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18. 老いるということ

老いることに対しての恐怖はまだあまりない。正確には、死に近づく恐怖はあるが、老いるという事実に対しての恐怖はまだない。

僕の両親は2人とも健康で、お互い仲良いわけではないがおそらく「子供には迷惑をかけたくない」という気持ちで老いと向き合って生きている。僕は何かあった時は支えるつもりではいたが、そう思って行動してくれているという事実は少し嬉しい。

最近見た映画やエッセイで、自分の両親との対話を通して自分が成長する、というような描写をいくつか見た。その時に、「老いた親に対する態度が、老いた時の自分の写し鏡」なのではないか?と思った。

もし、自分が今急激に老いて体が弱り、自分1人で色んなことをするのが難しくなったと仮定した時、僕は人に何かをしてもらうだけになったら耐えられないと思う。惨めだと思う。

やりがい、という言葉が仕事に対してよく言われる世の中、お年寄りだけではなく若者もなにかを成し得たという実感に飢えている。誰でもできるような仕事を、掘った穴を埋めるような仕事をすることで、精神を病んでいる。これは、お年寄りに対してなんでもやってあげることと、何が違うのだろうか。

僕がお年寄りになったら、お年寄りだと感じずに生きたいと思う。ずっと世界に触れて、心をときめかせて、楽しい日々を送りたいと思う。何かを生み出して、誰かに喜んでもらいたいと思う。もしそれが1人でできないのであれば、それを誰かに手伝って欲しいと思う。ついでに、対話相手になって欲しい。耳が遠くなったり、同じようなことを何回も言ってしまうかもしれないが、諦めずに対話相手になって欲しいと思う。

僕は、これから両親に対して、友達に対して、もし結婚したらパートナーや生まれてくる子供に対して、その人のことを支えられる、その人の対話相手になれる、そんな人になりたい。

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