ワンパンマン二次創作 Alice 11

Tonight, Tonight 1

後頭部から吹く風が、ノリオの乱雑な揉み上げを浮かす。頬を刺すチクチクと言う刺激、そして冷たい外気温に気がついて、ノリオは目を開けた。

眼前には小さなフィギュアの様なクリスゼファーが、その中央に大穴を開けられて正に崩壊していく最中だった。見開いた目の端から涙が散って乾いて行く、落ちて行く涙の粒の行く先は随分と遠い大地だ。困った様に揺れて溢れた涙が、ノリオのボロボロのスニーカーにしがみついて最後の抵抗をした。底の擦れたスニーカーの先にはだだっ広い虚空が広がっている。

「あれ?ノリオさん?」

耳元で声が聞こえた。それは自分の胴をしっかり抱きかかえた黄色い腕のヒーローのものだ。状況を飲み込めないまま、その黄色い腕を掴み、どうにか後ろを見た。綺麗なハゲ頭が陽光にきらめていて、そこを光源にした逆光が彼の表情を陰に隠してしまっている。唯一視認出来たのはその口元だ。まるで神のように緩く綻んでいる。白黒する意識を風に攫われたまま、その声の主を思い出す。随分前だ、久しぶりだ、そしてまさか、と思う人物だ。

「サ、サイタマ………、君?!」

ヒーローは嬉しそうに彼に返す。

「おー!ちょう久しぶりー!元気してましたか!」

落下していく風の音の中で彼は笑いながらノリオに返した。胃が迫り上がる様な浮遊感に足をバタつかせながらノリオにはまだ事が上手く飲み込めない。この状況で元気だったよ、君はどう?なんて返す方法を知っていたら、きっと学校で孤立なんてしなかった。だから、ノリオが取る行動はこうだ。

「え、いや、落ちる!落ちッ………!うわああああ!」

死にたかった事も忘れて、ノリオはサイタマの腕にしがみついた。自分の声が大きくて、幾分抜けたサイタマの声が、大丈夫っすよ、なんて言っているのは聞こえない。果たしてサイタマの宣言通り、二人の体はふわり、と地上に着地した。必死で足を引いて体を固めていたノリオの足が、抜けたまま地面へとへばりついたのは数秒後、震える体を抱えながら斜め上を見上げると、そこにはやはり、あの頃よりは随分と、いや全くと言って良いほど禿げ上がってしまったサイタマの微笑んだ力強い姿がある。黄色いヒーロースーツを選ぶ辺り、あの頃とセンスは一切変わっていない。ただ、あの頃の彼は何者でもなかった。何者かになろうとしている高揚感はあったけれど、そうなろうとしている彼は鬱屈していて不快でもあった。そんな不快感、暗い鬱屈した感情が、環境が全て晴れて、彼は確かに何者かになってノリオの前に立っている。例えるなら、変身した仮面ライダー、スーパーサイヤ人になった悟空、勇者になったダイ。けれど彼はそのどれとも違う、またとない空気を背に纏っている、それはそれは、爽やかな、諦観そのものを。暑苦しい勇者は諦観を知って寛容となる。寛容はいつも人の目には何処か抜けてだらしなく見えるものだ。そんなどうしょうもないヒーローとして現れたサイタマは再び彼に問うた。

「大丈夫っすか。いやマジで偶然っすね!助けてくれ、って声聞こえたんで来たんすけど、まっさかノリオさん助けるとか!」

ははは、という朗らかな笑い声が荒廃した街に響く。抜けた腰のままノリオはその笑い声を聞いた。何故彼がそんなに朗らかなのか、何故、自分を、この場合助けたと言うかはわからないが、何故、自分をこの様に扱うのかがわからない。だから発する言葉が見つからなかった。そんなノリオを置き去りにしてサイタマが笑う。

「向こうの市に怪人出たらしいんで走ってたんすけど、こっちも結構ヤラれてますね。なんかロボットが暴れてたって聞いたんすけど」

辺りを見廻すサイタマの視線に吊られてノリオもまた周囲を見渡した。人の血液が焼ける匂いと粉塵が舞う匂いが辺りに充満していて、ノリオの目をまた暗くする。そうだ、僕はこんなところにいちゃいけないんだ。自分はもう助けられる立場でも救われる立場でもない。ただ、殺すのみだ、そしてそれが為されないのであれば、殺されるべきだ。クリスゼファーを無くした自分に出来るのは、石でも鉄棒でも瓦礫でも持って人の頭を叩き割る事、そして抵抗され殺される事。矢張り死ぬ為の算段を思考して彼はじっと煤けた地面を見つめている。俯きまた恨みを育て始めたノリオを無視して気の抜けたサイタマの声が響いた。「まぁいいや」

