治療日記

・水道の蛇口がしまりきらないでぽたぽたと流しに落ちている感覚
 昨日久々にODをした。もちろん慣れているから適量で。体と脳みそが乖離していくあの瞬間が紛れもなく「生きている」と、感じさせてくれる。最近は薬物療法のみに頼り切って寛解期に入ってきたと思ったが、数日薬を飲み忘れただけで最悪な気分になりました。どうして人生はうまくいかないのだろうな、と考えたときにふと数か月前に書き直した遺書を読み返したくなった。裏切りにはなれては来ていたけれど疑いには慣れてなかったな。慣れていたつもりだった。でも本心からじゃなかったことが分かった。文字に起こしてみると自分の感情が分かりやすくなる。ノンストップライティングであるが故に、思考回路をネットの海に放流しているようで気分がいい。きっかつて旅人が海原に出る時も同じような感情がすこしはあったと思う。生きれるところまで生きてみて、無理だった時には自分が自分であったと思いながら死んでゆきたいな。先月末から予定を詰めまくっている。煙草を数本数も増えてしまったし、カフェインの摂取量が増えた。先月末から今月にかけて夜も昼も仕事量が増えて効率よく生きるために錠剤のカフェインに手を出した。明らかに寿命の前借をしている。

・友人の話
 自分自身を含め、周りにパキりちらかしてるやつかアル中か、うつ病パ二障持ちが多い。さっき飲んだ薬が効いてきた。今日は朝電車に乗る時に発作が出た。ずっと手も震えて昼に影響が出た。このことを友人に話したら笑いながら「お前が適合してないんじゃなくて、社会がおれらに適合してないっつーわけw」と返された。本当の世界は何色で何が普通で何が正しいのか全く分からない。

・終活の話
 精神科では小さな目標から順に立てて、退院時にはある程度の社会生活まで持っていけるようにしてくれる。今考えてみると死が最終的なゴール地点だ。その死までの過程を充実したものにしようというのが一般的な児sん正論である。それは永い終活だと感じる。一般人と精神障がい者は同じだ。見据えている先は同じであり、それが明るくあたたかいものであるかどうかの違いである。どうしてこうなってしまったんだろうか。過去のトラウマが無ければ今も傷なんてなく、夜なんか知らずに生きてきたのかな。自己開示は今日はしたくない気分です。一番疲れる作業かも。

やることやって、寝ます。


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