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「幸せの花片」


共同企画制作した、霜月はるかオリジナルファンタジーボーカルアルバム「ティンダーリアの種」公式ガイドブックに掲載された番外編を加筆修正したものです。本編では花祭りの夜、主人公ソルトの上司であるクレソンとティトリーのお話。こちらのエピソードを混ぜ込んだ漫画+外伝ドラマCDもありますのでよろしければ一緒にお楽しみください。
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 花祭りの会場である広場に集まった街人たちには、既に酒や木の実が振る舞われていた。
 老若男女を問わず、同じ場所で同じ時間を迎えた奇跡を祝う。見知らぬ相手と挨拶を交わし、命の恵みに感謝しながら、祭りの始まりを待つ。
 やがて、火鳴り花の弾ける音が鳴り響いた。祭りの火が灯され、わっと歓声が沸く。
 演奏者の太鼓が刻むリズムに合わせ、手風琴の音階が華やかな弧を幾度となく描き出していく。弦の音が空気を震わせ、火のはぜる音と混じり合った手拍子が長い夜の幕開けを知らせた。
 年に一度の収穫祭の夜を。

 集まった人々の流れに逆行して点々と灯された祭りの火は、大通りから一つ外れるだけで途切れてしまう。賑やかな祭りの風景から切り離された別世界には、その様子をまるで他人事のように見守る二つの影があった。
「今年も始まったね。みんな楽しそうで何よりだ」
 広場の方角を眺めて欠伸をした青年の名はクレソン。やや厳しい表情で隣のクレソンを見上げた女性はティトリー。彼らは任務の一環として、ペアを組んで祭りの見回りを担当していた。
「火事が起こらなければいいが。酔っ払いが火を扱うことは禁止にしたほうがいい」
 姿を現し始めた星を見上げながら、ティトリーがぶつぶつと呟いている。
 二人は採取隊に所属している同僚だ。ティトリーは本隊では唯一の女性隊員で、組織の中では目立つ存在である。そんな彼女をごく普通の隊員として扱ってくれるのは、彼女が尊敬する大隊長ユンデと、このクレソンだけだった。
「今夜は特に冷えるなぁ」
 花祭りの時期は、太陽が落ちると途端に冷え込む。クレソンは無遠慮に首筋をなでてくる寒気に愚痴をこぼしながら、黄緑色のマントに顎を引っ込めた。
「祭りの火に当たりにいけばいい」
 パートナーの女々しさを見かねたティトリーが、広場の方角を指した。祭りの中心部へ行けば、火で暖を取るまでもなく、人の熱気に包まれるに違いない。
「遠慮しとくよ。ちょっと苦手なんだよね、花祭りって」
「……意外だな」
 ばつが悪そうに遠慮するクレソンに、ティトリーは思わず素直な感想を漏らした。
 クレソンはティトリーと違い、人当たりの良い性格だ。先輩や後輩からも信頼され、慕われている。祭りという催しを彼が好まないはずがないと、ティトリーは勝手に思い込んでいたのだ。
「子どもの頃なんて、祭りの夜になるとベッドに潜り込んでいたよ。外へ出るのが怖くてしょうがなくってね。知らない人が集まる場所が嫌いだったんだろうな」
 ティトリーは黙って聞いていたが、ふとクレソンが孤児院出身だという話を思い出した。荒野に置き去りにされていた幼い彼を救ったのは、大隊長ユンデその人だったという。それは隠されている訳でもなく、隊の中では有名な話だ。
「そもそも俺が採取隊に入って人を助けたいと思ったのも、人間が怖かったからなんだ。必要な人間だって認められたかった。俺って昔も今も自分勝手でね」
「我々は常に全ての民の幸せを模索しているだろう。たとえそれでお前の心が満たされようと、自己満足だけで全うできる仕事ではない」
 街の外は危険だ。荒野を抜けてアリア——得体の知れない凶暴な存在といわれている——の棲む森へ入り、採取物を街へ持ち帰るのが採取隊員の本来の仕事だ。食べ物をつくり出せない人間にとって、森の採取物は唯一の恵みであり命綱だった。
 そして、隊員は率先して人々にその恵みをもたらす立場にある。聖職だといっても過言ではない。
 正義の意志をもって隊員の証しであるマントと採取槍を手に入れ、それを何よりも誇りとするティトリーには、クレソンの言う事がただの無意味な自嘲にしか聞こえなかった。
「あ、花降らしが始まるみたいだよ」
 クレソンが指し示した先に、一際大きな花籠を運ぶ男たちの姿があった。籠いっぱいに摘まれた花々は、むせ返るほどに甘い薫りを放っているだろう。
 花降らしは花祭りのメインともいえるイベントだ。娘たちが色めきたつのは想像に難くない。
「君も行ってくれば? 花籠から薔薇の花を掴んだ女性は永遠の恵みを授かるんだよ」
