last of aden~エデンの果て~2

アデン城内の長い廊下を足早に急ぐ一つの影があった。宮中の者は皆、足早に通り過ぎる銀色の外套と、それを包む勇壮な銀騎士の鎧を振り返り、何事かを囁き合っている。端正な顔立ちには似合わぬ皺を眉間にはりつけて、銀騎士は廊下の突き当たりにある重厚な扉を見据えていた。その扉が近づくにつれ眉間の皺は益々濃くなる。やがて乱暴にその扉を開け放って、彼は騎士らしからぬ乱暴な声で部屋の主の名を呼んだ。
「カスパ!」
声をあげたら息が切れた。上下する肩を落ち着けて周りを見渡す。そこには大きな窓と、そこから差し込む日光、それに照らされた豪奢な調度品が静かに横たわっている。けれども、探す人間の姿はない。
ないと解ったらまた怒りがこみ上げてきた。ガラス板のテーブルを見やれば、二本、空になったワインの瓶が投げ出されている。「カスパ!」
美しいリビングを蹂躙するように、銀騎士の靴音は部屋中を回った。けれども、見当たらない探し人に彼の苛立ちは募るばかりだ。痛む頭を抱え込んで、潜んでいそうな場所を思い描く。左を見れば、そこには寝室へと続く、これまた重厚な扉があった。確信をもって、銀騎士はその扉へと足を進めていく。
先ほどよりも大きな音を立てて、扉を開いてやった。すると、男一人の部屋にあるはずもない声、それは妙齢の女性の高い声だ。それがきゃあ、と響いて銀騎士の足と、思考を止めさせた。薄暗がりの中に鎮座する、天蓋付のベッドには確かに探していた男と、そして余計なものが二つ横たわっている。
それを理解した後、一度深い溜息をついて、銀騎士は再び頭を抱えた。それらから目を離してはいるが、その場に立ち尽くし、カスパという男の次の文句を待つ。
「やっべぇ、見つかった」
彼が軽薄な声をあげると、その声色に吊られて、彼の隣に横たわっていた二人の女ダークエルフ(どちらも裸体であった)が、こそばゆい笑い声を上げた。自分の世界にない、破廉恥な光景を目の当たりにしては怒りの行き所がない。かみ締めた奥歯の痛みがそのままこめかみに映ってきて、とうとう吐き気まで催した。
「コネホ、お前、無粋だぜぇ?こんな時にはいってくるなんてよう」
頭を抱えたまま、コネホは静かに、黙れ、とカスパに告げた。しかし、今この現場において、道化は確実に銀騎士、コネホその人である。が、彼が慌てて場を辞さない理由を、カスパもまた心得ている。心得ていながら、やはり彼を茶化す。
「こいつなぁ、俺の部屋来るときは大概キレてんだ。なにをそんな腹立つことがあんだろうな?俺なんて」
「カスパ」
声色は静かだった。だが、譲らぬ強さを持っている。その静けさに押されたカスパの舌が軽くなる。
「まぁ、まてよ。これからお楽しみだったんだ。数刻ぐらい待ってくれたって」
と言いかけてカスパは、顔を上げて自分を直視するコネホを見た。
日を背にカスパに向けたコネホの表情は様々なものを含んでいた。友愛でもあり、怒りでもあり、諦めでもあり、呆れでもあり、そのどれもが真摯だった。
ニヤついていたカスパの表情から、卑しい笑みが消えた。そして友を前にした男の表情へと形を変える。肩から深く息を吐いて、コネホに言った。
「わかったわかった。着替えるからちょっと出てってくれ。それとも俺のこの美しい体を拝みたいか」
きびすを返してコネホは答えた。「目が腐る」
小さく舌打ちをしつつ、ベッドの毛布を跳ね上げた。同時に寝室の扉が、日光をさえぎり始める。
その隙間をぬってカスパはコネホに声を掛けた。
「ああ、ワインでも飲んで待っててくれ。ウッドベックから届いた最高級品が残ってる」
扉を隔ててコネホも答えた。
「貴様が着替え終わる前に、飲みつくしてやる」

