三毛羊

ばかなにほんごのちょっとだけ背伸び

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最近の記事

上手くいった日の日記

飲み会明けとは思えないくらいの活動力。 朝から活動して、10:30には家を出て万代に向かった。本が買いたかった。 やるべきことは午前中にやるべきである、これは今日ずっと思っていた事。 最近はここ1年半続けたコンビニの夜勤のバイトのせいで、夜の過ごし方とか私の生活の事をしっかり考える機会がなかったなって思った。 朝から活動的に行動して、夜にはぐっすり眠る。そうして回復した体で朝を迎える。そういう基本的な循環を私は今までないがしろにしてきたのだと思う。 不規則な生活による度重なる

    • 料理が上手な人は母親みたいな料理の仕方する

      炭火焼鶏丼を食べた。恋人のイチ押しのすき家のメニュー。 私は普段沢山食べる方だが、なんとなく並盛でいいやって思って2人して並盛を注文した。 それ以外の注文はしないかわりに、恋人が副菜を作ってくれた。ブロッコリーとえのきとわかめの酢の物。たまに、ありあわせの食材で作ってくれる酢の物。私は大好きだ。 料理が得意な人は、2分されると思う。一つ目が、レシピの再現度が高い人。二つ目が、レシピを見ずに分量や味付けを”適当”でこなしておいしい料理を生み出す人。 私は特に、後者の方がより料

      • 風が強い日

        今週は風が強かった。天気もうまい具合に上向かず、暴飲暴食を繰り返した2週間前の私の胃の中のようにずっと荒れていた。 あまりにも風が強く、歩いているだけで風に飛ばされそうになったある日。ふと、思ったことがある。 もしも、今日みたいな日、ホームレスの人は風をどうやって凌いでいるのだろうと。 私はホームレスの人を見たことがない。生まれてこの方、日本でも特に田舎の方で生まれ育ち、現在も生活を続けている。そのせいか、よく映画やドラマで見る、公園で居眠りしている人や、暗いトンネルの中

        • いろんな家族を見て

          私のバイト先には、お子様を連れた家族がよく来てくれる。 今日は日曜だったのも相まって一段と子どもの声が響いていたような気がする。 観察してみると、それぞれ家族ごとに全く異なる接し方をしていてとても面白い。 例えば、カートを押させている人がいる。さすがにかごを持つことはできないからそこは親が持ってあげたりする。 買い忘れたものを思い出したとき、一目散に走りだす娘さんもいた。母親は、あの子トロイからいつ帰ってくるか分からないわ…って言ってたけど、すぐ戻ってきたし、待っててくださ

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          掬われない人

          今日の外は真夏のような暑さだった。午前中から外に出たが、太陽はもう既に真上にあって世界を容赦なく照らしていた。 昨日も今日も夜勤を寝坊した。交代の人が昨日と同じ人だったのでさすがに怒られた。帰り際は挨拶もされず帰っていった。確かに申し訳ないことをしたと思う。私も本当に反省している。ごめんなさい。 二日連続はさすがにきついです。私も家庭を持っていますし予定もありますと、事前に連絡することはできないんですか。ともいわれた。昨日も遅刻して今日も遅刻するなんて反省していないんですかと

          掬われない人

          ダメな日の日記

          私はゲームが大好きだ。寝る間を惜しんでできる。 同じくスマホをずっと見てしまう。一度見始めると止まらず、画面に張り付いてしまっている感覚になる。 その後は頭がぐわんぐわんして、色々なことがうまくいかないことが多い。でもやめられず、幾度となく虚しい夜を超えてしまった。 そうやってゲームやスマホに時間を浪費して、気が付いたころには本当にしたかったことなんて頭の片隅からもすっぽり抜け落ちてしまっているのだ。 だから、本当にしたいこと、やりたかったことは定期的に思い出しては定期的に

          ダメな日の日記

          のんびりとしか生きられないのかも

          これまで、ゆっくり人生を歩み過ぎてきた。 同年代、同学年の人たちは着実にキャリアアップを重ねているし、しっかり大人になっていく。 それに比べて、まだ大人になり切れていない、大人子供の私。 杞憂であってほしいけれど、現実も確かに見なければいけないな。 これから急速に向上していかないと、人生が終わってしまう。 町ゆく人々を見て、大人をみて、ふと思う。 私がこの人達と同じ年齢になった時に、今と比べてどうなっているのだろうかと。 気持ちはあるけどビジョンはない。確実に時間

          のんびりとしか生きられないのかも

          普通になりたい

          人嫌い。普通って何? 私は人とのコミュニケーションが苦手だ。特に感じるのは、人をイライラさせてしまった時。 「めんどくせえなあ」ってよく言われる。 選択を迫られたら、私はどうしていいか分からなくなる。何でかって言ったら、私の普通は普通じゃないから。それを自覚しているから。 それで何度も否定されてきた。変なのってことも沢山言われてきた。最近はわざと変な人を演じていると思い込んで生活することで、その「変なの」って言葉も凶器ではなく誉め言葉に変わってきた(普通に変な人を演じ切れ