ノリオは愕然として顔を上げた。まぁいいや?彼はヒーローとしてここに現れた。ならば怪人を殺すべきだ。ノリオの口の中が乾く。まぁいいや。それは許しだ。赦しをノリオは求めてはならない、赦された時、ノリオは本当に全てを失ってしまう。憎まれる事のみが唯一のコミュニケーションである怪人の在り方さえも否定されて、自分はどう死ねばいいのか。だから焦った。自分を怪人として殺してくれる他者の憎しみ、(それは愛の一形態でもある)を煽る為に口を開く。自分の恨みを、憎しみを、まぁいいや?まあいいやで済ますものか。まあいいやで済ませられるなら、自分は死のうとしなかった。

「………僕が、やった………」

既に踏み出しかけたサイタマの足首を掴む、ノリオの怪物が唸りを上げる。

「僕が……やったんだ、僕が!僕がクリスゼファーを作ってaliceを作った!お前ら全員に復讐するために!」

ジーンズの膝にべっとりとついた白い汚れを払わずに、ノリオは立ち上がる。立ち上がる際に肋が酷く傷んだ。咳き込む喉と胸を押さえ込んで立ち上がると、バランスが取れなくて一瞬転びかけた。それを耐えて、血の滲む視界がでもって、ノリオはサイタマを罵倒する。

「………僕はもう、………僕はもう怪人なんだ!僕は、aliceと一緒に人類を滅ぼす為に存在している!もう止められないぞ!ヒーローにだって!神様にだって止められない!」

ノリオの告白を黙ってサイタマは聞いていた。目の色が如何にも遠くて澄んでいて、何処か悲しみさえ感じられた。だが、ノリオの憎悪を受け取りながらサイタマは真摯に彼を見つめている。それは沈黙の後に赦しになるだろうか、果たして愛を持った制裁へと突き進むだろうか。ノリオは心から制裁を望んだ。制裁による死をもってして初めて憎悪という宗教的イデアは完成する。ノリオの祈りに呼応した辺りを舐める火災風がサイタマのマントを靡かせた。やがて、待ちくたびれた爆発がヒーロー、サイタマに決断を迫る。二人の男が、炎の中で相対している。意思の炎の内で相対すものをなんというか、それは「敵」である。

鼻息荒く未だ破壊に囚われたノリオを暫く無言で見つめたサイタマが、苦々しい溜息をついた。重い吐息に載ったのは、「ノリオさん…………」という悲しい響きを持つ語句だ。それでノリオにも覚悟が決まる。歯の奥を噛んだ。そうしたら、サイタマが続けてこう言った。

「いや、まぁ………わからんでもないよ」

いや違う。とノリオの脳に的確なツッコミは浮かんだけれど、言葉にはしなかった。しなかったというより出来なかった。この状況でこの緊張感の中、ヒーローが発するべきは、悲しみにくれながらの正義執行であって、わからんでもない、という世間話ではない。思い通りになってくれないサイタマのシナリオにとうとうノリオは、はぁ?!と情けない声をあげてサイタマに縋った。

「わかるって何が?!お前何にもわかってねえよ!俺は怪人だつってんだよ!俺は人を殺すぞ!殺す為の機械を作ったんだ!俺はもう止まらない!止められないんだ!俺をいじめた奴ら全員に復讐する為に俺は」

「確かに、あのコンビニ、酷かったもんなあ」

今度はノリオが固まった。言いたい事は主に苛立ちをして山ほど出てくるのに、それが言葉にならなくて、二の句の告げない。そんなノリオを恐らく見もせずにサイタマは大仰に溜息をつき、そして両手をあげながら肩をすくめた。そしてこんな酷い赦しをノリオに与えたのだった。

