storm~建国の狼煙~2
少年ヤヒム
薄暗い蝋燭の明かりの中で、一心に祈り続ける大人達の背中を見て、少年ヤヒムは考える。
祈りは大事だ。祈りは、「イムワット」に捧げるもの。イムワットは豊穣の神、豊かな実りの印、暴虐と生贄の神、そして戦の神。
真夏は全ての水が干上がって、生物達の死滅する、フェルマ砂漠の中央に彼らの国は存在していた。
見渡すばかりの砂の海に突如現れるオアシスは、彼らの神が作ったもの。
この砂漠に存在する唯一の生物、サンドワームの繁殖地がこの小国「コヌヒー」である。
サンドワームの生態は世界的にまだ知られていない。
ただ、コヌヒーの民だけが、そして彼らの神イムワットだけが、彼らが恵みを齎す存在である事を知っていた。
冬は雪の降り積もる砂漠の中で、サンドワームは雪を食べ、体内に備蓄する。
そして、繁殖の夏になると、美しい雪解け水を貯め、その中で産卵する。
大きいものは全長で10M以上にもなるサンドワームは、砂の中を突き進み、時折顔を出して、砂漠に紛れ込んだ動植物を食らう。
水場の周りに排出された糞が土を肥やし、植物を育て、そうやって形づくられたのがこの国だった。
コヌヒーの民もまた、サンドワームの脅威に晒されてはいるが、数百年、この土地に住み続けた彼らは、ワームのやり過ごし方を知っている。
時に生贄を立てて、時に戦争を起こして、彼らはその土地を守ってきた。
けれど、13歳の少年ヤヒムは考える。
イムワットは何故、僕達を救わないのか。
二週間、彼は物を口にしていない。
そしてろくに眠れてもいない。
この地下神殿にいる限り、大丈夫だ、と大人達はいうけれど、そんなのはウソだ、と彼は知っている。
眠れば、政府軍がやってくる、遠くランドマリーから買い付けた、という新しい武器を手にした政府軍が。
イムワットが本当にコヌヒーの民の神であるというのなら、何よりも先に、誰よりも先に、憎い政府軍の軍団を食らわなければならない。
けれど、2年を超える抵抗運動の中で、イムワット、つまりサンドワームの犠牲になった人間は皆、反乱軍の仲間だった。
少年ヤヒムは10歳の時に、母を亡くした。
自分の隣で頭から血を流しながら倒れていった母。
大人達が叫びながら自分を担いで逃げた時も、彼は声すら上げず母の死体を見続けた。
そして、その頃から、イムワットへの祈りを毎日、行うようになった。
11歳の時、妹が死んだ。
空から落ちてきた光の弾が爆発して、妹は瓦礫の下敷きになった。
上空を行くのは見たこともない鉄の鳥、そして彼は思い知る。
この世界に正義等はないのだ、と。
正義を捨てても、イムワットだけは捨てれなかった。
イムワットはいつも母との思い出と繋がっていた。
父との、妹との思い出と繋がっていた。
そして、彼の手の中には、祈りと、銃だけが残った。
蝋燭が吹き消されて、祈りが終わる。
少年ヤヒムはこの瞬間がいつも哀しい。
ついさっき会っていた母と、妹と、再び引き離されてしまうような気がするからだ。
だから祈りの最期に彼はいつも、目を閉じる。
目を閉じたまま、母の顔を思い浮かべていると肩を叩かれた。
指導者の、アクラマだった。
「少しだが、食料を手に入れた。パッタンの実とフーだ。食べるといい」
干からびたパッタンの実と、薄く平たいフーが手渡された。片手に収まるそれを眺めて、少年ヤヒムは呟く。
「・・・昔、パッタンの実はどこにでもあった。コヌヒーの中なら、どこでも」
少年の空ろな声を聴いた、30歳の指導者は言葉をなくす。
自分の手の中にある食料に目を向けて、それを少年に差し出した。
「・・・これも食べろ」
「どうして」
少年ヤヒムの声が強くなった。
そこに涙はない。
暗い意志だけが輝いている。
意志を持つものを虐げてはならない。
イムワットの戒律の一つである。
「どうして、パッタンの花は咲かなくなったの。イムワットはなんでいなくなったの。どうしてイムワットは僕らを助けてはくれないの」
アラクマの手の中の食料を見ずに告げた少年ヤヒムに、アラクマは答えた。
「意志の名の下に答える。現国王のシンカは、イムワットを閉じ込めた。東部にある王宮の中には、イムワットの泉がある。イムワットの卵も、そしてそれから孵ったイムワット達も、国王は皆、人に売っている」
少年ヤヒムがアラクマを見た。
意思を持って人に何かを問うたものは、それがどんな答えだろうと受け入れなければならなかった。
「イムワットの血は、黒い恵みの血。ブラックオイルは、宝石を作り、鉄を磨く。金を曲げ、ダイヤモンドを曇らせる。ブラックオイルは売れるのだ。東の大国ランドマリと、西の大国ウルタニアにな。シンカはそれを王族と自分を支持する人間にのみ与えている」
少年ヤヒムは両の手の平を合わせながら、握り締めた。
怒りが体を駆け巡る感覚を感じた。
それに耐えなければならないのも、戒律の一つだった。
意志をもって自分は真実を問うたのだ。
ならその真実を受け止めねばならない。
「僕達は、僕達を助けよう」
長い沈黙と祈りのあと、少年ヤヒムはこう告げた。
「もう怒りではない。意志の名の下に」
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