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半年間自分のためだけに時間を使ってみた振り返り

この半年間ほとんどの時間を自分のために費やしてきた(たぶん9割くらい)。
この期間で感じたことや決めたことをまとめておく。

1.何をしていたか

自分のために時間を使うと言ってもやっていたことはシンプルで、基礎研究と勉強。研究は二軸で捉えられると友人が話してくれて、一つは基礎研究でもう一つは応用研究という分類。違いについては、以下のように認識している。

◎基礎研究⇒応用研究の為の研究で、あまり社会との接続を意識しない
◎応用研究⇒学術的な概念をいかに社会に組み込むのか、または社会の実際的な課題がなぜ生じたのか、どうすれば改善されるのかを突き止める

僕の基礎研究のテーマは【近代とは何だったのか】で、哲学・宗教・芸術や、人類史における移動(モノや人)・経済など、広い論点から中世→近代への移行期について包括的にまとめてきた。

その理由は、近代から世界が壊れてきていると考えていて、近代化を象徴する産業革命が、なぜ西欧で、なぜあの時期に始まったのか、そしてなぜ現代社会のような複雑な問題が絡み合った社会が構成されてきたのか。その背景を知りたいと思ったのがきっかけ。そしてそれを考えることは、これから目指すべき方向性を考えることにも繋がる

・なぜそうしたのか

理由は二つ。
①学生時代ほど自由に勉強できる時間は取れないと感じたから
勉強と仕事が紐付いたから

①は、学生時代大人に出会って話を聞く中で「もっと勉強しておくべきだった」という声を聞き、今ほど自由に興味のあることを学べる時間はないと気付いたから。あとアフリカに行っていたとき、学ぶ環境が用意されていることの有り難さを初めて理解した。

②は、過去の事例から法則や事実を学び、次に何が考えられるのか仮説を立て、その仮説が正しかったことを証明する作業という文脈で、学問と事業が紐付きました。研究であればテーマを絞り、過去になされた研究を調べ、その中でまだ誰も取り組んでいない隙間を見つけることが重要だと言われています。
例えば先行研究で、Aという事象、Bという事象それぞれが、個別具体的に検証されているけど、それらを比較検証するものが発表されていなければ、まだ世の中に存在しないオリジナルな研究が出来ることを意味します。

そのことは事業でも言えて、過去のサービスやビジネスモデルの調査、新しいテクノロジーが与える影響を認識し、そこからいま何が求められているのか仮説立て、検証する。あるいは、目標に対して何が本当の課題なのかを明確にし、解決することは研究と同じ性格だと僕は思っています。

では両者の違いは何か。結果に求められることにあると思います。
研究における結果は、必ずしも誰かの問題解決に(すぐには)結びつかない。
事業であれば、結果が誰かの問題解決に直結している必要がある。

研究で明らかになったことを社会実装するにはある程度の時間がかかります。一方で事業は、キャッシュフローの観点からも利益をある程度短期間で生み出す必要があり、この点で性格的に大きな差があると認識しています。

なんだか学生の身分で偉そうなことを言っていますが、社会に出ると、学んだことが誰かの価値になり、対価としてお金が発生しなければ意味がなくなってしまう。それはそれで素晴らしいことだけど、誰のためでもなく純粋に学ぶこと、新しいことを知る楽しさ、これを満喫したかった。だからバイトもせず学校にこもり、夏休みは家にこもってひたすら机に向かう毎日を過ごしました(人に会った回数は5回くらい笑)。

この、ある意味で贅沢な生活を半年続けて色々なことがみえてきたので、興味があれば目を通してみてください(何の役に立つかは分かりませんが笑)。

2.今後こうしようと決めたこと

①お金は人のために使う

これからは、自己投資や日用品の出費以外は自分にお金を使わずに、誰かのために使います。一周回って「お金ってなんやねん!」てなってます。お金とは信用であるとか共同幻想であるとか、有史以前から価値を媒介するものとして発明されたとかその辺の知識はあるのでご高説を垂れたかった方ごめんなさい。

この半年の生活で、欲がなくなりました。何を食べたいとか何が欲しいとか、あまり感じない。お腹は空くけど食べるものはオートミールと野菜とナッツと魚。いま欲しいものは本とパソコンとカメラ。お金の使い方は、本を買うか電車賃か美術館に行くかがほとんどを占めてます。