頭を掻きながら、リビングにカスパが現れた時、コネホは丁度二杯目をグラスの中へ注ぎ込んでいた。へらへらと笑いながら手をふるカスパを一瞥したあと、憮然とした表情のままそれを一気に口に流し込んだ。そして宣言した言葉どおりの速さで、ワインの瓶を引っつかみ、三杯目をグラスに注ぐ。それほど強くもないくせに、と笑いながらカスパは、コネホの座る真向かいの長いソファへ足を伸ばして転がる。彼を見ぬまま、日の差し込む窓へと目を向けた。コネホの隙を縫って片手でワインの瓶を取り上げた。そしてその口をグラスへ傾ける。
口を塞ぐ手段をなくしてしまったコネホが、薄く染まった頬のまま問うた。
「あれは、お前の案か」
低く、正確に言葉を発した。詰問の調をもった声色だ。答えぬままカスパは片手でグラスを回している。
体に篭った熱を解き放つように、コネホは吐き出す。
「今のアデンの状況をお前はわかっているのか?いつ破裂してもおかしくないんだぞ。おまけに王はあの調子だ。この情勢の中で、お前の案がどれほどの意味をもつか、考えたことがあるか?」
やはり答えない。
「ウッドベックの予言は、今や知らぬものはいない。今お前がすべきことは、あの予言の意義を無くすことだ。それがお前の仕事だろう?」
コネホの抗議に笑いを被せてカスパは言う。
「信じてるのか」
カスパの言葉に、一瞬コネホの脳裏に奇妙な気恥ずかしさが沸いて消えた。次にせり出したのはやはり怒りだ。
「信じているわけではない。だが、あの文句は、必ず城を維持する障害になるぞ。みすみすそれを早めてどうする?」
一瞬の気恥ずかしさに気を取られ、絡まった舌をどうにか解きほぐしてコネホは言った。けれども、彼の声色には焦りと自己否定が滲んでいた。
恐らく誰にも問われた事はないのだろう。ウッドベックの予言を信じるか否か。それはつまり、心の奥底で予言を信じているに相違ない。
コネホの心情を察してか、ゆっくりとカスパは口を開いた。片手で回していたグラスを静かにガラステーブルの上へ置きながら。


「なあ、コネホ」
いつになく深く、憂いを帯びている声だ。
「この世界ほど、変化を欲する国はないぞ」

風が開け放しの窓から部屋に吹き込んできた。外には短い生を謳歌する鳥達の鳴き声と、柔らかで平穏な空気をもったアデンの町並み。人々の歩く声、子供達のはしゃぎ声、その全てが芳醇に溶け込んだ、大アデンの甘い風。それがカスパの声に誘われたように部屋のカーテンを揺らしている。

「誰もが変化を望んでいる。渇望にも似た変化をな。皆、変化するために装備を買い、武器を求め、モンスターと小競り合う。平穏を、誰も望んでいないんだ」

この緩やかな空気と温かな空に包まれても人々は確かに変化を望んでいた。世界はあるがままでいい、けれども自身は常に変化しなければならない。その渇望は確かに、このアデンに住まうもの皆が持っているものだ。

「あの予言は、それに火をつけている。変化を後押しするには絶好の大儀なんだよ。俺の舌先でもう、どうにかできる問題じゃないんだ」

カスパの耳の奥で、コネホの深い溜息が聞こえた。気が付いていないわけではなかっただろう、と推測する。けれども、とカスパは目の端に映った悩める友の姿を覗きみた。
彼は騎士である。騎士の中の騎士である。心根も体も、その全てが騎士という不可解な(これはカスパには理解できない世界の事だった)虚像に注がれている。故に彼は苦悩するのだ。騎士は仕えるべき王をもって始めて騎士となる。その王を拒絶することは、つまり自身の拒絶に他ならない。

