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かぐや姫の物語

命の輝きは美しい。

生まれること、命を得るということは、光まばゆい祝福。

でも同時に、生まれ落ちるところや「親」を選べず、
他の人間の影響をよくもわるくも受け、
分かり合えないことがあり、溝は深まり、
時期はズレを起こし取り返しのつかないことは起こり、
損ない損なわれ、絶望し、苦悩することでもある。

なんといっても、この地上において命は有限である。
その一度限りの命を生きねばならない人たちは、「祈る」だけでは足らず、飽くなき欲望を動力に、生きている。

こんなはずじゃなかった。人間の業にはもう耐えられない。
だから迎えを呼んだ。逃げた。

「かぐや姫の罪と罰」というキャッチコピーは、とても残酷にも思えて、胸が痛い。無垢で無知なかぐや姫。憧れて望んで月からこの世に降ろされたかぐや姫に、突きつけられる過酷な現実。


先日、「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~」を観て、あらためてその凄まじい製作現場の一端にふれて、圧倒されている。

高畑勲展を観に行ったときも、圧倒されたが、どちらかというと賞賛や感謝の気持ちのほうが大きかった。


その後、「かぐや姫の物語」をあらためて観てみて、9世紀後半から10世紀前半頃、つまりほぼ1,200年も前の物語がこのような形で受け継がれていることと、それを誰も観たことのない解釈と技術で表現したことに驚いた。(そして、そこに自分の人生が交差していることの不思議と。)

さらに、メイキング映像を観ての今。

才能とはまばゆいものであるが、その威力が強いほど、生み出す影や闇もまた存在する。

どう語っても、今のところわたしには、やり切れなさしか残らない映画。