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【3/1回答】いろいろ捨てたら寂しくなくなった。

https://twitter.com/hiyamuginov11/status/1367029388366151683?s=19

寂しい。1人暮らしをしてからというもの、あまり感じることのなかった感情のような気がする。

1人で暮らしてはいる。誰かに向けて言葉を発したところで「OK、Google」と言ってからでないと返事はもらえない。でもだからといって、寂しくないのはきっと、TwitterやSpoonに誰かがいてくれるからだろう。

ひとたび「寂しいなぁ」とつぶやけば音速でいいねをくれる人が少なくとも二人はいる。心配してDMやLINEをくれる人がいる。Spoonを開けば誰かの声が聞こえるし、コメントを通して会話できる。これがなかったらひやむぎの生活は本当に寂しかったに違いない。

あともう一つ。ひやむぎが寂しさを感じにくくなったと思うものがある。

我が家にはテレビがないのだ。一般家庭ではニュースや野球中継、年末年始のチャンネル争いなどいつも家族の中心にあるあの家電。そんなテレビがない。インターネットを開通しに来てくれたJ:COMのおじさんに「え、テレビ見ないんですか?!」とあからさまにびっくりされたし、母親からは「私がテレビに出ても見られんやん!」と苦情を頂戴した。そもそもあんたがテレビに出ることはない。女優気取りもほどほどにしろ。一般主婦め。

ラジオ中心の生活だとは以前のnoteに書いたが、テレビを置かなかった理由。それは「感情を煽られるから」だ。心穏やかに過ごしたい。しかしテレビ、殊に報道は視聴者に見てもらえるようにと誇張して表現されることが往々にしてあると思っている。

そのおかげでマスクがなくなるし、トイレットペーパーが店頭から消えるし、イソジン消毒液が品切れしたのは記憶に新しいだろう。まだ一年前の話だ。

テレビを見なくなってしばらく経つが、あまり困っていない。むしろその時間でこういった創作ができていると考えたら、いかに時間を使ってしまっていたのかと思い知る。まぁ、創作と言っても本当の独り言とあまり変わらないのだが。

だからね、これからもテレビは置かないし、TwitterとSpoon、Netflixとラジオがあれば生活は問題ない。ものを減らしたら寂しさも減った。これは新たな発見だった。

それでも時期に寂しさを感じ、辛いことがあり、誰かに話を聞いてもらいたくなる日もやってくるのかもしれない。そんなときには、誰に電話しようか。みんなはそんなとき、誰に電話しているんだろうか。

友達?

恋人?

家族?

ひやむぎも誰かが寂しいときに「あいつなら…」と思ってもらえる人でありたい。人の話を聞くのは嫌いじゃない。頼ってもらえるなら、力になりたいと思う。それがこのnoteをここまで読んでくれているあなたなら、無条件でこのか細い手羽先のような腕で力を捧げるつもりだ。

だからね、もしひやむぎが寂しくなったら、あなたに電話しても、いいですか?



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