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    • 死ぬほど帰りたかった故郷への想いを手放すことにした

      愛していた相手をあきらめることにしました。 なんて言うと大仰だけれど、一般的な人の感覚で言えばたぶん、生きていたいのに死ぬことを選ぶくらいの一大事だ。 故郷が好きで、好きで、愛していたと思う。18で離れてからの干支一回り、私はずっと「帰りたい」と切望していた。その一方で、故郷秋田県が自分のようなセクシュアルマイノリティーが暮らすには非常に難儀な土地であろうことも理解していた、つもりだった。 帰りたくて地元での起業を画策したことも、秋田市の地域おこし協力隊に応募したこともあ

      • おとぎ話:安全な水

        架空の国の話をします。 ――――― そこには、安全に飲める水が豊かに湧き出る水源がありました。 多くの人はその水源から無料で水を得ていましたが、一部の人々だけは高いお金と引き換えにほんの少量を手に入れることしかできませんでした。 その国には、みずみずしい果物がなる木がいくつかありました。 水をお金で買わなければならない人たちは、水の代わりにその果物を食べて暮らしていました。 それはあまりおいしいものではありませんでしたが、安全な水を手に入れることが難しいので仕方が

        • 一番厄介な存在

          (2020.06.01にTwitterで 誰がどれを書いたでしょうか という遊びをしました。これはそのときに提出した小説です。) ㅤ ㅤ ㅤ ㅤ彼女は歌うように言った。「また来年、ここでね」。 ㅤその「来年」というのが、すぐそばまで迫ってきている。具体的には来週。覚悟ができていないわけではない。 「そうはいってもなあ」 ㅤ店を出て溜息とともに天を仰ぐと、整理のつききらない頭とは裏腹に、五月の空は抜けるような青さだ。そこにくっきりと刻まれてゆく一筋の雲が、憂鬱をさ

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          ルームシェアではない日々

           ああ、マジョリティーのカップルだったらな、と何度か思い、そのたびにそれを打ち消した。恋人とはじめて部屋を借りたときの話だ。  どこのだれともわからない人にわれわれの関係を説明するのが嫌だった。  人をうたがうことをせず(知らないわけではない)、「東京はいいひとが多いね」とにっこりする彼女とちがって、当時の私は「騙されてなるものか」という思いが強かった。頭のかたい人やうわさ好きな人が担当者になったら、オーナーだったら、同性愛者が住んでる!と広められるようなことがあったらどう

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          はじめて借りた部屋は消えてしまった

           うまれて初めてのひとり暮らしは群馬で始まった。10代の若者だった私はロフトというものにひどくあこがれて、8畳間に6畳のロフトがついたアパートを父に借りてもらった。  引越し当日はろくな荷ほどきもせず、床にオーブントースターを置いてグラタンをつくった。もっとかんたんにできるものはいくらでもあったけれど、熱々の何かでおなかを満たしたい気分だった。たぶん、あの年の春は少し寒かったから。  6畳もあるロフトは162㎝の私がかがまずに立つことができるだけの高さがあり、当然そのぶんだ

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          ミッキーに救われた支援員の話

          知的障害者の施設で働いていた時、宿泊行事で東京ディズニーランドに行った。 当日は雨で、私はまだ仕事に不慣れで、班の利用者さんはみな浮き足立っていた。 絶えず声をかけたり手を繋いだりしていないとどこかへ行ってしまうにちがいなく、しかし傘をさしかけてやらねば濡れてしまう。 半分パニックだったけれど、班別行動だったので頼れる人はなかった。 ひとりの利用者さんが「ミッキーに会いたい」と言った。 やれなんちゃらマウンテンだ、ショーだパレードだとてんでんばらばらのことを言う利用者さんた

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          最近の短歌(ジェンダーと00年代インターネットにまつわる連作)

