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私の根っこにある不都合な信念

私の中にあるものが、
必要な誰かが、必要なタイミングで、自分を「観る」ヒントになったらいいなと思って、今日は自分のことを話そうと思います。

両親のこと

子供の頃、自分のことでいっぱいいっぱいで
メンタルも身体も弱かった母を傍で見ていた

生まれ育った土地を離れて
一人で戦っていた母が見ている世界は恐怖に溢れていて
彼女の愚痴や悪口、不安を父の代わりに子供の私が聞いていた

本当は不安で抱きしめられたかったけど
下の子も生まれたし
強くならないと、ってずっと思って

小学生の頃になるころには
テストで100点を下回ることや
解らないことがあることが、不安で、苦しくて、泣いて
必死に勉強に食らいついていった

求めている子供の頃に、「抱きしめられたかった(大切にされたかった)」

この思いがずっと、根っこにあって
それによって、「この世界は安心ができないところだ」という
誰かに身をゆだねることができない根本の信念と
目の前の現実をつくってきた

いろんな武器を身につけてきた
不安だから、世界を理解したい
ここは、頭が良かった研究者の父からのギフトを受け継いだ


社会人になって

一つのフロアに大量の人がいる会社という空間、
多数の視線は外敵に囲まれているような
小学校の頃の教室のような感覚を思い起こさせた

仕事は好きでも得意でもないけど、数字の仕事を選んだ
理解・コントロールして安心の世界にいられるから
やることが明確で、理不尽がなく、人が逆らえないものだったから
ずっと自分のペースでやっていきたかった
だから、同期で唯一「専門職コース」を選択していた

混沌へ

一方で色んな人との出会いがあり
組織の都合や思惑があり、
自分の意図と反して、コントロールできない世界に進んでしまう
(出世してしまう)

抱えるスタッフなんてできるともうコントロールなんてほぼ無理
気が付けばどんどん安心がない世界に進んでいく

爆発へ

今でも誰かといるよりも、一人で過ごしているほうが安心するのは、
人に対して根本的な安心感がないから

そんな風に自分を使ってきたから、「自分を大切にしない」癖をつけている

それに気が付いたのは上層部との育成面談の時に
30分のうち、25分間、仕事の本質を無視した彼らの評価に関わることを都合が良いように一方的に話されて
残りの2分、適当な評価をされて、
「この評価を聞いてどう思う?」とフィードバックを聞かれたときに、
大切にされていない怒りが湧き上がってきて、
「私本当に、頑張ってきたな、って思った」と声を出したときに、
涙が溢れ出てきた。

「私は自分になんてことをしてきてしまったんだ」と、
当たり前のように我慢をしていること、
自分を犠牲にして、大切にしてこなかったことに気が付いた。

その構造を理解したことで、
自分を大切にしながら、仕事をしていくことフェーズに入るとともに
感性を信頼して、委ねることに挑戦している。


自分が使ってきた「愛」の中に、これまでいなかった
自分を含んだ全体性の自然な在り方を目指している。

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