 やや芝居がかった口調でクレソンが促した。
「そんなのただの言い伝えだ。誰でも見られる夢は、力のない者が見ればいい。私にはこの槍で本物の恵みを掴むだけの力がある」
「本物の恵み、か」
 含みをもたせて繰り返したクレソンの言葉が気になって、ティトリーは彼を見上げる。
「あの中のどれだけの人が『永遠の恵み』の正体に気付いているだろうね?」
 視線の先で、群衆が動く。花籠から降る花を求め、我先へと空に腕を伸ばす。たった一枚の花片を手に入れようと、煽る風の動きに一喜一憂する。
 『永遠の恵み』を掴む為、みな真剣なのだ。
「……『永遠の恵み』は全ての人々が幸せになる為の解だ。正体も何もない。そのままのものだ」
 決して枯れない水、永遠に腐らない実。そんな恵みを永久に供給してくれると伝えられるティンダーリアの樹は森の奥にある。今はアリアたちが独占するその大樹を手に入れれば、全ての人々の命は永遠に満たされるという。それが、この街の人間に伝えられている物語だった。
「ティトリー、嘘は良くない。そんな都合のいい『永遠の恵み』はないよ。ユンデ様が彼らの心を掌握するための作り話さ」
「そんなことは分かっているが——」
 それでも全ての人々の幸せこそがユンデ隊長の願いなのは変わらない事実だ。全ての人々の幸福の為に嘘が必要ならば、誠意をもって同調する。たったそれだけの事だ。
「君は全ての人々が幸せになれる方法があると思うのかい。アリアと対立する事が、街の民にどれだけの幸せをもたらす? アリアにだって命はある訳だけれど……」
 それなのに、この男は自分の信じる正義を否定するばかりか、失望までも誘おうというのだろうか。
「たとえばだけど、もしも俺がアリアだったら、躊躇いなく俺を殺せるかってことさ」
 その瞬間、ティトリーはクレソンの胸倉に掴みかかっていた。
「アリアは父の仇だ」
 突然の事にバランスを失いかけながらも、クレソンは口端を歪めただけで抵抗しない。それが余計にティトリーを苛立たせる。
「自分よりも他人を想う優しい父を奪ったのは森だ。死体すら、形見一つすら、返っては来なかった。それでもお前は、それを私に聞くのか!」
「知っているから、あえて聞いたんだ」
 落ち着いた声色が、ティトリーの頭から瞬間的に熱を奪う。
 どんな時でも感情の赴くままに行動すべきではない。人の上に立つ隊長とはかくあるべきだと、いつも言われているというのに。
「あなたは意地が悪いな。性格も顔も悪い。最悪だ」
 クレソンのマントから手を放し、ティトリーは口を尖らせた。
 皺の寄った襟元を直す事もせず、クレソンは続ける。
「俺も未来の大隊長に質問されたんだよ。俺が目指す『全ての人の幸せ』とは何かって。残念ながら、何とも答える事ができなかった。駄目な隊長だ」
「未来の大隊長? ソルト・フェンネル隊員の事か?」
 ソルトとは今期入隊してきたばかりのクレソンの部下であり、ユンデの一人息子だった。十七歳という若さのせいもあるのだろうが、ユンデのような擢んでた実力もなければ、人を惹き付けるだけのカリスマ性も持ち合わせていないようにティトリーには見える。
 恐らく殆どの隊員が、採取隊の次代を担う「フェンネル家」の跡取りとしては心許ないと感じているだろう。
「彼にユンデ様の志を継げる器があるとは思えないが」
 ソルトを素直に評価するティトリーに対し、クレソンはいかにも含みがありそうな笑い方をしていた。
「ソルト君の言う、全てという言葉には魅力があるよ。確かに彼は、ユンデ様とは少し違うタイプだけどね」
「少しではない、大違いだ」
 直属の部下とはいえ、ソルトを買い被り過ぎではないだろうか。
 そんな皮肉がティトリーの口から零れそうになる直前、クレソンが突然立ち止まった。
「薔薇の花片だ」
 その声に促されてよく見ると、足元には何枚かの花片が落ちていた。いつの間にか風に乗って辿り着いたのだろう。
 クレソンが朱色の一枚を拾い上げて言う。
「世の中には色んな人がいるという事だよ。こんな花片一枚で幸せになる人もいれば、君のように正義を信じることで幸せを感じる人もいる。そして」
 拾った花片をティトリーに押しつけ、クレソンは笑った。
「苦手な花祭りの夜を、君と過ごすことで幸せになれる男も」
 酒が入っていない割に今夜のクレソンは饒舌だ。 
「……それこそ自己満足の類だろう?」
 突然の甘い言葉に困惑するティトリーの隣で、クレソンは「俺って自分の事ばかりだからね」と嘯くのだった。




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