自分のためにお金を使っても満足度高くないなら、人が喜ぶことに使いたい。あと、Amazonの欲しいものリストを公開してみて実際に買ってくれた方がいたのがすごく嬉しかったから、自分もそういう人でありたいなという気持ちもあります。

②主語を他者にする

アフリカで出会った経営者で感服したのは、主語を自分以外に置く人たちでした。どこの誰がどんな風に困っていて、自分達のリソースをこう使えば彼らの生活がよくなる!と考え続ける人たち。日本でそういう思考をするにはあまりハードルは高くないけど、アフリカのような、色んな意味で特殊な地でそれをやり続けるってやっぱりすごいなぁ、本物だなぁと感じました。

主語を他者にするというと、なんだか責任転嫁しているような印象を抱かないでもないけど、簡単に言うと、自分の行いで誰がどうなるかを考えるようにすること。

改めてこの考えに辿り着いたのは半年間ほとんど独りで過ごしたから。誰のためでもなく自分のためだけに時間やリソースを使ってみて「これじゃダメだ」と考え始めたときに、素敵だなと感じた方々のことをふと思い出しました。

3.人生テーマにしたいこと

①Anytimeゲシュタルト崩壊

あることがらについて考えていると、そもそもこれって何だっけ!?ってなる瞬間が訪れます(さっきの例で言うとお金ですね)。最近では時間概念も理解できなくなってます。年齢は人間にとっての尺度でしかないし、時給も資本主義の発達とともに一般化したもの。

そもそも流れている時間は人によって異なるのでは?と思っていて、遅刻とかむべなるかな。便宜上時間が定められているだけで、あまり固執する意味もないなと思ってます。大事なのはどんな時間を過ごしたか。

人生の豊かさは「気付いたらこんなに時間が過ぎてた!」って経験を最大化できるかどうかによって変わるのかなとも考えています。

話が逸れました。ここで言っているAnytimeゲシュタルト崩壊の意味は、思考停止しないことです笑
当たり前のように感じる事って実は当たり前ではなくて、自分の中の当たり前を疑いながら、答えのない問いであっても考え続ける人生にしたいと思います。

特に民主主義や資本主義について考えていると、この言葉が生まれた頃とは質的に異なると思っています。概念として存在しているだけで、新たに意味付けを加え更新する必要がある。会社のような組織も一緒。運営主体(人)は変わり、事業も変化し続けても、概念としての会社は残り続ける。これからの時代を考えると、アイデンティティとしての国籍にも同じ事が起ると考えています。「日本人」という概念があり、それを社会で発現する主体は誰でもいいような時代。

例えば日本文化に精通して、古典的な日本人の精神性をもった外国籍の人がいる。こういった人が日本人になる。つまり、生まれた場所によって社会的アイデンティティが決定されるのではなく、好みのものを積極的に獲得する。

そんな風に脱構築的に、特定の思想に固定されず、変化し(させ)続け、時代に適合させていくことが必要だと感じます。

②ゆるす

最後の共存とも繋がるのですが、僕は【ゆるす=受け止める】だと思っています。以前孤独についての考察を書きましたが、相手の痛みや感情を100%理解することは出来ない。なぜなら私たちは本質的に異なる存在だから。

じゃあその「わからなさ」を、無理に分かろうとするのではなく「分からないまま受け止めれば」いい。理解できない相手を受け止めるには、ときにゆるす強さが必要になる。ただ優しいだけでなく、強くありたいなと思います。

③共存を考える

二項対立をよく見ます。是か非か、白か黒か。社会主義か自由主義か、民主主義か独裁か。例を挙げればキリがないけど、そう簡単に二つに分類できるなら社会はもっとイージーなはず。対処するべき問題が多様化し複雑化してきたからこそ、二項対立に留まらず、相反する概念がどうすれば共存できるかといった、大胆な発想が必要ではないかと考えています(そもそも自由と平等どっちも大事だよね、という風に)。

ヒトという生き物それ自体が矛盾を抱えた存在であり、そのヒトが構成主体となる社会が矛盾をはらんでしまうのは当然と言えば当然。
それでも他の生物とは異なり意思の疎通が図れるからこそ、共存について考え続けたいと思います。

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