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霧島訪拝 二拍手 最終日

早朝四時に目を覚まして、ネットカフェを出る。

まだ辺りは薄暗い。車を走らせている間、東雲が柔らかな山吹に染まっていく様を楽しんだ。霧島神宮観光所の駐車場に車を止めた。そこで仮眠をする。

次に目が覚めたのは八時である。慌てておきた。今日は最終日、これから五時間かけて家に帰らねばならぬ。道草を食いながらの帰路であるので、更に時間がかかる。先ずは霧島神宮へ参拝する。

早朝であるので、人は少ない。参拝もストレスなく行えた。

霧島に限らず、神前、神域に立つと、何かしら穏やかな心根が、自分の中に育っていくのを感じる。開かれた神前を前にして、二礼、二拍手、一礼。呼んでいただいて有難う御座いました、と腹で唱える。ふと、霧島の神が、こちらに頭を下げているような気配がした。

礼に、神も人もないものである。

神も我もこうべを下げて神前

続いて御池に赴く。霧島東神社へ参拝する。この敷地から眺める御池が美しい。

新緑を溶かし込んで鏡池

続いて狭野神社へ訪拝。神社は常に森の中にある、森の中にあって比較的時間が緩やかに流れている、100年先をこの森は見る、この森を作った人々は見る。

森に抱かれて神は居り 狭野神社

三日先を想うよりは、十年先を思いたい。十年先を想うよりは百年先に想われたい。真浮世は生き難い。生き難いから価値が在る。不平も不満も、百年たてば物語である。醜い私も、詰まらない私も百年たてば、矢張りただの物語である。


続いて、霧島岑神社に訪拝す。近くに、夷守岳を望む。夷守という名前に、ヒルコの言霊を受けたが、夷守岳自体比較的新しい火山であるので、この名前がつけられたのだろう。境内に入って、直感をしたのだが、この敷地には縄文の気配があった。森が縄文の静けさを持っている。二千年前の記録をこの森が持っている。長い坂をひいふうと息をついてあがったら、待っていたのが出迎えの鳥居木であった。お邪魔をしにきたのに、出迎えにあって、更に申し訳なくなった。

無私の木々に膝を折る

写真の左側に森が広がる。静謐とした森である。美しい、と胸の内がないたので、動画を取っていたら、宮司さんから声をかけられた。

「どちらからおいでなさった?」

「はぁ、あの、大分から」

「ああ、そうですか。あの、天然の蚕がね、見つかったので、見ますか」

はぁ、この森は天然の蚕が居るのか、と驚いた。是非もなく見せていただく。宮司さんよりお話を賜った。

「皇后陛下がご養蚕の、卵を葉につけてらしたでしょう。中々野蚕というのは見つけづらいのですが、たまたま雄雌と見つけまして、やっと四つか五つほど、孵化したんですが、弱いのでね、食べられてしまうんですよ」

人と森を繋いでお蚕様

幼少の頃、私の家でも養蚕は行っていた。子供の頃に居た蚕は可愛らしい白いころころした虫で、私はそれを手に乗せて可愛がるのがすきであった。もしもし、と桑の葉を食っていく蚕をずうっと眺めていた記憶がある。家の不思議なところに白い繭がよくくっついていた。山繭が山から人の手に渡る。細い美しい糸を通して、山と人が繋がる。物を食えぬ体になるために蛾は育つ。それでも物を食う体になる為に卵を産んで、糸を出す。人よりも、随分と立派だ。

記憶だけが横たわっている

写真では全てを伝えられぬ。この森の持つ記憶やら雰囲気は屋久島のそれに近い。在る、だけである。静謐として、ただ、在って、それ以上でもそれ以下でもない。だから堪らなく安心する。ただ在る世界の中に、在りもしないし、無いでもない、私はやっと受け入れられる。そうして、ただ在る、事になる。だから山は、森は美しい。

山は何時も私の神で居てくれる

最終、東霧島神社へ赴く。外観、内装、共に神仏習合の影響を強く受けている神社である。見所をこれでもか、と見せ付けてくれるのも仏教の色彩、境内を回るととても楽しい心持になる。まるで公園の遊具であそんでいるかのようだった。

修験道の修行場だったそうで、自然石を積み上げた鬼岩階段が長く続く。振り向かずの坂といわれているそうな。この坂を上る際、振り向かず一心に祈念しつつ登り上げれば満願成就するという。満願成就とは骨の折れる修行の事である、と合点がいった。

坂の下で鬼が笑うて居る

流れた汗を拭って見上げる大楠の木

御籤で小吉を引き当てて、なおもって精進せよ、と詔を頂いた。ありがたく頂戴する。そうして、家路につこうとしたら、一匹の犬が寄って来た。この神社の飼い犬らしい。頭と背を撫でていたら、膝をくんくんと嗅がれた。神社の奥さんが笑いながら仰る。

「色々なところに行くんですよ、広いですからねえ。縄張りの見回りをしなきゃいけませんからねえ」

犬の名は空というらしい。ふと、昔飼っていた、「アカシャ」という名の猫を思い出した。


霧島は男性的な山だろう、とおもふ。男性的な豪快さと喜びに満ちている。女性的なたおやかさとは相容れぬ。それでいい、それがここちよい、と想う。隼人の男たちは勇壮であった。勇壮で芯を持っていた。その芯が歴史になって、記憶になって、霧島のいたるところで横たわっている。だから、私は霧島が好きだ。

*なお、件の旅行記において、スピリチュアルと結びつける行為はやめていただきたい。神社とは、土地の粋の集まる場所であって、そこに建てられた意味も、理由もある。それをじっくりと検分していくのが私は好きなのであって、間違っても神仏の加護を得たい、という他力本願の心根ではない。

神仏が、人を救うた試しなどない。人を救うのはいつも人である。

神社は記憶でしかない。それを思い起こさせてくれる。それが粋である。

#旅行記 #霧島

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