[読書メモ]『和をもって日本となす(上)』(ロバート・ホワイティング)

p50
まるで弁当箱に詰められた寿司のように、何百万人ものひとびとが狭い場所に押し込められているこの国では、プライバシーという概念が少々希薄である。

p67
日本人は、集団としてまとまると、陽気な空気やくつろいだ雰囲気を失ってしまう性向があるように思われる。集団としての彼らは、辛抱強く建て前を押し通し、規律正しく、理知的で、信じられないくらい堅苦しく振舞う(もっとも、それは酒を飲んでいないときにかぎった話ではあるが)。その様子は、まるで軍隊の規律にしたがっているように見える。

p111
野球が日本人を惹きつけたもうひとつの理由として、試合展開が比較的スローペースであることがあげられる。日本通の欧米のビジネスマンなら、誰もが認めているように、日本人はじつに慎重に物事を運ぶ。彼らは、ひとつの決定に至る前に何度も会議をくり返し、問題の分析を試みる。それは野球のグラウンドにおいても同じで、ピッチングの合間、イニングのかわり目ごとに、冗長で緩慢で口数が多すぎるとしか思えない作戦の打ち合わせが何度もくり返される。彼らは、最後のひとりがアウトになるまで、試合は絶対に終わらない、何が起こるかわからない、と考えているのだ。したがって、日本のプロ野球の試合は、日本の企業の会議と同じように、いつ果てるとも知れないほど延々と続けられるように見える。

p138
アメリカ人は、一般的に、このような練習には何の価値もないと考えている。疲労困憊しているなかでの練習は、選手が悪い癖を身につけるだけで、ケガをする可能性も大きいからだ。

p140
日本人が伝統的に理想としているのは、謙虚な人間であり、従順な人間であり、不平をいわない人間なのだ。

p160
しかし、"伝統" というものは、なかなかシブトイ(ダイ・ハード)もののようである。

p196
日本人の社交的な習慣とでもいえばいいのか、彼らは人づきあいの仕方をはっきりと二種類に分けているところがある。つまり、「口に出す言葉」と「ほんとうに考えていること」は、まったく別種類のものといっていいくらいに違うのである。

pp216-217
互いにパンチを繰り出して、ボクシングのクロス・カウンターのように顔面を殴り合うことは、アメリカ人にとってはけっこう一般的な行為である。

p261
アメリカ人の練習に取り組む姿勢も、日本人よりずっと理解しやすいという。彼らは、たとえば流し打ちをすると決めたらそれを徹底的にやるといった具合に、つねに具体的な目的に沿った練習をする。ところが日本人は、練習のための練習とでもいうべき色合いが濃く、ただ汗をかくだけのためにフライを追いかけ、それでおおいに汗をかくと凄い練習をしたような気分になって満足するといったことが少なくない。

p264
でも、通訳の仕事というのは、そんなものなんです。いってみれば、ベビーシッターにもならなきゃいけないし、カウンセラーにもならなきゃいけない。

p290
日本のサラリーマンが、その仕事の内容はさて措(お)き、1日に10時間近くも会社で働いて、今日も一所懸命働いたぞ、という気分に浸ることが大切なのと同じように、プロ野球選手一定量の練習をこなして猛練習をやったというフィーリングを得ることが、けっこう重要なことになっているのだ。


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