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現実と理想の間

ここ数ヶ月ずっと五釘の事を考えてきて、頭の中は基本どすけべピンク妄想、本当に酷い非人間的な生活を送っている、と自虐している僕なのだけど、やっと最近になって、僕にとって「五釘」が何を示唆し、何を改変し、何をして思考実験と為すのか、の解が、おぼろげながら形を成し始めた。

これは僕の五釘エロ文章で少し前から書いていた事なのだけど、(大体思考実験などはそう言った過去の無意識の発露から進行していくものだ)僕は恐らくこの二人に

理想と現実、その対立を見ている。

プエルトリコの海とリルケの薔薇

五条悟は理想である。ありとあらゆる理想詰め込んだ夢の様な男。故に彼の世界はユートピア。形を変えたディストピアでもある。彼は全てを知覚し、把握し、最適解を導き出せる。彼は脳内で全てを知り、全てを見る。脳科学的には実に正しいシナプスの活用方法、人間は「自分の世界しか見ていない」いつも、常に、徹底的に。では、現実はどうだろう。

そして野薔薇は恐らく、現実、なのだ。理想には程遠く、足掻くほどに沼にハマっていくディストピア。それは正に希望を示唆するユートピアの指針、拳を握りしめる現実感、歯を食い縛る渇望感、VRではなし得ない現実感、脳が脳として機能していく為には、VRだけでは心許ない。どこかで読んだのだけれど、脳は精神を呼吸するらしい。外界から取り込むべきはVRに頼らない刺激、風と海と大地と太陽のランドスケープ。

この考えに至った背景を陳述すると、全く僕がどれだけ酷いクソエロ脳か理解していただけると思うのでここに開陳するが(するな)

五条悟は六眼で呪力の流れが見える

呪力の強さは感情の強さ、特に3大欲求起因の感情は呪力を多量に含む可能性

なら野薔薇の絶頂なんか事前に察知出来るんじゃね?あ、イくなって瞬間に腰止めればいんじゃね?

じゃファック自体予想通り、予定調和で面白くないよね

待て待て、それは脳内の話で、絶頂中の野薔薇の膣内、意味わからんぐらい良かったらどうすんの、感触的な意味で。感触があるのと脳内で補完のみするの、全く違うやろ。

ああ、なんてこと。
これは現実と非現実の、仮想と非仮想の、知識と体験の、フィロソフィアとエクスペリエンスの、闘争と対立と融和の物語だったのだ!

知識だけの人間に価値はない。全くない。そして体験のみの人間に、本質的な知識は根付かない。この二人が、愛し合いそして一つになる、それは世界の融合、愛の顕現、興り、一つの完成系が立ち現れる。

現実と理想はいつも対立する。現実を改変すべく理想は啓蒙を行うし、理想を貶める為に、現実はペシミズムを施行する。現実は常に(これは常に、だ)正解故に、理想は決して正解にはならない。だが現実を少しずつ改変していく為に唯一必要なものは、理想の希望に他ならない。

待て待て待て、完璧に補完し合っているじゃないかなんだこれ、これは僕の五釘脳がとうとう完全にバグった結果導き出した解か?(せやな)おかしいだろ、この整合性、この親和性、狙っているとしか思えない。(悲しい)

というバグを脳内で量産している毎日。ファンブック買いました。
野薔薇の好みは「織田信長」で「どんだけドMなん野薔薇」と頭抱えてしまった次第です。

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