          普通になりたい

          なるべく盲目的に

          このボールペンも、少しずつ書きやすいなって思ってきたころです。 そうやっていつかいつかって言いながら一人で生きていきなよ。私はもう知らないから。仕事なんてそう、大学もそう、バイトもそう、同じです。お前てしまってるんだよな。明日食べるものが手に入らないかもしれない。毎日の労働の中で、それを休んでしまうなんてよっぽど休む理由がないと私は休めないですけどね。そんなに甘えて生きていけるんだったら羨ましくてしょうがないですよ。社会人なんて休んでられないですけどね。あーあ、そんなに甘っ

          なるべく盲目的に

          言い訳ばかりの人生

          ゆっくり自転車を漕ぐ。そんな風に生きていきたいのです。 私はたぶん、たぶんというか十中八九。でもなく、十中十中で人より劣った人間です。みんなが30分かかるところを私は1時間かけて辿り着く。私は本当に向いていません。社会で人並みに生きていくのが。でも、そういって言い訳しているだけです。みんな(私以外の人々)は、どのように生きていくのかわかりませんが、きっと、私のように生き辛さや、難しさを感じていて、その中でうまく生きていくコツを何年かかけて習得して、頑張ってしがみついているだ

          言い訳ばかりの人生

          drown

          まず先に断りをいれる。ネガティブなことをつらつらと書き出す。これを見た人は、そのネガティブな感情にのまれることのないようにお願いしたい。いやしかし、私の文章はそのような大きな竜巻ではなく、1cmにも満たない津波のようなものなのであまり心配はしない。 ネガティブは私の原動力だったのかもしれない。 というより劣等感。圧倒的弱者の考え方。 昔から、なんとなく序列をつけられながら生きる日々。その中で、必死に抗った日もあったが、とうに諦めた。そして諦めることが基準になり、どうしたら諦

          あまり暗いことばかりはよしなよ

          あんまりネガティブなことは吐き出したくない。なるべく楽しくて穏やかで平和的な、ゆるいコンテンツを摂取したいし吐き出すならそういうものにしたい。 けれど、今はネガティブなことしか思いつかない。世界には色々なコンテンツがあるけれど、私が真似をしてコンテンツを発信するとしたら、その全部が、見ている人を嫌な思いにしてしまいそうな、変な不安がある。 そんなことばかり考えてしまう。 久しぶりにnoteを書いてみようと思い、記事編集の画面からテキトーに書き出しては見るものの、何を書いてい

          あまり暗いことばかりはよしなよ

          炭酸って本当に歯を溶かすの?

          お茶にすればよかった。歯、溶けちゃうよ。 夜、作業を進めるためになんとなく気持ちを込めるためのレッドブル。 飲み進めて思う。お茶飲みたいって。 せっかく200円で買ったレッドブル。お茶だと2本買えるよ。 私、集中できない。 作業始めたはいいものの、すぐ、逃げるようにnoteに思ったことを——思考の垂れ流しをメモしだす。 しなければいけない作業は一向に進まないのに、タイピングをすると、あたかも作業が進んでいるかのような錯覚をする。 甘えてしまう環境が整ってしまっていると

          炭酸って本当に歯を溶かすの?

          節分

          2月3日。節分でしたね。 ちなみに、節分。しましたか。私は今年しませんでした。そういえば去年もしなかったなあ。 節分。豆まきして、恵方巻食べる。 みんなどうしてる? 元々の起源とか、ルールとか、なんとなくの側だけ各家庭に継承されてる気がする。あ、そういう起源とかを重んじるとかいう気は全然なくて。 例えば、恵方巻の食べ方。”毎年決まった方角を向いて黙って食べる”みたいなルールはあるけど、昔は”食べてる間は息を止める”とか”瞬きをしない”とか、そんなルールがあった気がします

          価値は受け取る側が勝手に見出してくれればいい

          昔の手書きのノート(日記や思考の吐き出し口に浸かっていたもの)を見返す機会があった。引っ越し作業中の私。 遡って、8年前くらいのノートからある。毎日日記をつける習慣は、ここ1、2年でついてきたものだから、8年前から書いていてもせいぜい10冊くらいだ。読み返すときに莫大な量だと、そもそも読み返す作業に億劫になってしまうが、その点だけで言うと、昔の自分ありがと~って感じ。 ノートにはその時々の悩みや考え事が書いてあるが、ここ数年のものを見ると、一貫して将来について悩んでいる。

          価値は受け取る側が勝手に見出してくれればいい

          最近の読書

          読書。 私は昔このnoteに、読書をするきっかけになった小説は、森絵都の「ラン」であることを書いたことがあるが、久しぶりに読んでみている。 読書をする場面は、色々あるよね。 人によってそれはまちまちだけど、例えば移動中とか。 家でゆっくりしている時に、しっとり読書の時間を設ける人もいれば、作業作業の隙間で読書をはめている人もいるだろうね。 私は、積読本が山ほどあるので移動中とか作業とかの隙間隙間に読書する時間を設けていたんだけど、最近はやめた。 初めて読む本は、なるべく集

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