな」と叱っていて、姉もそれは自覚しているけど、でもだけどって飲み込めなくて対立していたな~~。


「ひよふらも中学受験してみるか」と声をかけてもらったが、我が家に双子揃って受験させ私立中学に通わせるお金がないことはよく分かっていたし、私はお友達と同じ中学校で同じ部活に入りたかったし、わざわざ頑張ってお勉強する質でもなかったから断った。

それに、勉強ができることを唯一のアイデンティティにしていた(と私は認識していた)姉と一緒に勉強するのは嫌だった。

たぶんね、このときの地頭は私のほうが良かったんだと思うんだよね。知らんけど。

学校の単元テストとかだと姉のほうが点数がよかったけれど、実力テストとかになると私のほうが成績が良い、なんて場面もいくつかあった。そして私のほうがいい成績で帰ると、姉は不貞腐れるか泣き出すかだった。 
そのことに気付いてから、私はお勉強を頑張ることを避けるようになった。

わざわざ姉が不機嫌になる可能性をあげたくなかった。
前回も書いたんだけど、こんな姉でも大好きだから。
わざわざ好きでもないお勉強を頑張って、万が一私だけ合格なんてしちゃったら、この家はどうなるんだろう。

お勉強が苦じゃないことが彼女のアイデンティティなら、わざわざそこで対立しなくでもいいじゃない。
そうやって自分を納得させようとしていた。

夏休み中、姉は毎日塾に行き、送り迎えをしてもらってお勉強を頑張っていた。私は小学校の開放プールに通い、午後はただ惰性を謳歌していた。
私が頑張ることを避けるようになったきっかけは、きっとこれ。

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