お偉い人間様とかわいそうな犬

こんばんは。やっとnoteがわかり始めた今日この頃。もう半世紀近く動物関係の仕事をしているのですがね、何がは嫌いって、動物愛護活動家みたいなおばさんが大っ嫌いです。日本には大小様々いろいろなグループや団体があります。なんでそんなにあるの?と可笑しくなります。結局のところ、どの団体も名誉とお金とマスターベーションなんですよね。やりたい方向性は同じでしょ?私は営利目的の動物関係の仕事ですが、長くやってるとやっぱ動物はいいなあと思うことばかりなんですよ。最初に動物同士が出会ったとき、お互いの素性なんて話さないですよ。例え私の素性が胡散臭いものであっても、どんなに「可哀そう」な過去を持っていたとしても、そんなの関係ねえ~な感じです。お偉い人間様はまずそこんとこ避けて通れない。過去の悲惨な幼少期を切実と涙ながらに話すと、相手の優越感は満たされる。そこからどうでも良い苦労話をして成功論を話す。優越感は尊敬に変わる瞬間である。そしてさりげなく無印のバックからエルメスの手帳とかを取り出しわけのわからないスケジュールで埋め尽くされたかのように、みせかけの予定をそっと見せる。お偉い人間様が尊敬する人の出来上がりです。似非。その人が、周りの人々に可哀そうな人がいなくなると、お偉い人間様は動物にその矛先を向けます。この仕事をしていると、遭遇するのが

「可哀そうな動物を保護して飼っている私は素敵でしょ」

愛護っぷりを誇示するおばさん方です。今まで多くの動物の里親を見つけてきましたが、可哀そうなエピソードを作らなきゃ里子としての貰い手はありません。なので作っちゃうこともありました。動物って自分の事が可哀そうなんて思ってないです。言葉を持たないし、だから何とも比べないし。

私、何が言いたいのかわからなくなりました。

要するに、そんなお偉いニッポンの人間様から逃げて、タイでのんびり暮らしている私は幸せなのかもしれないのです。

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