          『女の子にはなれなかったよ』 スカートは履かされたけどそれだけじゃ女の子にはなれなかったよ 制服のわたしを知らない土地にゆきスキニーばっかり履いて羽ばたく 学食でさらりと直す陰口の陰も消し去るグロスのひかり カワイイと新作ワンピを褒めながら頭をよぎるタバコ屋の猫 「プレゼントですか小柄な彼氏さんだったらこちらがオススメですよ」 右前のシャツのボタンを留めるとき呪ってしまう暗い膨らみ クマノミがいいな来世は母島をどちらでもない身体で泳ぐ 『インターネットに接続さ

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          #リプでタイトルをもらった架空の本をさも読んだかのように語る

          『あの丘で待ってる』 『待ってる』シリーズ三部作の最終章。 前作ではライ麦畑で恋人を待っていた主人公だが、麦の背が思ったよりも高く見つけてもらえなかったことから場所を丘にうつした。 歩き疲れたたずむ恋人を丘をまく坂の道が叱るシーンは涙なしには語れない。 『鍋奉行、江戸へ参る』 児童書。きりたんぽ鍋の不始末で家を消失した鍋奉行が江戸へのぼったものの、なんせ秋田弁が通じなくて最初はてんで相手にされない。 小さい頃に読んだ時は悲しげな鍋奉行の絵が切なくて大泣きしたけど、いま読み返

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          さよならをする時はいつも

          お別れのために文を書く。 人が死ぬといつもそうだ。 八つの頃からそんなふうにして人の死を何度も越えてきた。 そこにはいつも文があった。 文はどんな姿にしても怒らない優しいやつだ。 歌にしたり、詩にしたりして、「かなしい」や「さびしい」を成型する。 ずっとそうやって息をしてきたから、大伯母の危篤の報を受けた夜もそうした。 そうしようと思う、というよりは、息をするのとほとんど同じように歌をよんだ。 大叔母は数えの96の大往生で、死に目には会えなかったけれどそれでいい。

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          仕事も、知的障害者と関わることもやめた話

          私が仕事を断念したのは7月初旬のことだ。 勤めていたのは知的障害者のための通所施設で、もともと7月末には辞める予定だった。 7月6日の金曜日は遠足だった。 利用者にとってはこの遠足が私と一緒に過ごす最後の行事だ。 いろんな人とツーショットを撮った。後ろ姿をこっそり撮られたこともあった。 「神丘さん、また遊びに来てね」 「また会おうね」 「宿泊行事の時はボランティアさんで来てね」 たくさんの言葉をもらった。力いっぱい抱きしめてくれる人もいた。 その時は私もまた会いたいと思

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          反り返り歌う校歌の愛おしくそのうちえびになる球児たち (57577)

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          故郷を離れて方舟に乗った日

          東京という街で暮らし始めた最初の日のことはよく覚えていない。 代わりに鮮明に覚えているのは、8畳ロフト付きの1Kに住み着いた日のことだ。大学進学のためにうまれ故郷を離れ、群馬のとある街で借りたアパート。大学から2kmほど離れたその部屋は当時のわたしよりもひと回りほど歳上で、窓際に取り付けられたエアコンはガスで動くタイプだった。リモコンは文字が掠れて読めず、そのうえ細く頼りないケーブルでエアコンに繋がれていた。リモートコントロールできないエアコンをうまれて初めて見た。では、こ

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          初恋も、女の子だった。

          相手は同じ幼稚園に通う栗色の髪をもつ同級生で、わたしは自分の針金のように太く真っ黒なそれとはぜんぜん違う、絹糸のような髪によく見とれたものだった。 彼女は聡明で博識だった。でも、きちんとこどもだった。 いつだったか、彼女はとある男の子からおもちゃを貸してもらえる確率を「5%だ」と言い切り、わたしはその「5ぱーせんと」というものが何であるか明確にはわからなかったものの、平時強気な彼女が諦めたふうでいるのがなんとなく面白くなくて、その男の子に向かって「かして」と言った。男の子は

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