storm~建国の狼煙~

目を閉じると、彼の網膜にはいつも同じ光景が映し出される。

火だ。人を、家を、街を、舐めまわし燃やし尽くす麗しい熱。乾ききった木が内部から崩壊する破裂音、崩れ去る家屋、そして鈍く耳に痛い誰かの絶叫。死と空気が絡まりあって大地を揺らす音。風と火が踊り狂いながらその舌を天へと伸ばしていく様。それらが真っ黒な黒煙に手を引かれ星の瞬く夜空へ登っていく。エイデン皇国を見下ろす小高い丘の上で彼は燃え尽きていく故郷をただ、眺めていた。上がる息の合間をぬって、彼の形の良い顎に汗が流れる。煤と汗を貼り付けた幼い頬、陶器のような白磁の肌を隠すのは血のような赤い髪。首元までを隠すその髪が、ファイヤーストームから流れてきた風に燻されてふわりと浮いた。赤い髪の間から見える少年の頬は、闇夜に於いても人の死の、赤く明るい暖かな色で染まっている。

少年はその風の中に、父の声を聞いた。

母の眼差しを見た。

友の冗談を思い出し、かけがえのない弟「ハイロニー」の笑った顔を思い出した。

それらが皆、美しい炎に抱かれながら死んでいく。

遠くに見える炎の中には思い出があった。口うるさい大臣と侍女達の目を盗んで隠れた城下町の馬屋、娼婦達の優しい掛け声、酒場での乱闘、気のいいギルド男達。生まれてからの9年間を育んでくれた優しい祖国の町並み。その逐一がただの風になって、そして黒い煤になって彼の周りを舞っている。欠片になってしまった歴史を抱きしめるように彼は手を広げ、ゆっくりと口の端を上げる。そうして胸いっぱいに風を吸い込み、目を閉じた。

風の中には悪臭がある。それは人の肉を焼いた匂いだ、人の血を溶かし込んだ風の匂いだ。

全てが滅びていく涙の匂いだ。

葬送の花を焦がした芳しい、亡国の匂いだ。

体を満たしたその呼気を一気に吐き出した彼は、微笑を絶やさないまま、彼らが昇っていくであろう、星空に目を向けた。夜は暗く、深く、水の底に似て安らかだ。願わくば彼らがその安らかな世界で一抹の泡となれるように、と彼は祈った。彼らを讃えて開いていた両腕に、未練がましい死者の熱を感じて、再び彼は滅びる故郷に目を落とす。彼の目も暗かった。だが、彼には意志を思わせる真っ直ぐな眉があった。真実に屈さぬ力強い瞳があった。不可思議な安らぎと心地よさに佇む彼の後ろ、夜の闇の広がるなだらかな丘陵の奥から馬の嘶く声がした。

とたん、彼の頬から笑みが消える。

大地を蹴りつけ早馬は、荒い息をつきながら彼の背後に留まった。どうどう、と馬をなだめる馬上の主の声は女性のものだった。丸みを帯びた甲冑が鈍い亡国の炎に照らされて煌めいていた。鞍を跳ね上げる音と、次いで金具を響かせながら地面に足をつける音が続く。少年はやはり、滅びという陶酔に身を委ねたまま、明るく輝く、エイデン皇国の最期を眺めている。

薄い金色の髪を靡かせながら、女性騎士もまたその小さな背中を見た。王族のみが着用を許される、白銀のマントが風に煽られてはためいている。彼の背中についと伸びてしまう手を引き止めて、女騎士は彼の背中にかしずいた。この時だけは。と彼女は思う。私とあなただけの世界である。

「白百合騎士団、団長、シャーリー・マクガイバー、参上仕りました。エイデン皇国第一継承者、いいえ、エイデン皇国王、カイザー・D・デボロ様」

呼びかけに少年は答えなかった。銀の刺繍と金の縁取りと、そして緋色の文字で象られた王国の紋章だけが、風に煽られて返事をした。

「ご用命を。カイザー様」

シャーリーは続いて真っ直ぐに少年の背中を見た。その背中は、小さく、か弱く、そして美しかった。彼女もまた、亡国の炎の中に思い出す。彼の美しさ、彼の利発さ、そして彼の愛を思い起こす。この愛を守るために、剣をとったのだ、と彼女は思いなおす。眼前にある荒廃は、荒廃ではない、愛の為の狼煙なのだ。自分の愛を昇華するための、ただ一つの挑戦であるのだ、と。

「シャーリー」

少年の声がかかった。緊張に体が揺れる。思わず伏せてしまった頭の中で、彼女は唇を噛んだ。後悔だけが後から浮かんでくる。その後悔を打ち破るのは、彼の愛と言葉である。

「蛮王、デューク・デボロと、傀儡イシルの殺害計画、完了いたしました。次のご用命を!カイザー様!」

亡国の炎の咆哮の中で、彼の厳かな声が続く。

「父様と母様の首は、あの中かい?」

あの中。それはあの炎の中に他ならない。彼女が最期にみた、父王、デュークの顔は悲しいものだった。革命軍と共に、占領した城内で、彼は自分に対し無駄な説得を何度も試みた。それを一瞥し彼の首を取り、革命軍へと晒した。

