見出し画像

霧島訪拝 二拍手 中日

目が覚めたのが、早朝六時、体がなれてしまつているらしい。中日の予定は何もなかった。どうしようか、と思い立ったが、参拝をするのは基本早朝から午前中の間、と決めていたので、一先ず国分から近く、鹿児島神宮へと詣でる。宮司さん達がせっせと庭をはいている、雨もあがったようだ。

何処へいくかもわからぬまま、と亀石

辺りを散策する。石体神社、卑弥呼神社の看板を見つけて嬉々とした。九州、阿蘇の周りには、岩の神が実に多い。大岩が神で、大岩は山である。そして山は火を噴き、森を焼き、森を育てて、大地をなす。人のおらぬ御世に、頭どころか体を吹っ飛ばした、という阿蘇の大山神の神威は、人が入植した御世にあっても健在であった証左であろう。石の名のつく神は旧い。縄文の神の名は、石神といった。

湯の友の笑い顔に絆されて日当山

秘湯、特に人のおらぬ貸しきり湯を好む私では在るが、はたしてこの湯屋には満足した。人のおらぬを見計らって入湯したにも関わらず、次から次へと恐らくは地元の母じょうが集まってきて、井戸端ならぬ、風呂会議がはじまる。ささと体を清めて湯に浸かる。あつい。15分は口を噛んでいようと想ったが、10分で音をあげた。あがる際、「熱かったじゃろ、そっち熱いんよ」と母じょうが笑う。私も笑ってしまった。

さて、湯屋で口を噛んでいたら行く先がきまった。和気神社へと赴く。遠く聞こえるは和気清麻呂、宇佐神宮神託事件の立役者である。建立が比較的新しいものらしい。竜馬とお龍さんが歩いた御世にこの神社はあったとかなかったとか。島津斉彬の命だとかなんだとか。兎にも角にも、和気清麻呂に縁ある神社である。

戌の振りも様である、亥が二つ

白い猪が境内で飼われていた。わけちゃんと名づけられている。何事かわからぬまま小屋の前に立つと、白い猪がぬうと顔を覗かせたので驚いた。大人しいイノシシである。なるほど、清麻呂であろう。

朱印帳と朱印を頂く。これで六社参りの下準備は万全である。余談では在るが、私は今年本厄であるらしい。御籤には「小吉」と出た。参拝した先全てで小吉を引き当ててしまい、雌雄すべきである、と託を授かった。僥倖である。

再び車を走らせる。熊襲の穴と書かれた看板も見つけたが、立ち寄らなかった。高千穂川原を目指したからだ。前回霧島へ詣でた際には、その先、屋久島までいかなければならなかったから、後ろ髪を引かれながらも訪問できなかった。山の奥、木々の合間を縫って走って、照った日が所々に葉の影から絵を描いて、その中を硫黄の風と共に走りぬける。木々が気をきかせて覆っていた翳がはれたら、天上がみえた。極楽とは確かにこういうものだろう、とおもった。

身一つで立つ御山の前

山があった。山は宇宙である。生と死が山の中で行われている。山は障り、恵み、産み、殺す。男神であり女神である。山がみえぬか。私には見えない山が見える。雨が降って、日が照って、風が吹いて、山が火を噴き、木々を燃やして、また土になる。灰から芽吹き、鹿やら猪やらが芽を食う。鹿を狙って、山犬やら狼が走る。朽ちた鹿の体を蛆が這って、鴉が喰うて、また土にする。鳥が種を運び、花が芽吹く、草木が芽吹く、山に成る。永久機関がここにある。

雨が降って山が成って、乾坤す

昼時であったので、店で蕎麦を食す。暖かくしているのは、変わりやすい山の天気に合わせたものだろう。登山服の方々が多くいらした。

神前を辞して、行く場所に困った。仕方がないから、アートの森へ行き、暇を潰す。霧の中で巨人が現れたのはおそれいった。腰に紐でもつけて飛ばなければならない、とおもった。


時間は早いが、再び国分にゆく。寝床は昨夜のネットカフェである。旅の恥は掻き捨てであるから、外聞もなく、食事をとって寝た。明日は最終日だから、少し早めに起きる予定である。夢の中で、翁が踊っていた。そういえば、前回、御池で仮眠をとった際、御池の化身が現れて、酷く私を叱った。そんな事を思い出した。


#旅行記 #霧島

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?