「いや、ノリオさんの扱い酷かったもん。客もクソばっかだったしさあ、店長もアホだし、俺も何回あの店ぶっ壊そうと思ったか」

いや、ちが、とどうにか呟いた。動機が小さすぎるし、そんな下らない事のために命をかけたんじゃない、僕は全人類の廃滅を誓って、と脳内で台詞は回ったが、ヒーローに届かない。そして届かない言葉は存在しない。

「チャラ男は働かねーし、女もスイーツ勝手に値下げして持って行くしさあ、駄目だってアレは。まぁでも丁度良かったんじゃないスか?」

言いつつサイタマが真横を指差す。目を剥いたノリオも何故かそっちを見た。そこには、バスとランボルギーニと、クリスゼファーに押しつぶされた元職場の残骸がヘタれている。酷い偶然に絶句して口を開けていると、誤解したままのヒーローが笑いながらいい気味だ、と繰り返した。いい気味だ。そうではない、とノリオにはわかっている。けれど、いい気味だという言葉を聞いて、本当にそうだ、と返しかけた。つまり自分は結局こんな小さな事の為に行動したのだ。6年という歳月をかけて。崇高に見えた理想は結局ただの我儘で、ただの恨みで、それをぶつける社会的方法なんてたくさんあったのだけど、それをあえて避けたのは自分で自分を過大評価していたからだ。それに気付いたら、なんだか全てが馬鹿らしくなった。そう思ってしまったら、これ以上の恨みはただの喜劇だし、滑稽だ。

確かに怪人に成ったのに、何も成果を残せなくて、理想も何もかもを手折られてノリオは、胸の奥から息を吐いた。そしたら足の力が抜けて、再びその場にへたり込んでしまった。ノリオの目には赤く煤け始めた夕焼けが見える。赤さはまだ随分遠い。忘我のまま薄っすらと紅に染まった雲を見つめていたら、その雲の間から突然光の柱が屹立した。あれはソーラーレイ、ソルの光、空白の後地面を揺るがした衝撃にノリオの表情が危機に硬くなる。その表情はもう、怪人のそれではない、平和を願うただ一人の人間の瞳である。そしてヒーローもまた、その危機に振り返る。サイタマが言った。

「アレもノリオさん作ったつってたっけ」

少しだけ気恥ずかしくなって、小さな声で、うん、とだけ言った。ノリオの答えを聞いて、サイタマはそのツルツルの頭を掻く。

「バグってんだな。まぁ、叩けばなおるか」

そう言ってサイタマはaliceに向けて足を踏み出した。何をしても止めなければならないがノリオにもう術はない。何より彼は言った。バグってる。彼よりは自分に知識がある、生物工学の知識もロボット工学の知識も技術も経験を積んでいる、だが、バグっている、という現状認識はもしかしたら正しいのかもしれない、とノリオは考えた。そうして、ノリオは彼に全てを一任する。何故なら怪人が、どのような理由で存在しようとヒーローは止まらなからだ。だからヒーローは強いのだ、とノリオは理解した。火に、陽光に、靡くマントにノリオはクリスゼファーの影を見た。自分はなれなかったヒーローの後ろ姿を見送る。敗北が心地よいなんて、誰も教えてくれなかった。唇が震えた。言ってはいけない言葉だったけれど、敗北した自分にもう、それを制約する理由がない。息を吸って声を出した。

「サイタマ………君!」

大地を踏もうとする滑稽な姿のまま、サイタマが振り返る。表情に迷いなんて欠片もない。坊主の無垢さで彼が佇んでいる。だから、それはそれは遠回しな謝罪をした。

「なんで、……僕を、助けてくれたの?」

ノリオの言葉に、踏み込みかけた足を正して、再びハゲマントが彼を見る。そしてやっぱり笑って言った。

「ノリオさん、助けてくれ、つったろ」

続いたヒーローの言葉にとうとうノリオは救済された。有無を言わさぬ、その正義の執行に完全に裁かれた。ノリオの後悔も恨みも憎悪も孤独も卑屈もがサイタマのこのたった一言で報われた。

「俺はヒーローだからな。助けてくれつった奴はどんな方法でも助けるぞ」

大地を思う様踏み込んでハゲマントが空を飛んだ。粉塵に、黒煙に狭められていた視界が開く。空である。青い広い空である。その広い青い澄み切った空に赤いマントがはためいて消えて行く。ああ、僕は。ノリオの中に青い何かが広がっていく。強く広い空が広がって行く。僕は何故今までこんな空を知らなかったのだろう!

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