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なんでシェアハウスを始めたの?-hitotoseを始めた理由


ようやくhitotoseのnoteができました。
ここ、大分の耶馬溪で「暮らしをつくるシェアハウス-hitotose」を始めてからもう2年が経ちます。


「春夏秋冬」
と書いて、ひととせ、と読むこのシェアハウス。

日々移り変わっていく季節や、自然のリズムを楽しみながら、美味しくて、心地のいい暮らしをつくっていきたい。

そんな想いで日々を積み重ねています。


このnoteでは、暮らしの一コマや、対話を通して、考えたこと、思ったこと。この空間で生まれたものを言葉にして、書き留めていこうと思います。


さて、そんなひととせのnote。
最初は、「なんで耶馬溪でシェアハウスをしているのか」について綴ってみようと思います。

いきなり大きなテーマから入っちゃうけれど、豆岳珈琲(耶馬溪の山の上の珈琲屋さん)で改めて考えたいなと、ふと頭に浮かんできた問い。


移住してきてシェアハウスを始めた当初に考えていたこと、というよりも、ここで暮らしながら改めて大切にしたいと少しずつ言葉に表れてきたことを書いてみたいなと思います。

お時間許す方はお付き合いくださいませ。



210606 ひととせの暮らし-1


なぜ耶馬溪でシェアハウスをしているのか?

-ひとことで言うと「心豊かに生きること」ができると思ったから。

「心豊かに生きる」とは、お金や時間に追われるでもなく、今この瞬間の嬉びや楽しさ、心地よさを誰かと分かち合いながら、共に時間を過ごすこと。

そのための1つの場が、ここのシェアハウスなのかなぁと。


対話を通して、お互いに安心感のある関係性を育みながら、美味しくて、心地のいい衣食住の暮らしを共につくっていきたい。
作れば作るほど、日々が充実していく。日々の暮らしが豊かであることで、心豊かに生きていけるのではないかと言う問いを実験しているフィールドなんだと思います。

だから、noteのアカウントの説明には、
「対話をベースに心豊かな暮らしを考える、暮らしの研究室」と書きました。まだ研究の途中です。



心の豊かさのために必要なこと。

心豊かに生きていくために、必要なことが2つあるかなと思っています。
それは、「お金のゆとり」と「時間のゆとり」

お金や時間に追われていない状態が、心の豊かさに繋がっているのではないかなと。お金や時間に追われないためには、1つは、安定していい収入があること。経済大国日本では、当たり前のシンプルな方法。

でも、「経済成長が続いていく」というそもそもの前提が崩れつつある今この時代では、シンプルに見えて、意外と難易度が高く、実はすごくエネルギーを消耗してしまう道なのかもしれない。
消費と生産の関係性やその間の距離、エネルギーの消費と持続性の両立、個々の家計や生活とコミュニティや人間関係、仕事と暮らしのバランスなどなど、どこかこれまでの時代の流れの中で少しずつ「ムリ」が積もってきているのではないか。

まだうまく言語化できているわけではないけれど、東京や屋久島などで生活している中で、その違和感を肌感覚で感じるようになってきた。


地方で共同体で生きる、という選択肢

そんな中で、「心豊かに生きること」をもっと根本から考えたときに、
「地方で自然と共に暮らし、共同体の中で生きる」という選択肢の方が、意外とすぐにできて愉しく、軽快に生きていけるのではないかという考えに至りました。

これだけ物流が整い、Amazonで注文したらあらゆるものが明日には届き、
これだけ交通網が整ったことで、1時間半で福岡の都市部へアクセスでき、東京にも格安航空で1万円ほどで行けるようになり、
これだけ情報網が整ったことで、情報も学びも仕事も、ネットさえあればいつでもできるようになってきた。(この1〜2年でますます)

地方で生きることが、ものすごくやりやすい時代になってきたのだと思います。


でも、実際に田舎で暮らし始めて2年。
「地方で自然と共に暮らし、共同体の中で生きる」という選択肢は、ずっと前から日本の文化の中で培われてきた変わらないものでした。

何か大切なものが、この里山には眠っているかもしれない。

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ここは心豊かな暮らしを考える、暮らしの研究室。
暮らしをつくるシェアハウスhitotose

これからも覗いてみてもらえると嬉しいです。


(文章/写真:ふとし)


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