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オリンピックには命と引き換えにするほどの価値があるのだろうか?


小林賢太郎氏が即座に解任されたことでわかる通り、オリンピック委員会の橋本会長の発言からしてもオリンピックより人命が大切である事は明白である。

先にTweetした通り私の身内には透析患者がいる、自身も含め医療、介護関係者は新型コロナウィルスの感染防止の為、細心の注意を払い日々の業務に従事している。

第二次世界大戦終盤、戦艦大和は撃沈される為に特攻攻撃出撃して行きました、全般の空気よりして、当時も 今日も(大和の)出撃は当然と思う」(軍令部次長・小沢治三郎中将)とあるように、専門家によ って「無謀」であると判断されていた 1945 年の戦艦大和の出撃は、全く根拠のない「空気」軍部の参謀長よつて醸成れたものです。結果戦艦大和は撃沈され3,000名以上の命を失う、「戦艦大和が出撃しなければ無用の長物だったと言われかねない」軍部の面子を保つ為、かけがえのない3,000名の命を引き換えにしたのです。

今回のオリンピックでも同じ事が言えるのではないでしょうか、政府は「安心安全なオリンピック開催」とお題目を繰り返し発言するだけで、具体的な根拠はどこにも存在しません、厚生省の専門家会議に提出された客観的な資料によれは、オリンピック開催期間中に3,000人/日を超え5,000人/日に達するとの資料が公表されています。「オリンピックを開催できなければば政府は国民や国際社会に対して面子を保てない」と考えた政府は「オリンピックを開催する空気」を必死に醸成してきました、なんの根拠もないオリンピック開催決定ですから、野党がいくら根拠を説明してくれと言っても、菅首相は根拠などないのだから説明できるはずがありません。

人命がオリンピックより大切だと思い小林賢太郎氏を解任するのであれば、オリンピックに関係してコロナ禍で亡くなって行く人々は「オリンピックを開催する空気を醸成した政府」よる犠牲者なのでしょうか、

山本七平氏の「空気の研究」によれば以下のように解説されています、これは今回のオリンピック開催に関する一連の動きと符号します。

・論理的判断と空気的判断の二重基準、専門化の判断を無視し、「オリンピックを開かなければ」との根拠のない「空気的判断」で開催を断行
・感情移入による対象の絶対化→「物神化」し党首討論で長々と東洋の魔女を持ち出し神格化
・こうした手法で“臨在感的把握”の「オリンピックの神格化」を巧みに演出

こうなると「空気」=ある種の前提となり、絶対的な物となる、誰も抗う事はできないのである。
陛下が宮内庁長官を通じて「水を差し」=現実を土台とし一度理論的判断を希望したことがあったが、無視されてしまった。
日本における「空気」は絶対的存在であり、例え陛下であろうとも抗う事はできない。

直接的な因果関係は明確にはならないだろうが、オリンピックを強行開催することで人命が失われる事は間違いない、第二次世界大戦でも行われた「空気」を巧みに醸成することの罪の意識を政府は認識すべきだと思う。

そして、菅首相はこう弁明するのであろう「オリンピックをせざるを得なかった」とは、「強制された」のであって自らの意志ではない。そして私を強制したものが真実に「空気」であるなら、空気の責任はだれも追及できない(山本七平「空気の研究」P.17より引用)

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