ベンキョウベンキョウベンキョウ

小さい頃、いや少し成長してからも「この勉強は何のために?」ってテストがあるたびに思ってたことを思い出しまして。英語なんて殆ど理解できなくて思考停止していた中学生時代。そんな時に洋楽を知って興味を持ち出し、留学や大学でも英語を学ぶといった流れになりましたが本当に何があるかわかりませんねぇ。

勉強の意味っていつ悟りましたか?なんか私の場合「悟る」っていうニュアンスが強いんですけど、本当最近です。社会に出た時に必要とされる知識を身につける、これは当時だと理解できませんでしたね。「歴史なんて使わんだろ!」「英語なんて使わんだろ!」みたいなthe思春期でしたが、なんだかんだ真面目に習っていました。ようやくその歴史が今後選挙権を持つ上で社会を見渡す材料になったり、英語を使うことで情報を受け取れる数や異文化の価値観を蓄えて、幅広い考え方を持つことが出来るなど、勉強に意味を見出せました。

そんな今は自分が気になったことを調べたり学んだりすることが大学ではもちろん、社会人でも出来ますよね。でもここで同じく思い返したことが、いつのまにか学校に行くことがあたりまえな頭になってました。高校進学も「いっておいたほうがいい」のような暗黙の了解で進学を目指しますが、その時も将来何になりたいかで高校選び。そんなもの考えてもいなかったし、考えても出てこなかったんですよね。就活の時に気づきますが、就活するまでどんな働き方があるか全く知らない学ばない環境だったんですよね。高校は英語に少し興味があったから留学出来そうな所選びましたが、そんな硬い意志は無くただボタンを押すかのように進学しました。

そんな私は幸せ者だと大学進学でも思いますが、高校3年の時なんか就職という概念が頭の中にないんですよ。大学行くのが普通みたいな。別に仲良い友達には就職する人も居ました。なんか一年ずつ誕生日を迎える、1レベずつ上がったいくのが当たり前の感覚で大学もある意味一つ上のステージの様に捉えてました。しかしもう18近くの年齢になり、大学選びはしっかりと調べて努力し、そこで勉強だけで無く人間関係や人としての成長を経験しました。大学での経験は自分で選んだのもあって納得のいく時間でしたが、まさかの凡ミス。

単位取り忘れ。

そこでいきなり絶望感が来たんですよね。今まで一段ずつ順調に登って来た、次は社会人のステージだとワクワクしてたものもあって、取り忘れてたと気づいた時にはもう遅く、人の道を外れてしまった事くらいに感じて真っ暗になったんですよね。親の負担も考え、会社のことも友達とのことも頭をよぎり、今までにないほどのネガティヴモードでしたがなんとか前向きに考えることができました。まぁ私の価値観が狭かったですね。

そんなこんなで学びに触れて来た私ですが、やはり義務教育って偉大だなぁと思うのと、その後の進学に関しては少し普通になりすぎてるのが怖いという印象です。いわゆるエスカレーター式っていうんですか?勉強が受けられることは素晴らしくて、それが当たり前になるのも素晴らしいことですが、やはり大学は学ぶ意思のある者が行く場所なんだなと感じました。

最初の2年は英語をしっかりと学んでましたが、3年になって漸く興味のある研究分野を見つけました。少し遅かったかも知れませんが、それについて少しでも学べて良かったです。そこで一番な疑問は3年後期から就活がスタートするのが一般的になってるじゃないですか、学びに来てるのになんで時間を今割かなきゃならないんだって思ってました。それらも変に一般化されてるなぁって印象です。

今もこんな状況で、日本の教育が今後どうなるか話し合ってる時ですが、新しくて学ぶ環境として良い当たり前が出来ると良いですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?