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『個立有援・個立有縁』とは? を分解する①

昨年のひと検(おひとりさま検定試験)最終セッションの宿題は「個立有援・個立有縁について考えたこと、思い描いたこと、話し合い等を通じて得られた気づきなどなどをまとめて共有するというものでした。この年末年始、受講生からの回答がポツポツと上がってきて、私自身も今一度、問い直してみようと言う気になったので、改めて『個立有援・個立有縁』を分解してみました。

『個立有援・個立有縁』と「孤立無援」

『個立有援・個立有縁』の未来の実現は、私たちの叶えたいビジョンであり、広めて行きたい概念の1つでもあります。文字通り、個が立ち助け合いながら、縁をつないでいく能動的な活動の新しい生き方・在り方であると定義付けています。

「個が立つ」という意味では、常に「ひとり」で生きろ、いうことではなく家族や会社、学校などの今までは当たり前とされていた「居場所」以外に自分にあったコミュニティや自分を活かせる場所を持ち、その中の「ひとり」として役割があるという意味も含まれています。ずっと「ひとり」が良いというひともいますが、やはりひととの関わりの中で生かされているし、自分を活かすのもひととの関わりがあるからこそ感じられること。どのようなカタチでも、だれかとつながっているからこそ「個が立つ」。自分の生きる意味を確認するためにも、当たり前に沸き起こる承認欲求が必要だと考えます。

また、「有援・有縁」も常に誰かと一緒にいる、助ける(助けられる)べきと言うことではありません。もちろん、どんな人とでも仲良くしようね、なんてことでもありません。社会の接続点として多方面で自分自身の強みを使って接触的に関わって関係を築いて、生き方の選択肢を広げていくことを想定している言葉です。逆に言えば自分の弱いところは人に任せる。それこそが、「有援・有縁」の最たるもの。人に頼る(頼られる)ということではないかと考えます。

一方、対局にある「孤立無援」は昔からある言葉です。
コトバンクで検索すると

仲間がいずに一人ぼっちで、援助する者のいないこと。

と書いてあります。

仲間とは? 援助する者とは?

ここで出てくる仲間とはどういったひとでしょうか?
家族や会社、学校などの仲間? 呑み仲間? 趣味友?
援助する者とは?
家族や会社のひと? 行政? 近所のひと? 公務員? 医療者? 介護福祉のひと?
さまざまな「?」が出て来ます。

孤立無援という言葉に出てくる「仲間や援助する者」は実に曖昧で想像しにくいなぁと感じます。そして、なんだか他力本願だなあとも。

あなたはどう感じますか?

続きは明日アップします。



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