ちぇんじ、ざ、すたっぷ細胞

同性愛者を、社会的に認めなくなったのは、明治の初期、海外から西洋文化の波が押し寄せてからだという。
キリスト教的な一夫一婦制、永遠の愛を誓い、生涯相手を変えないという結婚のスタイルは、それまでの日本の性風俗を一変させた。妾、陰間、男色、夜這い。性というものに倫理を使わなかったと見える日本人にそれはどう映っただろう。かつての日本において、男色は嗜みであったし、夜這いも、寂しい未亡人を慰める一つの手段だった。妾を持つのは金持ちの特権でステータスだったのも今は昔の話、倫理、という小難しい説法が世の中を席巻し、同性愛者は顔を隠しながら生活をし、妾は社会的な自殺の手段に成り下がってしまった。だが、奥底に染み付いた島国での生活は中々拭いがたいものらしく、未だに、人妻は少年を買うし、愛人は金持ちにしなだれている。
さて、その中でも救われないのが同性愛者であった。近年の熱心な活動家達による啓蒙により、幾分かその社会性は認知されてきている。が、彼女、「桑島 真由子」はそんなものは詭弁に過ぎない、と吐き捨てている。彼女は、同性愛者だった。いつも目で追ってしまうのは美しい女性。細い足、綺麗な体、彼女に抱きしめられたい、あの中で恍惚を迎えられたら死んでもいい。そう思いながら敗れた恋は、既に20を超える。彼女自身の容姿もそう悪いものではないが、彼女の容姿は男性の気を引く様に作られているようで、告白や誘いは良く受けた。だが、目の前で小さくなりながら自分を「好きだ」と告げる奇妙な生き物たちが、どうしても受け入れがたく、24の今までその全てを断ってきた。
清い体に酷い欲望を閉じ込めて、桑島真由子は社会生活を送っている。けれどもそれは何時壊れてしまうかわからない、とても不安定なものだった。
入浴するたびに、鏡に自分の姿を映す。大きな胸も、引き締まった腰も、美しいと思うのだが、自分が求めるのはそれではなかった。厚い胸板と愛する女性を抱きしめ、満足させられる、何かだった。それが自分にはついていない。そう確信するごとに彼女はため息をつくのだ。何故、自分は女なんかに生まれたのだろう、と。

絶望の入浴を終え、シャツ一枚になった彼女がリビングで冷えた缶ビールのプルタブをあけた。ビールが好きなわけではないが、その行動をとる自分が好きなのだ。その瞬間だけ、男性になったような気がする。ぐいぐい、とそれを喉に流し込んで、くあーと声を上げてみる。男性的である。そして胡坐をかきながらテレビのスイッチを入れた。画面は、とある研究者の会見を映し出していた。
STAP細胞に関する研究をしていたというその女性は、涙ながらに会見を行っている。彼女の真摯な涙を見ると、胸の奥がぎゅう、と痛んだ。ビールを口にする。そして、STAP細胞に関しての解説を、何も解っていないだろうコメンテーターがしたり顔で解説をしている。「彼女を責めるわけではない、が、研究という分野に関する、一つの冒涜である」そう、白髪頭の教授が語った。ふん、とそれを鼻で笑って、彼女はつけっぱなしのPCに向き直る。
PCの中でも、議論は続けられていた。やはり、研究に対する冒涜だ、これに対する一定の処罰がなければ、確実性が保障されない、という意見や、彼女一人に責任を押し付けるのは酷い、という感情論まで様々だった。だが、彼女、「桑島真由子」が求める情報は其処にはなかった。検索にSTAP細胞、と打ち込む。すると、そこにこんな文字が出てきた。再生医療に使用できる。ふと、股間を見つめる。
もし、この細胞とこの研究が真実で、自分がその細胞の恩恵に預かれる事ができたなら、長年の夢が叶うのだろうか。この細い腕を筋肉で盛り、股間には逞しい彼女自身を有し、憧れだったあの女性を、可愛かったあの子を抱きしめられるんじゃなかろうか。そう思ったら、居ても立っても居られなくなった。彼女の指は素早く、キーボードを張った。STAP細胞、性転換、と。

三年後である。矢張りあの研究は正しかったらしく、あの話題の人は既に世界的権威として新聞、テレビをにぎわせている。テレビのコメンテーターは一新したのだけれども、矢張りそのコメントは呆れるものばかりだ。だが、彼女を賞賛する言葉に溢れている。
桑島真由子は、桑島まこと、となった。太い腕と、大きな胸板と、そして銭湯でちらりと盗み見られる立派な彼自身を有して、名実ともに男性なった。しかし、未だに、同性愛、という語句は彼を悩ませる。
STAP細胞の副作用なのか、それとも、それと共に飲みすぎたホルモン剤の効果なのか、彼は男を愛するようになってしまった。それも、大抵が、その気のないヘテロセクシャルの男性である。こんなことであれば、女性の姿であったほうがよかった、と彼は思ったが後の祭りだ。そして、男性になった彼はこう思う。
「自分が本当に同性愛者であったのか、怪しいものだ」と。


#即興小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?