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推し活で【個立有援・個立有縁】

先日27日は、おひとりさま検定試験(#ひと検 )上級4期「ひとり・おひとりさま、孤立・孤独の概念」ということで、あんまり楽しくはないけど『大事なこと』のセションに突入しました。

わたしにとっての「個立有援・個立有縁」とは?


以下のようなさまざまな「孤立・孤独」に関連するネガティブな情報を共有しながら、

孤独死をいち早く発見するためのLINE見守りサービス。
グローズアップ現代の「同居孤独死」の話。
「地裁が泣いた殺人事件」(京都伏見介護殺人事件)。


今期もこんな「宿題」が出ました。

おひとりさま検定試験(#ひと検 )上級4期「ひとり・おひとりさま、孤立・孤独の概念」テキストより

毎期、わたしにとっての「個立有援・個立有縁」とは?
わたしにできることはなんだろう? と自分自身に問いかけます。
また、今期の受講者はどんなアイデアでこの「課題」を解決したいと思うだろう?
とワクワクもします。

今期のディスカッションでは、自己開示の必要性、行政手続き(経験者)のデータベース化の話や地域コミュニティでの協力体制のこと、昔あった隣組のような関係性などのアイデアが出ました。
確かにそうだなぁ、と思う事もあるし、そんなに濃密なご近所関係なんて、実際にあると煩わしいだろうなぁ、はたしてわたしは町内会に参加するだろうか? とも(笑) 
現代社会に本当に必要なのは、そういう昔ながらの地域資源なのか?それとも、また別の資源があるのかを改めて考える時間になりました。

話の流れで「枠組み」があると参加しやすい、という話が出たので、「会社とは別に大人になっても学生時代のサークルや部活動みたいに、市民活動に参加することが当たり前になればいいのにね」なんて話もしましたが、実際そうなったら、きっとわたしは煩わしいと思うんだよなぁ(笑)

どこかに参加する、どこかに所属するには「役割」がいる

これは、わたしの単純な思い込み、性格なのかもしれませんが、どこかに参加する、どこかに所属するって、自分自身にかす「役割」があるから接続しつづけることができる、そう感じることが多いです。
意味も無くその「場」に居られないといいますか「役割」があったほうがその場に居やすいといいますか…。
とにかく、よっぽど自分が面白がって参加しているか、旗を立てる側か、興味をもって参加していない限り、接続し続けることは難しいなと。

それを整理しながら「役割」がなくても良い関係性ってなんだろ?  を深めた結果、数日たって出た答えは「推し活」なんですよね。

「役割」がなくても「推し」でつながるかけがえのないオタ友

あらためて、わたしにとっての「個立有援・個立有縁」とは?
 推し活仲間の存在なのかも、
と割と本気で思っています。
「役割」がなくても「推し」でつながるオタ友。
この存在は本当にありがたいものです。
必然的につながった仲間ですが、そのつながりは作ろうと思って作ったわけではなく、自然にそこにあった。
そんな感じなんですよね。
いつの間にか、その中でも属性の近い人同士で集まることが多くなり、困った時は助けてくれる。腐れ縁になると、なぜか近所に住んでいることが多かったりして、将来ババアになったら「宝塚にシェアハウス(グループホームやろw)作ってみんなで住もう」(わたしの趣味は宝塚観劇)なんて、本気か冗談かわからないことを割と本気目に言い合うような、そんな関係。
これが、わたしにとっての「個立有援・個立有縁」なんでしょうね。

いやしかし、これをもっとビジネスベースに落とし込むと「マッチングアプリ」なんじゃないか? ということで「マッチングアプリ」の可能性にドキドキしています。なにも男女の出会いだけに「マッチングアプリ」を使わなくてはいけないルールなんてないんだから、と。

深刻なことを、わりとマジメに考えていたはずなのに、ちょっと脱線させて結論づけてしまうのは私のポリシーとして「面白がって、楽しい」を原動力にするしか続けられない!
そして、課題の中に生きている人の人生を中心に置く必要性があるという思いがあるからです。
だから、ひと検の受講者さんにも「面白がって、楽しい」、そして、人生の点ではなく線上にあるビジョンを描いて欲しいと常々思っております😁


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