DASH 0円食堂

そのじゃがいもにしてみれば晴天の霹靂である。
母の手に繋がれてどのくらい立ったろうか、土の中は暖かく心地よかった。兄弟達はピクリとも動かなかったけれど、意志らしきものは感じられた。今日は雨が降るね、ああ、モグラが其処まで来てる、ミミズが這ってくすぐったい。時折兄弟が激しい日の光に晒されたのち、母の手を離れ声を失ってしまったが、すぐさま新しい母があり、兄弟を、姉妹を、そして自分をしっかりと土の中に守ってくれていた。雨があって、夜が来て、日が昇って、また夜が来た。地面の中が蒸れるほど暑くなり、ジャガイモ達も汗を掻いた。何人かの兄弟が、土の上に登ろうとして息絶えた。それもかのジャガイモにしてみれば常の光景だった。空気が冷えた。空は高くなって、兄弟達は太った。しかし、かのジャガイモの体は一向に大きくならない。萎び始めた母が悲しそうに蹲るのをみて、自分は小さいからきっとこのまま土の中に居れるだろうと想った。母もそうするべきだと言った。やがて母が真っ黒になった。相変わらずミミズやモグラが土を押しのけて兄弟達を食べようとするけれど、自分は見向きもしれなかった。ただ、少しずつずれた土のお陰で、彼は腐った母のすぐ隣に位置を置けるようになった。匂いが酷いが、母の汁を吸い込んだ土は豊潤で、かれは今度こそ大きくなれるだろうとおもった。
やがて土の中に氷が染み入ってきた。夜は冷え、朝も冷えた。やがて太陽が遠くなり、土は白い氷に覆われたが、土の中は依然暖かかった。新しく出来た兄弟達の顔を見ていると、なんだか彼はとても眠くなり、ついには氷の下の土の中でとろとろと意識を失ってしまった。やがて何回かの夜と朝がきた。土の中に立っていた氷が段々と溶け、眩しい何かが差し込むようになった。今まで何処に居たのかと思えるほど、虫達がざわめきだした。ああ、起きなければな、と彼は想う。けれども眠い。まだ、眠い。また数回寒さと暑さを繰り返した。けれど、それを数えることも忘れ眠っていたジャガイモは、突然の光に目を覚ました。引き抜かれた体に兄弟達が引っかかっていた。ああ、土の上に飛び上がっていった兄弟達は、こんな光景を見ていたんだな、と思った。体が硬い何かに当たった。兄弟達も黙ったままそこに横たわった。じゃがいもはそれを見ながら、結局土の下には居れなかったなあ、と想った。母の姿はもうないから、それでもいいか、と想ったとき、頭上からまた仲間の体が降ってきた。
土の中のように、仲間の体は彼を埋めた。少しの暖かさと窮屈さがあったけれど、彼は動けないので、そのままでいた。仲間達は懐かしい故郷の垢を全て冷たい水で洗い落とされる。時折肌を削って洗い落とされる。彼もまたその水流の中に居た。鉄の上を飛び跳ねながら、体から落ちて行く垢を見ていると、誰かが自分の体を持ち上げた。あんまりにも大きな声だったので聞き取れなかったが、「小さい」と言っているようだった。母の体を飲み込んでも自分は大きくなれなかったのか、とじゃがいもは少し悲しくなった。悲しくなったけれど、どうすることも出来ないので、黙って床に放りなげられた。
懐かしい土の垢が体についた。よく見れば軒下からねずみがこちらを覗いている。土の中では目はなかったのに、地上では目が開くのだな、とじゃがいもは可笑しくなった。笑う次いでに体を揺らしたら、驚いたねずみが逃げてしまった。世界が暗くなった。さっきまで響いていた大きな音も止んだ。いつ死ぬのかな、とじゃがいもは考える。ここで、兄弟達を作るかな、とも考える。腕を伸ばしてみたけれど、中々伸びようもない。けれど諦めず彼は腕を伸ばし続けた。やがて朝が来た。
一昼夜寝ずに腕を伸ばしていた彼を持ち上げた何かがあった。足が伸びないか、とじゃがいもは期待したけれど、やはり足も伸びない。
「これ、頂いていいですか。小さいから売り物にならないみたいなので」
どこかから声がした。けれども彼は今腕と足を伸ばす最中だったので、それを無視して頑張った。
また、懐かしい垢が落とされた。垢が落とされてしまったら彼はもう一つのじゃがいもなので、なすすべもなかった。土の中に暮らすつもりだったけれど、こんな最後もまあ、いいかと想った。兄弟達と同じ死に方が出来るのだな、と想ったら少しだけ誇らしくなった。上向きに微笑んだ彼の目に、気のいい笑顔をした人間の男の顔が目に入った。その目を削る突然の凶器に、何処か爽快感すら覚えながら、彼は人の手の中で息絶えた。


#即興小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?