「だからといって」

認めぬ頑固さもまた騎士のうりだ。ここでそれを飲み込まないコネホを嬉しそうに見つめてカスパはコネホの苦しげな反論を聞いた。

「エルフ狩りとはどういう事だ。一体何人のエルフが死ぬと思う?!」

コネホの強い怒声に重ねてカスパが答えた。

「じゃあ、このまま緩やかな変化を待っていれば、一体何人の人間が死ぬと思う?」

二の句を告げずに、コネホはカスパを見つめて押し黙った。爽やかな風は未だ、カスパの部屋のカーテンを揺らしているけれど、光に照らされた二人の影は相対したまま動かない。
そして口火を切ったのはやはりカスパだ。
「このまま、あの予言に踊らされたものが何人このアデンに攻め入ると思う?一血盟か?二血盟か?それとも同盟を組むか?烏合の衆に、このアデンは攻め落とされるほど安いものか?」
緊迫した空気を笑って、カスパは冗談でもって続けた。
「この城にはコネホがいるぞ。何人、お前は人を斬らなきゃならなくなる?」
浮きかけた腰を再びソファに沈みこませて、コネホはとうとう高い天井に向けて意気を抜いた。豪華なシャンデリアがぶら下がる天井に向けて、怒りを解き放ってしまったら何故だかとても情けなくなった。そうして、そういえば、カスパに口で勝った事が一度もない事を思い出した。
「100人生かす為に10人殺せ。俺の仕事は政だ。これは100人殺さないための一つの手段なんだよ」
ぼんやりカスパの弁を聞きながら、何故かコネホは「王は」と呟いた。
けれども、続けようとした言葉が見つからない。王はどうなるのだ、か、王は無事なのか、そのどれもがしっくりこなかった。やはりカスパが答えを出した。
「あれの、どこが王だ」
今度はコネホが微笑んだ。その笑みには自嘲も含まれていたが。
どこが王だ、と呟いたカスパの声に、哀愁と幽かな怒りが込められていたからだ。長い付き合いだからこそ解る。この男は、関心のない人間に感情を滲ませることはない。
「俺にはしなびたジジイにしか見えないよ」
グラスに残っていた赤い液体を飲み干してカスパは言った。そして組んでいた足を地に付けて、片手でワインを引っ張った。空になったグラスの中に、赤い液体が再び満ち満ちてくる。
暫く、静寂があった。じっと天井を向いて何かを考え込んでいるコネホをカスパはグラスの間から覗いた。そしてやはり予想通りの言葉を吐いた。
「それでも俺にはあの人が王だ」
カスパに反論はなかった。ただ、疲れたように膝に腕を置いて頭を垂らした。暫くそのままでどこか遠いところを見つめていたが、やがて二度、声なく頭を縦に振った。
「俺はやはり、エルフ狩りを承認できない。何故エルフなんだ」
ふと、何かを思いついたようにコネホの顔が輝く。見開いた目をカスパに近づけて唾を飛ばしながらまくし立てた。
「ナイトならどうだ?!強いナイトならそうそう狩られる心配はない。そうだ、男ナイトを狩る事にしよう、そうすれば」
「情報提供者がいた」
またも重ねてカスパは言う。近づいていた所為で、コネホはカスパの苦々しい憎しみの表情を眼前に見止めてしまった。
「お前、俺があの案出したとまだ思ってんのか。違うよ。情報提供者が王に進言したんだ。エルフが予言に関わるだろうってな」
声を潜めてコネホは問うた。「誰だ、そいつは」
ちらとコネホから視線をそらしてカスパはテーブルの上の葉巻に手をとった。先をシガーカッターで切り取り、指の先に浮き出た炎で火を点ける。
「だれだ?」
コネホの声が更に近くなった。その声に最初の一服を吹きかけて、カスパは答える。「言うなよ。誰にも」
顔の前の煙を取り払いながらコネホは、ああ、と告げた。

潜めたカスパの声が、コネホの耳に近づく。

「ウッドベックの予言者、モイナと同じ研究をしてたウィザードだ。『流れ』の研究らしい。そいつが、今予言を解き明かしている。名前は確か・・・Wednesdayだったかな」

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