2019 7・7

七夕らしいですね。

僕は今目が覚めたところ、前後不明で寝てて全身が痛い。特に肩と腰。悲しい話だ、老いとは、で呟きたくもなる。

だけどなあ、僕は別に老いそのものを敵視もしていないし嫌悪もしていない。老いていく、それはひとつの救いでもあろうから僕はそれを受け入れてこの無駄な時間を暮らしていく。丁寧な暮らしなんかしないよ、ただ無駄に老いていく。

ついったのTLを追うに、こんな話題を見つけたんだ。曰く、「若い頃チヤホヤされてた美人が、トシ取って相手にされなくなった」

まぁこの経験があるからこそ、ついった上のクソフェミ達はこぞって「自分を人間扱いしろ」なんて斜め上の発想と言動が出来るんだろうと思う。そして老いについて必死で、それこそ必死で目を背け続けているんだろうなあ。僕も20代、女の若さと美しさを切り売りして生活費を稼いでた。でもやっぱこれが続かないなあって事は良くわかっていて、それでもさあ、人間は幸せの瞬間、「このときが永遠に続くんじゃないか」って思うもんだよね。自分は若く美しく、愛され認められ尊敬されうる人間である。

違うなあ、違うんだよなあ。

「自分は醜く、無能で、年老いて、嫌われ、蔑まれても、価値のある人間である」

んだよなあ。僕は。

僕がこんな考えを持つに至った背景に、とある女性写真家の思想がある。そいつは、日曜美術うんたら、テレビで放映されてたインタビューの中で語られた言葉、僕はその写真家の名前も写真も、何も覚えていないけれど、その人は言った。

「老いを受け入れるのは女性にとって覚悟が必要です、だからこそ私は老いて死んでいくものを撮る」

うお、カッコイイ。そう思った。自分もいつか枯れて、皺だらけになって、骨と伸びきった皮だけのバケモノのようなババアになる。どんなに着飾っても、どれだけ金をかけても、「愛される」のは若い女だし、「選ばれる」のも若い女だ。着飾って歩いても、努力をして「年の割には美しい」といわれても、意味が無い。意味の無い努力をしている。

でもだからって、若返りたいか?ってそれは嘘なんだよ。強くてニューゲーム、それが出来りゃあいいけど出来ない仕様なんだ、この現実世界サーバーは。レベルが上がれば容姿ステータスは衰える、体力値もスタミナも衰える、でもそれがいいんだよなあ。

その時間による絶望の先に、僕達はひとつの悟りを得る。それは寛容に関する、世界を平和にするステータスのひとつだ。若い間、その寛容は身につかない、だって世界は自分の為にまわらなければならないし、自分を中心にして世界をまわさなければならないから。そこに闘争はついてくるし、憎悪も嫌悪も差別も、当然ついてくる話さ。

私は美しさを諦めた。他人は自分をみていないし、実は世界は自分を中心になんて回っていない。現実サーバーは現実サーバーとして存在するだけで、僕らプレイヤーの事なんて何一つおかまいなしだったんだよ。だから、

醜い君も、太ってる君も、ババアの君も、じじいの君も、嫌われているかもしれない君も、憎まれているかもしれない君も、

存在してていいのさ。それを、「滅ぶもの」達が保障してくれている。

砂絵みたいだな、そいつは必ず消えてなくなるが存在自体が何か別の事象の保証になる。そんな静かな悟りを、僕は小さいころ、あの女性写真家から学んだ。

君はどうだい?化粧をしている?ヒールの高い靴を履いている?いやならさめればいい。君の事など世界はみてすらいない。君の存在を保証してくれるのは、君の「老い」だけだ。それはそれは安らかな寛容だ。ぬるま湯かもしれないがね、疲れたらそうなっちゃうもんだよ。そろそろ腰も肩も限界だ、猫を撫でながらこんなトシで始めたPUBGを楽しむ事にする。

老いて死ぬ瞬間まで、僕が僕を楽しむタメに。

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