革命の志士達は、口々に彼女の名前を叫ぶ。シャーリー、シャーリー。

やがて市外に破壊と暴動が波及し、彼女は、愛した彼の言葉どおりに街に火をつけ、全てを燃やす。その炎の中心に、父王、デュークと、母、イシルの首がある。言葉に詰まった彼女は、一度息を飲んで、腹から声を上げた。

「はっ!」

目を落とした地面には、炎に照らされた草花の影が揺らいで見える。揺らぎの中で、彼は厳かに告げた。「そうか」

影を見ながら彼女は待った。愛する彼の言葉を待った。彼女はただ、赦されたかった。神に許されるつもりはなかった、だが、彼、カイザーには赦されたかったのだ。彼を幼い頃から教育し、剣を教え、作法を教えた。やがて彼の類まれなる才能に気付いた彼女は、彼を称えた。称えるだけでなく、暗い欲望を抱え始めた。彼が彼女を受け入れた夜、そのたった一夜の為に彼女はここにいる。白百合騎士団長、シャーリー・マクガイバーはここにいる。

「父が、何故君を、大騎士団の団長にしなかったかわかるかい?」

カイザーの声が彼女にかかる。思わず面を上げて、彼を直視してしまったシャーリーの目に映ったのは、あの夜のままに美しい、カイザーの深い微笑みだった。

「君は、そうでなければ自身を発揮できないからだ。君を大騎士団、国の防衛力を表す大騎士団長にしてしまえば、君は慢心する。必ずする。父はそれを見抜いていた」

言葉を告げずに、シャーリーは、美しい小さな恋人の言葉を聴いていた。

「必要な場所で人と言うのは能力を発揮するんだ、望む、望まないに関わらずね。君の能力は確かに革命に向いていた。僕の予想以上の働きをしてくれたよ、本当に感謝しているよ、シャーリー」

少年の言葉を聴きながら、彼女は息を止める。殺しつくしたはずの、後悔が全身を覆っていくのが解る。後悔が罪に変わっていくのが解る。

「父様に虐待をされている、なんてウソを信じて、よくここまで僕についてきてくれた。でも、僕が練ったこのイタズラに気付かない騎士なんて、僕の国には必要ない」

僕の国、という時、カイザーの口調はやけに強くなった事を、シャーリーは思い返す。罪が確信に変わり、体を絶望が絡め取る。

「僕は、僕の国、を作る。法律もない、完全自由な、僕の国だ。そこに、人を殺したくらいで、絶望してしまう人間は必要ないんだよ、シャーリー。全ては君の意志で行った事だろう?なら、僕も僕の意志で、君を文字通り切り捨てよう」

白いマントが、暗闇の中ではためいた。中央に走る緋色の縁を割って伸びたのは、彼の剣だ。その太刀筋も、その剣も、シャーリー自身が与えたものだった。その剣が、彼女の頭上高くに掲げられる。暗い夜空に立つ柱の様に。その後ろには、彼女自身がつけた火が燃え盛っている。言葉もないまま、彼女は一筋だけ、涙を流した。震える声が、最期の言葉を言った。「カイザー・・・私は貴方を」

振りぬいた剣先が、血を払った。潰れてしまった彼女の首が、涙を流し唇を薄く開いたまま、大地に転がってく。

「愛している、だろう?」

呆れた口調で彼は言った。彼女の飛んだ血液を拭いもせず、左上に視線を投げて、揺らぐ炎に死に色の眼を寄せた彼女に語りかける。

「僕も、・・・まぁ、愛してたよ」



どのような世界であっても、そこに、人間という種族が誕生し、言語と文化を発展させた先にあるものは、恐らく戦争であろう。

この世界にもまた戦争はあった。その世界には、モンスターが闊歩し、ヴァンパイヤが、エルフが、獣人が存在する世界である。竜が地底深くで眠り、魔法が飛び交い、妖精たちが囁く世界である。

その世界において、先ず人間達は、モンスターに対抗する為に、ギルド、と呼ばれる商会を作り出した。旅と貿易の安全を保護する事を目的とし、作り出された制度であったが、時が経つにつれ、世の中にある一種の暴力を飲み込み表面化を始める。自分達の利益のみを追求した彼らは善良な人々にとってモンスターに準じる脅威となり始めた。倒したモンスターの売買を行い、密売を行い、或いは要人達の暗殺の請負を行い、戦争の傭兵となり、古代遺跡の盗掘を行い、更には山賊、海賊紛いの窃盗を行う集団があらゆる土地で勃興し始めた。そんな時代の事である。

ならず者どもが寄り集まった数百のギルドの中から、一つの国が誕生する。雪で覆われる北の大地を領土とした、その小さな国には、50人に満たない国民と、赤い髪の王がいた。「地下世界」であった彼らのギルド名を知るものはほぼいない。何故なら、彼らの徹底した攻撃性、そしてその苛烈さから、人々は恐れを込めて、彼らをこう、呼んだからだ。

STORM

#オリジナル小説

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