獅子のメダル

そして、三度目の冬がやってくる。

暗い空から散り始めた雪が泥と血液と砂に塗れた死体の上に一つ落ちた。

あと三日もすればこの砂漠も見渡す限りの雪原へと変わるだろう。

死の冬が来る。

安らかな死に顔で伏したアラクマの体から、血に塗れた防寒具一式を剥ぎ取った。

べったりと血の染み付いた衣類は、まるで意志を持っているかの様に彼の遺体に張り付いて彼を護る。

力任せに剥ぎ取った上着の一部から、何かが転がり落ちたのを見とめて、少年ヤヒムは思わず力を抜いてしまった。

尻餅をついた自分を、仲間は笑うことなどせず、小さな舌打ちを忍ばせた後、

「静かにしろ。死にたいのか」

とだけ声を掛けた。

死にたくはないから、手早く弾薬を盗って、銃を担ぐ。

錆びたバックルを外して、家族の写真を奪う。

剥がせなかった綿の下着を諦めて、地面に転がった何かをひっつかんで腰を上げた。

既に仲間の姿は点になりかけていた。

走りながら、いつか死ぬのだ、と少年ヤヒムは考える。

自分もいつか血と泥にまみれ、地面に転がるのだ。

ここでは皆そうなのだ。

けれど、最近、彼は死を恐れなくなった。

みんな同じように死ぬのなら、どんな死に方をしたって一緒だったからだ。

必要なのは信仰にひた走ること、イムワットの精神と自分の精神が同化しているという錯覚、それに陶酔出来る事。

それだけが、少年ヤヒムの見た幸福であり、生の全てだった。

仲間達の最後尾、姿を隠せる大岩にやっとその体を滑り込ませた少年ヤヒムは、仲間達が苦渋の顔で死を見つめている間に、そっと手の中の何かを確認した。

それは宝石の散りばめられたメダルだった。

金色のメダルの中には、獅子の頭が彫られていて、何かを威嚇するようにあけた口の中には、見事なブルーサファイヤが埋め込まれている。

美しいブルーサファイヤの輝きを見つめながら、少年ヤヒムは考えた。

これは何だ。

アラクマは指導者だった。

反乱軍を構成する殆どの男達に慕われてきた。

イムワットへの信仰も篤く、彼の説く教義は人を心酔させる力があった。

少年ヤヒムは、心の底で、アラクマこそ、イムワットだと思っていた。

地下で這いずるイムワットが、やっとその怒りの形を人にして、自分達の前に現れたのだと。

けれど、彼が隠し持っていた小さなメダルには、コヌヒーの紋章である、一本の剣にまとわりつく、二つのイムワットは描かれていない。

黄金に輝く獅子の頭。黄金に輝くモンスター、それは西の果てにある、ウルタニアにのみ生息する、キマイラだけであった。

だから彼は、それが何なのかわからなかった。

惚けたまんま、手の中の美しい物を見続けていた少年ヤヒムに声がかかる。

「行くぞ」

慌ててメダルをポケットの中にねじ込んで、彼は進軍に加わった。

目を細めて見上げたナタイ山脈には、薄暗い灰色の雲がかかっていて、白く変わり始めた山の中腹からは、腹を空かしたケルベラ達の遠吠えが聞こえてくる。

冬の唸りを聞きながら、死ぬ事はあっても殺されない季節が来た、と少年ヤヒムは思った。

冬の間は、南に横たわるナタイ山脈から、ケルベラが降りてくる。

政府軍もこの雪と、ケルベラの群れの中で行動は行わない。

反乱軍にとっては一時の平穏であり、長い臥薪の時間だ。

ケルベラの毛皮と肉だけで、穴だらけのアジトの中で、飢えと寒さに二ヶ月耐えられれば春が来る。

急速な雪解けが起こり、大水が出る。

その全てをイムワットが飲み込んで、再び死の夏がやってくる。

全てを覆い隠す雪の下で、イムワットは仲間の死体を食むだろう。

後にはやはり何も変わらない砂漠が広がり続けるだけだ。

イムワットは死と再生の神でもあった。

彼らの体と魂は、イムワットの大きく長い体を通って地下の楽園へと赴く。

妹も、母も、そうやって安らかな世界へと旅立った。

荒廃した地下神殿を反乱軍は捨てた。

廃墟同然にはなったが身を隠しやすい市街地に拠点を移し、粘り強く反抗を続けていた。

だが、その人数も減り続けている。

弾薬も、食料も尽きてしまった。

数人の友を失い、そして自身もまた幾人か人を殺した少年ヤヒムの痩せた手の中には、あの日誓った祈りと銃が残っている。

新しい指導者は彼の目からみても無能だった。

かつては穏健派であった、というだけある。

反抗ではなく、対話での解決を試みた結果、反乱軍は一年で、その半数の兵士を失う事となる。

あるものは、生きながらイムワットの巣へ投げ込まれ、あるものは見せしめとして首を刎ねられた。

蝋燭の明かりを灯しながら、弔いの祈りを終えた彼らの前で、新しい指導者は語った。

小さな暖かさと身を切る冷気の中で、その指導者の顔は、誰よりも、何よりも、醜くなった。

「stormを、呼ぼうと思う」


#オリジナル小説

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